第84話 帝国の間者

 火は生活を豊かにする暖かな包容力と、その全てを灰にする残酷な激情を併せ持つ。

 その揺らめきは、魂そのものかも知れない。


 向けられた松明の炎が弱くなる。

 きっとイフリートの悪戯だ。


 銀髪から滲み出る赤い燐光が、淡い光を伴って火の粉のように大気の中へと飛び出していく。


 暴徒の勢いに陰りが見える。

【邪悪な姫君】のお伽話を思い出し、炎は、俺には通じないと悟ったのだろう。

 煉獄の炎を制し、その身を燃やし、神に抗おうとした女だ。


「炎は私に通じない」

 アイテムボックスからミスリルソードを取り出すと、「ひっ」という恐れの悲鳴があちらこちらから聞こえた。


 さっきまでの威勢は何処へやら……、

 臆病な奴ら。


「拾いなさい」

 剣を放り投げた。

 ゴミとはいえ、ミスリルだ。この世界でも貴重な物に違いないその剣は、その価値に見合った装飾が施された立派な剣。

 甲高い音を出し地面にぶつかると、それは少しだけ跳ね、残響を残しながら横たわった。


 ほんとは、武器ガチャ外れの聖剣を投げても良かったが、こいつらに装備は出来ない、残念だ。

 エクスカリバーなんて、ダース単位でアイテムボックスに眠っているのに……。


「どうしたの、その剣は、扱えるはずよ」

 ステ補正が付いた、その剣は、サービス開始当初のガチャ外れ。

「私に文句があるなら、その剣で直接語って見せなさい」

 顎をツンとして言い放つ。


 一人の男が松明を投げ捨て動いた。

「お前のせいで!」

 剣を拾い俺に斬りかかる。

 彼の剣は、俺の額に直接ぶつかる。


 男の表情が歪み、衝撃で手が痺れたのか剣を落とした。


 群衆が固唾をのんで見守る中、

「あなた、優しいのね」

 と男の肩に手を置いてねぎらった。


 俺の額から血が流れ出す。上着の袖でそれを拭く。


 彼は、俺に対して剣を振り上げたのでは無かったらしい。

 己の境遇の不甲斐なさに対してか……、とにかく、俺を傷つけるつもりは無かったようだ。


「そして勇敢ね、しばらくそこでジッとしてなさい」

 彼をそっとしておく。


 ざわつき、空気が残忍さを帯びていく。

 俺の血を見て勢いづいた者がいるようだ。


【ヒール】を唱え血を止めたが、流れた跡は消えないようで、彼らは、ひるむことは無い。


「馬鹿な女だ」

 剣の拾い主、その声に聞き覚えがある。

 いつも真っ先に声を上げ、皆を煽る男の声だ。


「【邪悪な姫君】の首は、俺が刈り取る」

 高らかな宣言が愚かしい。


 声を無視して、テラスからの眺めで気になっていた場所を目指す。

 愚かな男の斬撃が背中に当たるのを感じる。

 先程より鋭い振りが、男の素性を語っていた。

 こいつは、恐らく、帝国が放った間者の一人だろう。


「ご主人、置いてくなんて、ズルイッ!」

 首に重い衝撃が走る。

 チビが俺の首元に直接飛び降り乗っかってきた。

 彼女のスカートが顔にかかり視界を邪魔をし、女の子の香りが俺を包む込む。


 その最中も、帝国の間者は必死に俺に斬りかかり、諦めない。

 馬鹿な奴……。


「くそっ、なんでだ」

 背中から肩で息する間者の声。


「ご主人、あれいいの?」

 肩車状態のチビが尻尾をユラリとさせる。

「放っておきなさい」

「はーいっ」

 チビの太ももの暖かさを頬で感じながら、目的の場所についた。


 年端もいかぬ幼子が、汗にまみれたボロボロの服でそこにいる。

「大丈夫?」

 目線を彼に合わせる為に腰を屈める。

 少年は、母親らしき女性の服の裾を掴んで影に隠れ、それでも、好奇心には勝てず顔をそこからチョコンと覗かせた。


