第101話 ネメシスの雫

 パーン!

 乾いた音が響き、空気が凍える。


 突然、レティーシアが立ち上がりアンジェラの頬を力任せに平手で張った音。

 勢いでめくれた袖口から美しい骨格を想像させる細い手首が覗く。


 平手を打った手のひらが勢いのまま流れ、自らの肩にぶつかると弾かれ、その場で一瞬静止した。


 その時見えた手の甲から伸びる関節を感じさせない長い指、その先端の整った爪から健康的な桃色が透けていた。


 アンジェラは、目を見開き唇を噛む。

 レティーシアは、彼女を憐れみ蔑んでいるかのように見下ろしていた。


 王の手掛かりは、レティーシアにとって朗報だったのでは?


 彼女は興奮しているのか、息が荒い。


 彼女は肌の露出が少ない衣装をいつも好んで着る。

 筋肉の無い細い身体だが、どうしても、布地越しに柔らかな曲線美が浮かぶので、胸や尻といった女の部分に、しっかりと若い張りのある肉を隠しきれない。


 およそ争いには向かないように見える彼女。

 胸元の王印を布地越しに、握りしめている。


 何かを決意する時の仕草、いつもは堂々とする彼女だが、今は小さな肩を震わしていた。


 アンジェラは、思い直したかのように頬を緩め口元に薄い笑みを浮かべた。

「姫様、あんたは国をお望みかい?」


「バーナード! この無礼者を切り捨てなさい!」

 頬を赤く染め、整った愛らしい顔が怒りで歪む。初めて見る彼女の姿に、皆、驚きが隠せない。


 周囲の騎士達が異変に気付き、ざわつく。


 バーナード団長は、正に熟練の手練れが見せる素早い隙のない動きで、レティーシアを上手にかばいながら、剣を上段からアンジェラへと……、その間際、バーナードの剣が頂上の位置で縛られたかのように動きを止めた。


 バーナードとアンジェラの間に、ケモ耳の小さな女の子の姿があった。


 フェンリルの化身、チビが瞬時に反応し、彼の手首を片手で掴み止めたのだ。


 チビは両耳をピクッと動かし俺を見つめ、指示を仰ぐ。


 すぐそばから、

「もっと、信用して下さい……」

 とメアリーの寂しげな声が聞こえた。

 ジャンヌとメアリーには、「許可するまで動くな」と密かにメッセージを送っていた。


 アンジェラと戦うのは本意では無いからだ。

 チビなら、そんな俺の意図を察して的確に動いてくれるだろうと思っていた……。


「ソフィア、邪魔しないでっ!」

 レティーシアが声を張り上げる。

「私は、アンジェラに賛成よ、王様は、レティーシアのお父さんなんでしょ、行くべきよ」

「娘では無く、私は王女なのよ! だから、邪魔しないで!」

 彼女は、まだ王印を握っている。


「マスター、彼女の意見は正しい、大局を考えるのは、民を率いる者の務めだ」

 ジャンヌは、そんな彼女を擁護した。

 バーナードも、その孫、セシリアですら、同意見のようだ。


 レティーシアは、父親よりも、戦局を有利に運ぶ方を優先しようとしている。

 情報の真偽はともかく、王が今更戻っても、戦いは有利にはならない。レティーシアが代理とはいえ、国を率いているからだ。


「あなたは、それで良いの?」

 いつに無く興奮しているレティーシアに、意地悪な質問をしてしまう。


「湿地帯に陣取る帝国軍を叩く、王国にとって、それが一番大切なことよ」

 レティーシアは、バーナード団長の肩を叩き、彼を後ろに下がらせた。


 アンジェラは、

「ご立派なのね」

 と言い席を立つ。


「マスターは、彼女の尊い決断を尊重すべきだ」

 ジャンヌの信じる神は、自己犠牲を美徳の一つに数える。

 確かに尊いのだろう……。


 なら、レティーシアは、父親を本心では救いたいということだ!


