第70話 人々の物語

 舞台に立つ、伯爵に紹介された一人の少女に群衆の視線が集まった。


 彼女の容姿は整っており、とても美しいと形容して良いだろう。

 白い肌、庇護欲をそそる華奢な身体、輝くような黄金の髪に、遠目にもはっきりと分かる愛らしい大きな瞳、誰もが彼女の美しさを認めた。

 しかし、彼女の名を知る者は少ない、いたとしても、人前に姿を現さない第三王女の名としての認識だ。

 当然、無名で実績のない人物に、人々は不安を抱いた。そして、心無い呟きが、風に乗り、熱気を冷ましていく。


 この場が宴の会場であればその容姿に歓声が沸き狂喜したかもしれない。

 しかし、今は、いくさが迫っているのだ。


 この場に集った人々にとって美しさに価値は無く、それよりも、自らの運命を託せる強さが、何よりも、必要だったのだ。


 戦は日常を奪い去り、少なくない犠牲者を生む。

 敗れれば、もっと悲惨だ。


 己の、そして、大切な者たちの運命を、命を、それらを託すには、舞台に立つ少女は、余りにも無名で頼り無い。


 広場には溜息が広がり、やがて、沈黙に支配された。


 場が静まったのを見計らいバーナード団長が立ち上がる。

「姫様! 近衛騎士団、三百騎、昨日、御命令を授かりニーベルン城より、ユニコーンにまたがり馳せ参じました!」

 団長の口上は、人々に、二つの驚きを与えた。


 一つめは、ニーベルン城から交易都市までは、どんな駿馬を乗り潰しても四、五日以上掛かるということ、二つめは、ありえないが、ユニコーンという言葉が聞こえた事だ。


 しかし、驚けど、それらを、言葉通りに受け取る者は、いなかった。


 なぜなら、ユニコーンとは、角が生えた馬具を指しての比喩だろうし、一日で来たと言うのは、きっと嘘に違いなかったからだ。


 その証拠に、舞台の姫様と呼ばれた少女も動じる気配がない、きっと台本通りの演出だからだろう、そうでなければ無知な愚か者だ。


 茶番に呆れ、広場に背を向ける者が何人か出始めた。


「背を向ける臆病者は、王国から出て行きなさい!」

 レティーシアの澄みきった声は、広場を取り囲む建物に反響した。


 群衆は、どよめき、怒りの罵声を上げた。


「茶番はやめろ!」

「そんなんじゃ、帝国に勝てねぇぞ!」

「まんまと王都を落とされた王国に何ができる!」

「もう終わりだ!」

「姫さん、俺たちが逃げる時間ぐらいは稼げよ!」

 とか、あちこちから、一斉に、様々な揶揄が、レティーシアに石を投げるように、発せられた。


 レティーシアは、それでも動じない。


 舞台に堂々と立っている。


「王都が落ちたのは、何故かしら? そこのあなた、答えなさい!」

 レティーシアは、遠くで罵声を上げていた男を指差した。


 声で男はビクッとして、何やらブツブツと口ごもっている。


「聞こえないわ、ハッキリと大きな声で答えなさい!」

「弱いからだ……」

 男は、罵声を上げていた時の威勢を無くし、弱々しい声で返事した。


 レティーシアは、矢継ぎ早に、指差していく。


「隣のあなた、代わりに答えなさい!」

「そこのあなた!」

「あなたも!」

 刺された者たちは、皆、小さな声で返事していた。


 やがて、罵声は収まり、いつしか、群衆は緊張した面持ちで、レティーシアに注目しはじめた。


「皆、私の言葉を聞きなさい!」

 レティーシア姫の言葉を遮る者は、最早、誰もいなかった。

 彼女は、呼吸を整えると語り掛けはじめた。


「王都はなぜ容易く帝国に落とされたのかしら? 王国が弱いから? 違うわ、は弱くない!」

 レティーシア姫は、小さく首を振り、胸に下がる王印の首飾りの石を片手で握る。


 異を唱える者は無く、彼女の演説は続く。


「なぜ王都が落ちたのか? それは、王都に十分な戦力が無かったからです!」

 レティーシアの答えに会場の空気が冷たくなる。

 当たり前だ、それは、王国が帝国より弱いということだ。


 それでも、人々は成り行きを見届けようと、彼女を見つめた。


「聞きなさい!」

 彼女は、空いた手を大きく振り、一杯に広げると、さらに、言葉をつむいでいく。


「帝国は、同盟破棄を宣言する事なく、突然、王都に攻めて来たのです。それは、親しい友人に、背中を斬りつけられるようなもの。その上、帝国は、王都が最も手薄な時に攻めて来たのです」

