第63話 才女

 南部小国家連合商会の屋根は赤い。


 その赤は、他国と関わりながら生き抜くという意味が込められた蔓草つるくさがデザインされた赤い連合旗に由来している。


 一人の女性が腰に手を当て、壁に掛かる世界地図を眺めていた。


 彼女は、南の海洋国家の出身で、母国は、他の大陸とも交易があった。



 帝国に敵う国は、世界に存在しない……



 世界を知るからこそ、帝国は脅威だった。


 今では、お伽話で語られる「いにしえの大戦」、その大戦で、邪悪なエルフを滅ぼし人の世を取り戻したと、大戦のが建国した帝国は語っている。


 帝国に話は通じない、一度、癇癪を起こすと、武力で相手を黙らせる。


「まるで、小さな子供ね……」

 女性は、呟くと視線を左へ、帝国の西へと動かし、王都で止める。


「同盟を破棄するなんて……」


 帝国の王都侵攻は、彼女の母国を、また、母国が代表を務める、南部小国家連合を震撼させた。


 狙いは、交易都市、そして、


「世界征服なんて、皇帝は、馬鹿なのかしら……」

 彼女は、顎に人差し指を置く、幼い頃からの癖だ。


 今度は、王都から南東へ視線を這わせていく。


 行き着く先には、帝国の海洋進出を阻んできた教国がある。


「今代の教皇は、腰抜けね」

 彼女は、吐き捨てた。


 教国は、皇帝を神敵として、長年、その命を絶つ為に、帝国と戦争していた。


 絶対唯一の創造神を信仰し、人族至上主義を唱える彼らは、決して、死を恐れない。


 正に、狂信者だ。


 しかし、信仰の力では、国力差を埋めることは出来ない。


 帝国の海洋進出を恐れる国々が、教国を影で支援したからこそだ。


 視線は、大海を渡り、南の大陸へ、そこから、彼女は、全体を眺める。


 顎に置いた指先が、可愛らしい唇へ移動する。


 執事は、彼女の父親が愛でた主人の仕草で、頃合いを見計らい、声を掛けた。


「お嬢様、例の者たちが参りました」


「あら、帝国の間者さん達ね、思ったより遅かったわね」

 長い栗色の髪をなびかせ、女は、扉の方へ振り返る。


 美しい女性だ。


「では、こちらへ、通します」

 執事は、一礼し、部屋を出ていく。


 大商人を父に持つ彼女の名は、イザベル、歳は、二十歳はたちと若いが、本国から、この重大な局面を一任される程、信頼が厚い才女だ。


 部屋には、ソファーに腰を下ろすイザベルとその脇に老齢の執事が立っており、

 向かいには、黒髪、長身の地味な女性と、その連れの男、三人が武器を持たず無防備な姿勢でいる。


 部屋に招かれたのは、帝国諜報機関【ホルス】の工作員、アンジェラ達だ。


 しばしの沈黙の後、アンジェラが口火を切る。


「私達に何の用だい、洗いざらい話なっ!」


「あら、諜報機関ホルスでは礼儀を教えないようね」

 イザベルは、アンジェラを見下し笑う。


「小娘が調子に……」

「姉さん、姉さん、落ち着いて」

 目の細い痩せ型の男がアンジェラをたしなめた。


「姉さんに交渉は無理だ」

「そうだな、交渉は、ゲールの役目だ」


 筋肉質の男達の言葉に、アンジェラは、

「あんた達、リーダーは、私なのよ、だから」


「姉さんじゃ、無理だ」

「うむ、無理だ」


「な、なによ、私だって……」


「まあまあ、姉さんは、リーダーなんだから、交渉なんて雑事は、下っ端の俺に任せて、ソファーに腰を下ろして下さい」

 痩せた男は、イザベルを見つめた。


 彼女は、特に何も言わなかったので、痩せ男は、ほらほらと、アンジェラをソファーへと誘導する。


「あなたが、双剣使いのゲールね」


「俺も有名になったもんだ」

 細い目を更に細めて、ゲールは、笑顔を作った。


「あなた達は、帝国の間者として、一番有名よ」

 イザベルは笑顔を崩さない、アンジェラは「有名」と聞いて、とても嬉しそうだ。


 ゲールは、アンジェラの様子を残念そうに眺め、溜息を吐くと、


「南部は、傭兵を使ってレティーシア姫達を襲わせたようだが、狙いはなんだ」

 と問うた。


 その問いに、えっ! と驚いたのはアンジェラだ。


「流石は、ホルス、良い耳ね、伯爵から姫の身柄の確保を頼まれたのよ」


「それで、教国とつながりのある【赤い槍】を使ったと……」

 ゲールは、アンジェラの頭にコツンと拳を落し、彼女は涙目で、彼を見た。


「全滅したんだから、予想以上の失敗よ」

 イザベルは、成功するとは思っていなかったが、全滅では、正確な情報を掴むことはできない。


 特に、彼女は、レティーシア姫の従者、帝国の主力を殲滅した魔法使いの噂の真偽を確かめたかったというのが本心だ。


「それは、残念だったな、あれは、化け物だからな」


「あなた達は、何か知ってるの、銀髪の少女について?」


「銀髪の? ソフィアちゃんのことか、あの娘は多分あれだぜ、銀髪のハイエルフ、エルフの最後の姫だぜ」

 ゲールに、アンジェラは、こめかみをグリグリとされ、アワアワしていた。


 イザベルは、顎に人差し指を置いた。


 エルフの最後の姫君、大戦の物語に出てくる、邪悪な姫君のことかしら、


「まさか……ありえないわ」


 でも、エルフというのが本当なら、王国は、西に存在が噂される、エルフの国と手を組んだという事……


「皇帝は、エルフを恐れているのかしら」


「俺たちのボスが欲しいのは、王国の第三王女、レティーシア姫の命だ、これ、内緒なんだぜ」


「そんな戯言、本気にする人は、少ないと思うわ」


「そりゃ、そうだな、でも、本当なんだぜ」

 ゲールは、アンジェラを許し、彼女の頭をポンポンとしながら、更に語り続ける。


「最後に、イザベルちゃん、あんた、早く、南部に帰りな、帝国は、この町を攻め落とす、いや、焼き尽くすぜ」


「それは、私達、南部小国家連合は、手を出すなという事かしら?」


「まぁ、そういう事だ、確かに伝えたからな」

 ゲールは、アンジェラに立つように促した。


「御忠告ありがどう、感謝するわ……あと、あまり、変な噂は流さないで頂戴」

 イザベルは、彼らの背を見ながら忠告をした。


 ゲールは、片手を上げ、


「もう流さねぇよ、俺たちは、急いで、この町を離れるからな、巻き添えは真っ平だ」


 部屋から出ていった。


 イザベルは、再び顎に人差し指を置き考え始めた。


 彼らが流した噂は、南部が傭兵と接触したらしいというものだ。


 その噂のお陰で、レティーシア姫達は、南部小国家連合を警戒し、北部都市国家群を頼った……


 姫達を南部の船に乗せることは、できないだろう。


 隣の建物にいる髭のカラムの自慢顔が頭をよぎる、


 テーブルのお茶に手を伸ばし、


「あの髭、むしってやる」

 小声で呟いた。


 お茶を飲み干すと、


 髭の無いカラムを想い、思わず笑みがこぼれ、そのことに、苦笑した。

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