 それに、彼女は、何か重要な決断をする時は、いつもいつも、王印を握りしめる。


「ソフィア、準備が整ったら出発よ……、理解して頂戴……」

 両手を胸元で組み、伏目がちに彼女は言った。


「ええ、そうね、そして、その王印を父親に返すのよ」

「マスター!」

「ソフィア殿!」

 ジャンヌとバーナード団長が声を荒げた!


「帝国なら、私が黙らせるわ! 昨晩のように、レティーシア、あなたに余計な真似はさせないわ!」

 レティーシアは、俺が帝国軍を残忍に燃やした事を、自らの命令だと葬儀の際、発言した。


 それは、俺の罪を背負うということ。

 そんなのは迷惑でしか無い。


「ソフィア、あなたが一人で行くなんて許さない!」

「いいえ、私は、ここから、動かないわ! それでも湿地帯の帝国軍は、殲滅できるのよ!」

 彼女は、もっと、俺を信じて利用すべきだ!


「無理よ!」

「私の本気、少し見せてあげる。アンジェラ、王の情報が嘘だった時は、覚悟しなさい!」

「こわい、こわい、でも情報は、真実よ」

 アンジェラは、足を止め、場を離れるのをやめた。


 ヘルメスの杖【カドケウス】を取り出すと、【フライ】のスキルで一気に上空に飛び立つ。

 そこから全力の索敵を仕掛ける。


 世界が明瞭に脳裏に浮かぶ。

 特に、湿地帯の帝国軍は、俺に対抗する為、様々な強力な防御魔法を絶やすことなく展開しているので、一際目立っていた。


 格好の的だ。


 魔力を増強する為、アクセサリー、【世界樹のティアラ】で頭を飾り、【フレイヤの首飾り】、【ソロモンの指輪】で万全を期す。


 最初に、世界中に漂う魔素マナに、俺の存在を知らしめる為、口から旋律を奏でる。


 自分でもびっくりするくらい、美しい音色が響いていく。

 特に、この他は、大量の命が失われて間もない場所だからだろうか、思ったより早く、準備が整った。


「我は世界に告げよう」

 言葉を整えた世界中に漂う魔素マナに響かせる。

「我は、逆らう者に死をもたらす! 世界は、我を怖れよ! そして、我を崇めよ!」

 俺を中心に世界を覆う、巨大な魔法陣が広がっていく。

 そのせいで太陽が霞み、空の色が変わる。


「理の代行者たる、我が、天のネメシスに命ずる! 雫をもって、大地に、その威を刻め!」

 魔法陣が、天空の一点に集約し、まばゆい光を放ち、消える。


 世界から音が消えた。


 地上に降り立った俺に、レティーシアが声をかけた。

「ソフィア、あなたは何をしたの? それに……」

 彼女の疑問はもっともだ。

 まだ、詠唱が終わっただけで、魔法は発動してはいない。


「発動までは、しばらく掛かるのよ」

 やれやれと腰を下ろす。


「ご主人様、アクセサリーは外した方が良いかと……」

 メアリーが耳元で囁く。


「アルムヘルムの姫君……」

 アンジェラの言葉を低い唸り声のような音が遮る。

 その音は、天空から響いていた。


 皆、空を見上げた。

 揃いも揃って口を開け間抜け面だ。


 空高く、天空より高い位置に、それは現れた。

 大気と衝突し、低い唸り声を発し、その身を赤く染めている。


死の星ネメシス】、天体衝突の呪文が、やっと発動したのだ。


 ギルド戦はもちろん、対NPCでの使用も許可されていない魔法、いわゆる禁呪。


 年一回、冬の時期に開催されるワールド存亡をかけた戦い、全プレイヤーが協力して挑む、フルレイドでのみ、禁呪指定が解除される、禁断の呪文。


 その効果は、バトルフィールド全域にわたり、回避不能の上、威力も絶大、耐えることが出来るのはフルレイドボス、深淵の主神【タルタロス】のみという、絶望的な破壊力を誇る神話級最上位の魔法、【死の星ネメシス】。


 それを五段階ある威力指定の内、第一段階で発動させた。


「湿地帯の帝国軍は全滅よ。レティーシア、あなたが犠牲になる必要はないわ」

 俺の言葉に、彼女は無言で頷いた。

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