 彼女の言葉で、人々は、帝国との長年の関係を思い出し、それを、一方的に壊し、突然、襲ってきたことに対して怒りの感情を覚えはじめた。


 レティーシアは、壇上の端まで進むと、

「帝国が、なぜ、そんな卑怯な手を使ったのか……それは……王国が帝国より強いからです!」

 と力を込めて言い切った。


「そうだ! 王国は強い」

 姫の言葉に初めて群衆はハッキリと返事した。


「バーナード!」

 すかさず、レティーシアは団長を名指しし、彼は直立不動で「はっ」と力のこもった返事をした。


「ユニコーンを乗りこなせるようになったかしら?」

 彼女は、悪戯な笑みを浮かべ質問した。


 三百頭のユニコーンは、広場に到着してから、いや、もっと以前、通りを行進中も、群衆の熱気に煽られる事なく、また、会場の雰囲気が変化しても乱される事なく、規律正しく整然としていた。


 それは、この世界に召喚された当時のユニコーンを知る者が見たら驚愕の光景だった。

 それでも、軍馬が整列する姿は、人々にとっては、当たり前で、驚きには値しない。


「多少は、乗りこなせるようになりました」

 団長は、何かを思い出し苦笑していた。


 ユニコーンに跨るだけでも大変だったに違いない。何しろ、あいつらは、レア度こそSRとゴミだが、その性癖は神話クラスの変態さんだ。

 男を、その背中に乗せるなど、相当な抵抗だったと想像できる。


「そうですか……なら、戦えますか?」

 レティーシアも同じ思いなのか、ふふっと笑う声が、微かに聞こえた。


「姫様、勿論でございます。御命令があれば、全てを滅して見せましょう」

 負けじと団長は、表情を引き締め、任せろっと、勢いよく自らの胸を叩き、ドンという音を、静寂が支配する広場に響かせた。


「なら、命じましよう」

 レティーシア姫は、小さく頷き、凛とした空気をまとった。


「不在の王に代わり、王印を持ち王国を統べる者として、私、レティーシアが近衛騎士団に命じます。すぐに、大河を渡り、陣を敷き、帝国を滅する備えをしなさい!」

 姫の命に応え、ひざまずいていた、騎士達が一斉に立ち上がり、自らの胸を同時に叩く。


 大音響が、人々の心に響く。


「騎乗せよ」

 バーナード団長の叫びに、騎士達は、同時にユニコーンにまたがる。


「騎士達よ、一陣の槍となり、我らが姫の命に応えようぞ! 出陣じゃ!!」

 団長は、腰の剣を抜き、港の方を指し示し、手綱を大きく振る。


 すると、バーナード団長が跨るユニコーンは、その身を淡く輝かせながら手綱に応え、その方角へ飛び跳ね、人々の頭の上を通り、広場を取り囲む建物の屋根に着地すると、再び跳ね、視界から消えた。


「団長に続け!」

 セシリアが騎乗するユニコーンが後を追い跳躍する。

 それに続き、次々とユニコーン達が飛翔していった。

 何匹かは、屋根までの距離を見誤り、建物の上部を突き破る。その猛々しさは、広場から数百本の巨大な槍が、放たれたようだった。


 人々は、唖然とした。

 まさか、本物のユニコーンだったなんて……


「私の言葉を聞きなさい! 王国には、聖獣ユニコーンの加護があります! 私達は、強い!」

 レティーシアの言葉に、人々は目を輝かせた。


 今まで、大人しくしていたジークフリードが、姫の隣へと移動する。


「我が名はジークフリード、我が大剣、バルムンクに誓おう! 我らニーベルンは、王国に忠誠を捧げ、姫に従い、帝国を討ち滅ぼさんという事を!」

 ジークフリードは、片手で剣を抜き、上空を真っ直ぐ突き刺す。

 天空から雷鳴が轟き、眩い光と共に稲妻が剣へと落ちた。

 稲妻をその身に受けたジークフリードは、衝撃によって生じた白い煙を漂わせながら、ニッコリと微笑んだ。

 群衆の中にいる婦女子達がうっとりとしている。


 ちっ、チーレム野郎、何をしやがった!


「私の言葉を聞きなさい!」


 俺が、心の中で舌打ちをし素直な感想を述べている間も姫の言葉は続く。


「【古の大戦】より最強と謳われた軍隊が王国にはあります。私達は、強い!」


「そうだ!俺たちは強い!!」

 人々は、騎士達が去った空き地を埋めるようにして、舞台へと集まってくる。


「私の言葉を聞きなさい!!」


 姫の声は、信じられないくらい良く通る。

 隣にいる、イザベルが俺の背中を叩き、強く前へと押し出す。


 不意を突かれて、舞台の隅でおっとっととバランスを取り、転落という悲劇を逃れた。

 イザベルを睨む為、後ろを振り返ようとした時、レティーシアから肩を掴まれた。


 思わず彼女を見つめると、出会った頃のような微笑みを見せた。


 彼女は、俺から視線を外すと、演説を続ける。

「私の従者の魔法使いを紹介しましょう、彼女の名は、ソフィア、偉大なる【北の魔女】と同等、いいえ、それ以上の魔力を持つ、私の魔法使いです」


「あれが、噂の【銀髪の魔法使い】」

「ドラゴンを一撃で倒したと噂の……」

「可愛い……」

 人々のつぶやきが聞こえる。


 やだっ、ちょっと恥ずかしいかも……


「さぁ、あなたの力を見せなさい!」


 えっ!

