3-8 望郷

 大代のピックアップトラックが停められている場所まで歩いている際に平田が目にした光景は、此処は、タイなんだ——と思い知らされるに十分なものがあった。

 例えば、幹線道路の中央分離帯のコンクリートに腰掛けて釣り糸を垂らしたり、投網を打って紛れ込んだ魚を捕ろうとしている若者。また、一つは、幹線道路から脇道に入ったところでは、分厚い発砲スチロールの板の上にプラスチック製の椅子一脚だけを設えて、そこに人を乗せて“水上タクシー”を営むもの。タイ人の逞しさを見た気がした。

 みんな見た目は楽しそうで、とてもそこが被災現場とは思えない光景だった。


 明日を憂い、悲嘆と絶望に打ちのめされているのは日本人だけなのか————。


 熱帯の国々、特にタイは食料には事欠かない。それに年中温暖であるので、路上に寝て朝を迎えようが凍死することもない。それ故に、明日のこと、将来のことを計画的に考え、「保存」しようとか「貯蓄」せねば、という危機管理意識は少ないのかもしれない。

 みな、今日のことで精一杯なのだが、それを絶望と捉えずとも、なんとかなる———「マイペンライ精神」*(1)というやつだ。


 平田は、そっと、ひとりごちてみた。


 ——(マイ ペン ライ……なんとかなるだろ)


 しかし、心は幾分も晴れなかった。やはり自分は日本人なのだなと、苦笑いを零し大代の背中を追って歩き続けた。


 大代が振り返り、無言でを指差している。平田も無言で頷いた。

 ピックアップの荷台を屋台代わりにした臨時の屋台が何軒か立っていた。

 何種類かの弁当と水だけを売っている。

 二人は、カオパット(チャーハン)と水を買い、中央分離帯のコンクリートの上に腰掛けて遅い昼食を摂り始めた。


 ——しかし、タイ人って、ほんとに逞しいよな。どこでも商売、なんでも商売にしてしまうもんな

 ——ええ、彼らのそういうとこは、日本人が失くしてしまったものかもしれませんね


 日本も昭和 の高度成長期の頃は、みんなに働いて、旺盛な物欲を満足するために頑張っていた。車が欲しい、持ち家が欲しい、カラーテレビやクーラーも欲しい———みんな働くためのみたいなもんがあった。

 今のタイ経済も、日本のその頃と重なるのかもしれない。


 ——俺たちは、なんのために働いてんだろうな……


 そんなことをポツリと零して、平田は、海老チャーハン(カオパットクン)を頬張った。口の中でジャリっと砂を噛んだが、お構いなく飲み込んだ。

 大代も黙って頷くだけで、その答えを寄越すことはなかった。


 ドス黒い水面の上を陽炎がゆらゆらと揺れ踊り、その先で小さな魚がピシャリと飛び跳ねた。

 小さい頃、川べりの土手に陣取って釣り糸を垂れていた、あの夏の一コマを平田は思い出していた。


 なんで、おれは、タイここにいるんだろう———。


 平田は口内の咀嚼を止めて、空を仰ぎ見た。

 テレビ局か新聞社のヘリコプターだろう、ブレードの唸り音を撒き散らしながら何度か旋回して、東の空へと消えていった。


 ふいに押し寄せた望郷の念に、鼻奥がツンとした。


——————————————

【脚注】

*(1)「マイペンライ」

タイ語で、「マイ ペン (ア)ライ」、その意味は多岐で、普通は「大丈夫、問題ない、いいよ気にしてないよ」などを意味するが、タイ人は時に悲しげにこの言葉を吐くときがある。

———なんとか、なるさ 

悲哀を含んだ、言葉のように聞こえるのは異国の者の曲解なのだろうか

 

 

  


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