第58話 青年
綿のシャツに袖を通し、ジャケットを羽織る。
部屋の隅に置かれた小さな鏡で、栗色の髪に手ぐしをいれ、鼻の下に生やした髭を、指先で摘み、ピンッと左右に伸ばし整えた。
窓の外には、大河が見え、帆を立てた雄大な船が見える。
掲げられた籏から、南部小国家連合の商船とわかり、青年はため息をつく。
皿の上で、伯爵からの密書は、燃え尽きた。
青年は、その端整な顔立ちには似合わない髭をいじりながら、使用人が呼びに来るのを待っている。
なかなか来ない使用人に、皿の上で辛うじて耐えていた密書は崩れ原型を無くし灰となり消えた。
大河の船着場には、様々な建物が立ち並ぶ、
その一つ、青い屋根が目立ち堅実な雰囲気を漂わす商館の最上階にある窓辺に、外を眺めている髭を生やした青年はいた。
そこから少し離れた、倉庫街と水路で隣接した屋台には、大勢の人たがりが出来ていた。
「やるのか、やらねぇのか、はっきりしろ!」
上腕の発達した船乗り達は、血気盛んだ。
「そうだ、やれやれ!」
ジークフリードと、イージスの盾を背負う男との睨み合いは、賭けの対象にもなっている。
銀髪の少女と、黒髪の女性が串を口へと放り投げ合い、
「女がやり合ってるのに、てめぇら、それでも男か」
と船乗り達は、ゲラゲラと煽り、大喜びだ。
通りがかりの町人や、屋台の常連客も加わり、騒ぎは大きくなり始めた。
「やぁねぇ〜、喧嘩ですってっ!」
「誰か、早く、止めてっ!」
「ご主人、やっちゃえっっ!」
少なからず混じる婦女子は、無事に事が収まるようにと、祈りながら、目をキラキラさせはじめた。
絶対、説教だなチビの奴……。
「その背中の大剣は飾りかぁ、色男!」
野次馬の声に、やれやれと両手をジークフリードは手を振り応えた。
双剣使いが、ジークフリードに手を差し出した。
双剣の細い目が下がりシワがよる。
「とりあえず、この場を収める為と思って下さい」
彼は、作った笑顔で言うと差し出した手を上下に揺らす。
「てめぇら、それでも男か!」
双剣の仕草に、周りが憤慨している。
仕方ないとジークフリードは、手を握り返した。
野次馬達は、ちっと舌打ちをし、
「賭けは無しだ、無しだ」
と騒ぎながら解散し、それでも、幾人かは残り、時々、こちらに視線を送り、何やら噂話をしている。
「妹が世話になったな」
ジーク兄さんは、プンプンと、握った手に力を込める。
「妹?」
双剣は顔をしかめて、聞き返した。
その問いに、ジークフリードの視線は、後ろにいるクララに移してから双剣に戻した。
「えっ、あれが……」
「あの娘だ!」
ジークフリードは、更に力を込め、
「イテテテ、すまねぇ、いや、あれは、勘違いで……」
双剣の悲鳴に、周りが再びざわつく。
「イテテテ!」
「君たちが、ここにいる目的はなんだ?」
大声を出され、ジークフリードは、力を緩め、
双剣は、
「北部都市国家群の商人に会う為で、旦那達には、関係ねぇ」
と言い終えたところで、手を離され、その手を、ふー、ふー、といたわっている。
ふ〜ん、手にした串を食べ終え。
俺は、アンジェラに声を掛けた。
「嘘でしよ?」
「姉さん!」
双剣が、慌てて邪魔をする。
彼は、アンジェラの手を引き、この場から、すぐに離れる、の一択しか無いといった感じだ。
「次は、静かな所で会いたいものだ」
ジークフリードの物騒な笑みに、
「お互い、それは、避けましょうよ」
と双剣は、細い目を鋭くした。
ちぇ、つまないの。
しかし、アンジェラ達は、そこそこ強いので、ここでは、やり合いたくない。
一番、厄介なのは、あのイージスの盾だ!
「その盾、触らせてっ」
俺は、彼らと別れる時に、盾を背負う大男、確か、その名は、ゴリさん、の側に行き、後ろ手に組みながら首を傾げ、
駄目元で、
お願いっと、上目遣いを発動させた。
触れば、何か、弱点が分かるかもしれない!
「駄目だ!」
やめて、と彼は耳を赤くし、身体をよじらせて拒んだ。
残念だ!
せめて、語尾は「ウホ」にしてほしかった。
「じゃ、ちょうだいっ!」
前屈みで、腰を反らせ両手を広げ、ちょうだいっと突き出した。
ゴリさんは、かぁっと赤くなり、爆発しそうだ。
もう一押しっ!
「ちょ〜だいっ!」
ねっ、良いでしょっと更に口を尖らせて攻めてみた。
「だ、駄目だ!」
ゴリさんは、勢い良く逃げ出した。
ちっ!
「ねぇ、行き先、聞かなくて良かったの?」
イージスの盾を諦めて、ジークフリードに、顔を向けた。
「だいだい、検討はついている」
彼は、真剣な表情で、更に、言葉を続けた。
「君たちに言っておきたい事がある」
ジークフリードは、少し緊張しており、それは、まるで謝罪をしているかのようだ。
もちろん、俺は、こう言ってやった。
「こんな所ではダメよっ、それに、私は、物分かりの良いほうよ」
そう、俺は他人の性に対しては、寛容なのだ!
「そうだな……」
ジークフリードは、はにかんだ笑顔を浮かべ歩き出した。
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