「お姉ちゃん、僕たちを殺すの?」

 彼の頭に手のひらを乗せてやる。

「そんな気は無いわ」

 女性の裾を掴む小さな手は荒れて、ヒリヒリと痛そうに見える。

 小さいながら必死で働く立派な手。


「偉いわね……」


【ヒール】で治してやりたいが、それは彼に対して、何か、失礼な気がしてやめた。

 イザベルの奴には、後で一言、言っておこう。


 彼女には、彼女なりの思いがあるかもしれないが……。


 それにしても、しつこいなぁー。

 帝国の間者は、相変わらず、俺を剣で叩いている。


 群衆も少し呆れているようだ。

「【邪悪な姫君】とその手下には天罰を!」

 虚しく声がこだまする。


「チビ、ちょっとその子をお願いね」

「あーい、ご主人、りょうかーい!」

 チビを両手で肩から子供のそばに下ろし、俺は、ゆっくり振り返り、帝国の間者と対峙する。


 チビの外見は、可愛い小さな女の子、しかも巨乳のケモ耳だ。

 子供といえど、男の子、チビの頭を恐る恐る撫でるとすぐに意気投合しそうな勢いだ。

 彼の初恋がチビにならない事を祈ろう。


「あなた、ちょっとしつこいわ、帝国の間者さん」

 振り下ろされた剣をしっかり掴む。

「戯言を言うな、小娘がぁ」

 剣を引き抜こうと必死な様子。


「おい、帝国の間者?」

「あいつが?」

「そういえば、あいつはどこの街の出身だ」

 たくみに潜り込んだであろう彼の素性の疑問が広がる。


 誰も彼の過去を見たものはいない。


「くそ! 帝国の奴ら!」

 ボソリとある者が呟いた言葉が、次々と伝播して、難民達を支配する。


 このままでは、彼は難民達の餌食だろう。


 それは、許せん、あれは、俺の獲物だ!


「あなた達は、黙ってなさい!」

 俺に注目が集める。


「帝国は、私に喧嘩を売ったのよ!」

 群衆から、数名が飛び出してきた。

 あちらこちらに潜んで、言葉で煽り、難民達を操っていた連中だろう。

 ナイフが俺の首を襲う。

 全ては当然、刺さらない。


「馬鹿な、この黒鉄の短剣、死神の祝福を受けた剣で歯が立たぬとは」

 何それ? すごいの? てか、俺の出したミスリルソードの方が性能が良いような気が……。


 男たちは、あっという間にチビが始末してしまった。

 その際、パンツがチラリと覗く、何か、俺より、オシャレなの履いてやがった。

 くそっ、いつの間に、チビの奴……。


 しかも、俺の見せ場を横取りだ。


「チビは、こっち来なさい、めっ!」

 お前は、そこの子供と一緒に遊んどけよ!


「えーー、チビも、暴れるっ!」

「いいえ、こいつは、私が仕留めるわ!」

 掴んだ剣を放し、男を突き飛ばす。


「いい加減、無駄よ、あなたの剣は、私には決して届かない」

 間者は倒れた仲間達を困惑した表情で眺めると思っていた。


 しかし、彼は高らかに笑う。


「まさかな……、カニング様には叱られるが、それは、もう、構わんだろう、後悔するが良い!」

 胸から何やら取り出し、それを、天に掲げ、そこから光が線状に放たれる。


 チッ、面倒な物を……!


「帝国を舐めるな! ギディオン様に頂いた、このクリスタルで、小娘共々、お前ら、全員、道連れだ!」

 あのクリスタルの色、そして魔法陣の出現、英霊召喚、しかも伝説級か……。


 黄金に輝くクリスタルから放たれた光が、天空に魔法陣を描き出す。


 ガチャの当たり画面に酷似した、光景を見ながら、俺の期待は高まった。

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