3-6 籠城

 十月二十九日(土曜日)————。


 朝方、大代から連絡が入り、迂回ルートを取れば何とか工場に辿り着けるようになったことを報告して寄越した。


 ——車高の高いピックアップなら、アウターリンクを通って、途中一般道に降りて浸水の少ない道を選べば、工場前に辿り着けることがわかりました

 ——おお、そうか! さっそく行こうッ! すまんが迎えに来てくれんか

 ——わかりました、十時過ぎには行けると思います。あっ、たぶん途中で歩きになると思いますんで、着替えを準備して来てくださいね!


 平田は、急いでシャワーを浴び、リュックに半パンと下着、そしてタオルを詰め込んで部屋を出た。

 階下のカフェで朝食を摂りながら、大代を待った。


 平田を乗せた大代のピックアップトラックは、「アウターリンク高速道路」*(1)を走っていた。一番右側の一車線だけが何とか走れる状態であったので、蟻の行列のような渋滞が続いている。

 高架になっていない「アウターリンク高速道路」は、設計上かなり土盛りをして通していたので、浸水の度合いも比較的少なかったが、それでも途中何箇所かで車内に水が入ってきた。

「ラムルカー」で高速道路を降り、一般道に入った。先を行く車の後を慎重に追いながら、進路を西にとった。このまま進むと、工業団地前の幹線道路に突き当たるはずであったが、何箇所も通行止めとなっていて、その都度、迂回を繰り返しやっとの思いで、「カセサート大学」前まで辿りついた。腕時計の針は午後一時を少し過ぎて指していた。三時間掛かったことになる。

 そこからは歩いてしか進めない。幹線道路の中央分離帯のブロックの上を歩いたり、時にはひざ上まで浸かりながら、工業団地前までやって来た。


 団地事務局が手配したエンジン付きの小型ボートが、団地内を定期的に周回して回っていた。それを待つ人々の列が出来ていた。皆、心配で駆けつけた工業団地の入居者だった。

 1時間待ちでようやくボートに乗り込めた。

 事務局員の話では、いまだに1.3mほど冠水しているという。


 ボートの船首に座って被災した団地内を眺めていると、先の見えぬ絶望感に襲われた。

 やつらは、ただ占領した場所をじっと守っている兵隊のように、気だるそうにたむろし続けていた。

 照りつける太陽が水面に反射し、ジリジリと肌を焼いていく——。


ボートは定員オーバーなのか、のろのろと進む。

その途中、平田は一瞬、何のことか理解出来ない光景を目にした。


 工場事務所の二階ベランダに干された洗濯物が緩やかな風に靡く姿であった。通って来た区画で確認できただけでも、三軒あった。


——あッ!……、そうだったのかッ!!


 彼らは、の侵攻をで迎え撃っていたのだ。

一階の工場部分の窓から飛び出した太いビニールパイプは黒色に濁った水を吐き出していた。

 彼らは、工場に泊まり込みし、昼夜問わず、自家発電機で水中ポンプを稼働させ、時には人海戦術でバケツ片手に水を掻き出していたのだ。

 それは、きっと“寝ずの番”であったに違いない。


——があったのか……


 確かにそれは、危険や途方もない労力を使うであはあったが、無駄な経費を使うことなく、水さえ引けばいち早く生産を開始できるのだ。

 平田は、つい今朝方まで自分の判断はベストだったと思い込んでいたが、まだまだそれは甘かったことを痛感した。

 それは、ともすれば漏電による感電死や、感染症を患うこともある危険な作戦であった。

 しかし、その勇敢な行動には脱帽せざるを得なかった。


あとで、分かったことだが、このを決行していた会社は全て日系企業だった。

 

 日本人……おそるべし————。


———————————

【脚注】

*(1)「アウターリンク高速道路」

「ドムアン空港高速道路」を中央に挟んで、左右にバンコク市内から北に伸びる高速道路。名の通りバンコクから右回り、左回りと左右二本の高速道路が北に向かって袋状に伸びていてそれらは、パツンタニー県で一般道路で繋がっている。


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