第102話 世界を覆う旋律

 交易都市、大陸を南北に縦断する大河は、今日も、様々な船が行き交う。

 桟橋には、荷物を満載した貨物船が停泊し、荷下ろしに大勢の人が忙しそうに汗を流す。

 船着場で部下に指示を出す南部の軍服を着た男が、ふと東の空を見上げた。


「気のせいか?」

 男は頭を掻き毟り、先程、手渡された書類に目を落とそうした時、ソプラノの声が頭蓋に響いてきた。


 それは、この世のものとは思えない美しい旋律を言葉では無く、音階で奏でる女性の魅惑的な歌声だった。


 男の背後には赤い屋根の高い建物、それは南部小国家連合の商館、そこの高い位置にある大河に面したテラスにエドワードを追うようにジークフリードが出てくる。


 朝日に照らされ、エドワードの黒髪とは対照的にジークフリードの髪が黄金に輝く。

「これは、まさか……」

「ああ、エド、多分ソフィだろう」

 ジークフリードは、旋律の奏でるメロディーに心を奪われながら、彼女たちが向かった方角とのズレに疑問を抱く。


「何かあったのか?」

 テラスの手すりを両手で掴み、体重を預け、身を乗り出す。


 気配無く彼のそばに来た黒髪の女性が呟いた。

「世界の魔素マナが彼女に共鳴している……、なんて、傲慢な娘」

 ジークフリードとエドワードは、北の魔女と讃えられる女性の声に振り返る。


「銀髪のエルフ、あの娘は、お伽話の【邪悪な姫君】になるつもりかしら?」

 北の魔女は寂しそうに、そう呟いた。


 銀髪エルフの歌声と詠唱は世界を覆う。

 誰もが、そして世界の全てが、その旋律に心奪われ、耳を傾けた。


 やがて旋律は止み、詠唱が聞こえてきた。


「我を怖れよ! 我を崇めよ!」


 最後の一節に、世界は恐怖した。


 湿原地帯に陣を張る帝国軍、その魔術師全てを束ねる魔法使いの老人は、世界に響いた詠唱の後、北西の空高くに現れた巨大な物体に慌てて、望遠鏡を構え、それを測定し、みるみる血の気を失っていく。


「馬鹿な……、天体衝突だと……」

 望遠鏡を三脚で地に固定し、測定具を取り付け角度と距離を数分に渡り測定すると、無言で老体に鞭打ち、走り出した。


 湿原地帯の帝国軍を率いるクレメル将軍は、天を仰ぎ、オレンジ色の輝きを増しはじめた巨大な不格好な天体を眺めていた。


「クレメル将軍、あの天体は、この地に向かっておりまする」

 魔法使いの老人は、息を切らしながら自らの絶望的な観測結果を声高に主張した。


「防げるか?」

「どのような障壁も、結界も、あれを防ぐのは無理でございます」

「そうか……」

 クレメル将軍は、空高くに浮かぶ天体から発せられる重低音の唸り声を不快に感じ、顔をしかめる。


 湿原の鳥が一斉に空へと羽ばたいた。

 何千、数万という異常な数の鳥達が大空へと消えていく。


「衝突までの猶予は?」

「小一時間ほどでございます」

「軍を動かし、かわせるか?」

 足元の大地が振動し、淡く輝く。時折、小石が浮かび上がると、それは重力に逆らい、空へと消えていく。


 なんとか沈黙を守っていた兵士達が騒ぎはじめ、あちらこちらから奇声が上がり始める。


 魔法使いは、空高くに舞っていく小石を見上げながら、

「それも無理でございましょう。あの化物は、我軍に標的を定めております。軍が動けば、あれも動くとみて間違い無いかと……」

 己の不甲斐なさに肩を落とす。


「あれに最上位の軍式殲滅魔法を当てよ!」

「しかし……」

「我らの意地を世界に示せと言っている!」

 クレメル将軍は、何かを決意すると、息を大きく吸い込み、魔力をのせた大声で、

「皆の者、静まれ!」

 と叫ぶ!


 クレメル将軍の声に兵士達は静まり、直立不動の姿勢で耳を傾ける。


「帝国の屈強な兵達を聞け! 王国に力を貸す邪悪な化物は、不遜にも、我らに化物を崇めよと命じた! 我ら帝国は、そのような輩には屈しない、決して屈しはしない! 聞け! 化物は、神を否定し、世界を敵に回した! 大義は我らにある! 帝国は、勇敢な兵には必ず酬いる、貴様らの大切な者たちには、相応の金銭と生活は保証されよう! ならば、ここで死ね! 死んで、人の意地を化物に示せ! さすれば、必ず、天が化物を滅ぼすであろう!」

 クレメル将軍の言に、兵たちは泣きながら胸元を拳で何度も叩き応えた。


 クレメル将軍は、年老いた魔法使いと目が合うと少年のように苦笑した。

「初めから撤退の二字は無い、私に与えられた命令は背水の陣だからな、それに……、無様に敗北すれば、静観している王都近郊の諸侯が帝国に歯向い始める」

 将軍は、剣を鞘から抜くと地に突き刺す、柄の先を両手を重ねるようにして握り、仁王立ちになった。


「あれに、最高位の軍式極大殲滅魔法を派手に放て、その後は、全力で障壁を張れ!」

 魔法使いは頷くと、部下達を呼び集め準備に取り掛かりはじめた。


 湿原地帯から北東の草原に王国侵攻軍総司令レイダー達は、南方の帝国軍と合流すべく進軍をしていた。


 世界を震撼させた詠唱が響き、天空に巨大な物体が現れた事で、レイダーは進むのをやめ、馬から降り、事の成り行きを見守っていた。

 やはり、こちらでも物体は綿密に観測され、その落下地点も既に予測された。


「閣下……」

 参謀のカニング、武闘派のギディオンも、言葉を失っていた。


「お前らが、恐れるとはな……、とはいえ、北方のトレイニーは既に敗北したか……」

  とは言うもののレイダー自身も異常な量の汗をかき、動揺を隠せないでいた。


「抗ってみせろ! クレメル! トレイニー! 貴様らの死は無駄にはしない!」

 レイダーは、眼光鋭く、大気との摩擦でオレンジに燃える天体を睨みつける。


 そこに地平線から伸びる黄金の輝きがぶつかる。天が白く輝き、見るものの視界を奪う。

「最上位、軍式殲滅魔法【死神モルス】ですら通用せんか……」

 レイダーは苦々しく呟く、その後、数度、天が白く瞬いた。


 湿原地帯の帝国軍が【死神モルス】を連発したのだ。


 何事も無かったかのようにオレンジ色に燃える歪な形をした天体は、速度を増しながら標的へと向かう。

 それが視界から消えると、世界がまばゆい光に覆われる。

 生きるもの全ての視野から色が消え、景色が無くなる。


 一呼吸置いて、轟音が轟くと、熱風が吹き荒れ、所々、木々を薙ぎ倒す。


「ソフィア……」

 レティーシアは、強風で流される髪を抑えながら、たった一言を呟いた。


 湿原地帯の帝国軍は跡形もなく、文字通り、殲滅された。

 そして、湿原地帯は無くなり、大地に巨大なクレーターが刻まれる。


 上空に舞い上がった土煙は、太陽を隠し、世界は数日間、闇に包まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

間違いだらけの異世界生活 小鉢 @kdhc845

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