第88話 ささやかな願い
薄暗い洞窟に、男の押し殺した悲鳴が断続的に響いている。
「相変わらず趣味が悪いわね、大賢者様」
帝国の諜報機関【ホルス】の工作員、アンジェラは、洞窟の壁に奴隷のように吊るされた男性の一糸まとわぬ姿を見ながら、そう呟いた。
吊るされた男性には拷問の跡がある。全身から血が滲み、汗の臭いも酷いが、眼光だけ鋭く、周りの者達を威圧する。
そのすぐそばに立つ法衣姿の老人は、彼に優しく微笑み、鞭を打つ手を緩めると、別の者に、何やら仕草で合図を送る。
後方の黒衣を着た者達が頷き、洞窟の奥へと消えて行く。
「これは、彼が望む試練だ、私の趣味では無いのだよ、【指揮者】のアンジェラ」
大賢者と呼ばれた法衣の老人は、椅子に腰掛け、彼女も座るよう促した。
「王国も終わりね」
アンジェラは、吊るされた男性を見ながら老人の誘いを断った。
老人の意外そうな顔、
「王国なんてものは、初めから無いのだよ」
ティーカップの取っ手を上品につまみ、香りを楽しみながら優雅に飲んでいる。
奥の方が、何やら騒がしくなり、別の生贄が連れて来られた。
ドサッという人が投げ捨てられた音。
「さて、君が口を割らぬから、こうなる……」
ティーカップを黒衣の者に渡し、今しがた、投げ捨てるようにして置かれた両手、両足を縛られた裸の少年に舌舐めずりをする。
「さて、王のみに口伝される【鍵】の使い方を教えてくれまいか?」
少年を抱きながら、微笑みを絶やすことなく、賢者は壁の男を問いただす。
「知らぬ……」
男は、目を背け、声を絞り出す。
「用件が無いなら、私は、行くよ」
「そう、
片手で少年の顔を掴み、開いた手で黒衣の者からナイフを受け取る。
刃先は鋭く、その身に、風景が映り込んでいる。
壁の男が声を殺して苦悶した。
賢者は、少年の眉間に刃を置いた。
赤い血が流れる。
「ち、父上……」
少年が涙を流し訴える。彼の下半身は濡れていた。
失禁の悪臭が漂う。
鎖の音。
壁の男が激しく暴れる。
「さあ、口伝を述べよ」
賢者は嬉しそうに少年の額にナイフを入れ、そこから滑るようにして顔を切る。
唇を切られた所で、少年は言葉を失い、死人のように呻く。
「ちっ、化物が……」
アンジェラの声、続いて何かを詠唱した。
大賢者のナイフは、少年の胸の位置で止まる。
「これからが試練だというに……、命を奪うとは、それは罪だぞ、アンジェラ」
大賢者は、死体となった少年の髪を掴み、男の方へ、そのまま投げた。
男の怒りは頂点に達し、激しく引っ張られる鎖が、甲高い悲鳴の声を出している。
「命乞いをしろ」
アンジェラは、男の耳元で囁いた。
男の眼光は鋭さを増し、そのまま彼女の顔に唾を吐きかけた。
「私を殺すつもりか、運命を操る【指揮者】、アンジェラ、君は、きっかけがあれば、どんな奇跡でも起こせるのだろう?」
大賢者は、布を一枚、アンジェラの方へ、放るが、それは、そのまま地面に落ちた。
「そんな大それたことはしないわよ、【神の叡智】を司る大賢者様……」
アンジェラは、指揮棒を取り出し、死体に向けた。
青白い炎が少年の死体を包み込む。
「うっ、うっ……」
壁の男が嗚咽する。
「目障りなのよ」
アンジェラは、死体が燃えて消えるまで指揮棒をかざしていた。
「君を呼んだのは、エルフの姫君の話が聞きたいからだ、その代わり、勝手に【鍵】にちょっかいを出した事は、不問にしてやる」
「【神の叡智】とやらを使えば良いじゃない?」
「あれは、理を異にするから、無理だ」
腹が立ったのか、大賢者は、壁の男、その腕にナイフを突き立てた。
「ぐっ……」
男が身体を仰け反らす。
「へぇー、そうなの……、この前、会ったエルフの姫君は、何も覚えて無いそうよ、もしかしたら別人かもしれないわ」
アンジェラは、大賢者が男の腕に突き立てたナイフをゆっくりと動かし悦に入ってる姿を見て、地面に唾を吐き捨てた。
それから、彼女は、ニーベルンと交易都市での、銀髪エルフの事を大賢者に報告した。
一通り聞き終えた大賢者は、
「別人? それは無いな……。この前、感じた魔力の断片は、エルフの姫君そのものだったよ」
ナイフを抜くと同時に、男の腕を治療した。
アンジェラは眉間にシワを寄せ、
「じゃ、中身が違うかも知れないわね」
と言う。
「中身、魂のことか……、魔力とは、魂の断片、それに、魂の本質は、生まれた時代や性別に左右されることは無い。【神の叡智】によって輪廻転生を繰り返した私には、はっきりと分かる、あれはエルフの最後の姫君だ」
「はいはい、輪廻転生だなんて……、大賢者様は、皇帝と一緒で化物なのね……」
大賢者から笑みが消え真顔になった。
「あんな、臆病者と一緒にして欲しく無いものだな」
「私から見れば一緒ね、あなたと皇帝、それに、教国の教皇もね」
「あんな者達と一緒にするな!」
「【鍵】が欲しいのは一緒でしょ」
「奴らの目的は、私と違って下らない、皇帝は自らの命欲しさに【鍵】を壊したいだけだ。教皇は神の顕現と教理の実現、そんな世界を誰が望む」
「そんなだから、教国から帝国は神敵って言われるのよ」
さらに、アンジェラは腕を組んで、
「私たち、【ホルス】の悲願、人の進化は、本当に【鍵】で出来るの?」
と詰め寄った。
「ああ、出来るさ」
大賢者は口角を上げ、不気味に笑う。
「そうだな、それに……この先は……、いや、君は、君で自由に動けば良い、今日は、ご苦労だったな」
アンジェラに背を向け、大賢者は奥の方へと姿を消した。
「一生、そこから、出て来ないで欲しいわね……」
彼女も足早に去って行く。
洞窟の外に出ると男達が三人、旅装束でアンジェラを待っていた。
「姉さん、次の仕事は何ですか?」
腰に剣を二本差す目の細い男が真っ先に声をかける。
「当分、自由行動よ」
「そりゃ、都合が良いですね」
「そうでも無いわ……、でも一つ収穫があったわ、私たちのささやかな願いぐらい【鍵】を使えば、簡単に叶いそうよ」
「うわわわ、姉さん、滅多なことは口に出さない方が……」
「どうせ、ばれてるわよ、相手は【神の叡智】、猛者揃いの【ホルス】を率いる化物なのよ」
アンジェラは、目の細い男、ゲールを抱き寄せると、彼のこめかみをグリグリする。
「姉さん、イタイ、イタイ、それに、これは、俺の……」
「大丈夫よ、私は【指揮者】、化物達には踊って貰うわ」
アンジェラは、ゲールを自由にしてやった。
「今日の、姉さん、何か、真面目だ……」
背中に盾を背負う男が先頭を歩き、腕を組み考え始めた。
「まさか、偽物……」
ゲールをポカッと殴ったアンジェラはご機嫌な様子で先頭を、イージスの盾を持つ、体格の良い男と交代した。
こうして四人の人影は、深い森の奥へと消えていく。
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