 ビックリして、レティーシアを見ると、


「さぁ!」

 彼女は、急かすように、俺の肩に置いた手に、ギュッと力を込めた。


 慌てて、空間から杖を取り出すと、人々がどよめいた。


 あらあら、この程度で驚いてくれるなんて……


「さぁ、あなたの力を見せて」

 姫様は、この程度では、満足してくれない様子だ。


 杖を掲げ、どんな魔法が良いか考えている最中に、悪戯な突風が、俺のスカートを狙う。


 きゃっとなり、顔が赤くなると同時に、思わず魔法を行使してしまった。


 それは、一番得意な属性魔法、その基本ともいえる、初級の魔法、ファイヤーだった。


 無制御に注がれた魔力は、巨大な炎を生み出し、空高く天空へと放たれた。

 天空の見えない壁に達した炎は、同心円状に広がり、空を隙間無く覆っていく。


 無意識に放った割に、美しく広がったことに、我ながら驚いた。正に天才の為せる技といった所だろう。


 俺の驚きを他所に、真っ赤な炎は、空を喰らい尽くし、赤く染めていく。


 そして、炎に魅せられた人々は言葉を失い、熱気は頂点に達していた。


「王国の民よ! 我が愛おしい民たちよ! 私に従い付いて来なさい!!」


「姫様!」

「レティーシア姫様!!」

 人々は、歓声を上げ、姫に同意を示した。


「王国の民たちよ! 戦いなさい! これより西の地を帝国兵が踏む事を許しません!」


 人々は、言葉にならない歓声で返事をする。


「王国の民たちよ! 戦いなさい! そして、王都を取り戻し、皇帝を倒しなさい!!」


「そうだ! 皇帝に死を!!」

「皇帝に死を!」

 人々の大合唱は、大地を揺らす。


 その合唱は、音量が大き過ぎて、俺の耳には、心地良いものでは無かった。

 エルフ耳が高性能だからだろうか、キンキン響くそれが、とても、気持ち悪い……


 しばらくして、レティーシア姫は、大歓声を背に、舞台を後にした。

 彼女は、王国を統べる為の戦いに勝利したのだ。


 労をねぎらう為、レティーシアの側へと赴くと、

「ソフィア、ごめんなさい……突然、あなたの力を借りて……」

 困ったように悲しげな表情でする彼女の謝罪に俺は戸惑った。


 そんな事ないと、声を掛けようとすると、彼女の胸の王印が光を反射し、それが、目に入ったので、顔を背けてしまった。


「ごめんなさい、気を悪くしたわよね……」

「そんな事ないわ、レティーシア、お疲れ様」

 王印が気にかかり、俺は、彼女の目を見る事が出来なかった。


「ごめんなさい」

 レティーシアは、再び、謝罪した。

 不味いと思い、今度は、ニッコリと微笑み、彼女の両肩に手を置いた。

「気にしなくていいわ、私はいつでも、あなたの味方よ」


 彼女は、王印をギュッと握って、

「ありがとう、ソフィア……」

 と小さな声で呟いた。




 広場に面した建物の影から、冷静に事と成り行きを眺めている者たちがいた。


「いつまで、空を見上げているですか、姉さん」

 すっぽりとその身を黒い布で隠しているが、細い目から放たれる眼光は、隠せていない。


「いいじゃない、ゾクゾクとする炎の余韻に浸ってるのよ」

 姉さんと呼ばれた女性は、指揮棒の杖を握りながら、うっとりと上空を眺めていた。


「手助けしてしたんですか? また、怒られますぜ」

 細目は呆れた様子で、女性を覆っている布を引っ張る。


「仕事は、ちゃんとするから良いのよ、せっかくの炎、美しく仕上げないと勿体無いわ」

「それにしても、エルフの姫さん、腕を上げちまったみたいで厄介っすね」


「そう……あの娘、弱くなってるわよ」


「また、またぁ、冗談きついっすよ。あと、よだれは自分で拭いて下さいね」

 細目は、あ〜あっと両手を広げ黒髪の女性を急かす。


「そうね、躍らせるのは好きだけど、巻き込まれるのは嫌いだわ」

【指揮者】の固有魔法を持つ女性、アンジェラは、面倒くさそうに言い放ち、

「皇帝には悪いけど、鍵は私達【ホルス】が手に入れるわ、壊させはしない」

 と呟いてから、ゲール達を連れて、通りの影へと消えて行った。

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