第48話 雲と傭兵

 傭兵の思惑通りに馬車は、目の前で静かに止まった。


 厚い雲が空を覆いはじめ、風が湿った空気を運んでいる。大地に根ざす草達は、乾いたのどを潤せる期待にザワザワと喜び、踊っていた。


 草原を二つに切り裂く街道の真ん中に、馬車は静かに停車し、


 その御者台から降りた男達が歩く姿を、傭兵達は、落ち着いて観察していた。思惑通りの幕開けだ。

 傭兵は、歓喜したい気持ちを抑えるのに必死になり、雲は、低い唸り声を出し威嚇をはじめた。


「そこを、どいてくれないか?」

 大剣を背負った金髪の青年が、人懐こい笑顔を浮かべている。


 こいつが、ジークフリードか……、傭兵は、彼の想定通りの風貌に、自らの容姿を思いだし、下卑た笑みを浮かべた。


 彼は、鏡が嫌いだった。


 背は高く、身体は頑強で重心も低い、さらに、眼光鋭い強面は、相手を威嚇するのには充分すぎる程だ。


 傭兵としては、恵まれた容姿だろう。


 おかげで、今では、傭兵団の頭だ……。


 しかし、鏡に映る己の姿には、知性のかけらが微塵も感じられない。


 それが嫌で仕方がない。


 太い眉は、素朴さよりも、暴力を連想させ、黒い大きな瞳は、狂気しか感じさせない。

 極め付けは唇だ、だらし無く厚いそれは、どんなに取り繕っても、下品な事を連想させる。


 傭兵にとっては長所なり得るかもしれないが、その全てが嫌いで受け入れられない。


 一度、唇を隠す為に、髭を濃く長く生やしたが、手入れの行き届いていない、鏡に映るそれは、そのちぢれた毛は、下品、そのものだった。


 それ以来、鏡は見ていないし、髭は邪魔になれば、切る程度だ。


 そんな彼は、思慮の足らない愚か者は嫌いで軽蔑していた。


 自らは、伝統や礼儀、過去の偉人が説いた定石などに捉われること無く、独創的な発想で、適切な手段を用い、目的を達成した。


 常に考え、策を巡らし、事を成してきたのだ。


 それ上に、自らの容姿は、嫌いで、失望していた。


「退かせてみろ」

 ジークフリードの呼び掛けに、軽い挑発で返した。


 傭兵は笑みを浮かべ、きっと目の前の青年も、それを下卑たものと感じ、不快に感じているだろう、と想像し、少し愉快な気持ちになり、


 剣を抜いた。


 それを合図に、遠くに配置した仲間達が矢を放つ。


 狙いは、馬と、目の前で、余裕ぶっているジークフリードだ。


 馬に向かった矢は、得体の知れない何かに防がれ、ことごとく地に落ちた。


 ジークフリードの頭を正確に捉えていた矢は、目的地に到着する直前の空中で捕まえられていた。


 ジークフリードは、横からくる矢を一瞥いちべつすることなく、片手で、矢の腹を掴み防いで見せたのだ。


 後ろに控えていた黒髪の青年は、その光景に、驚いた様子はなく、ゆっくりと剣を抜いている。


 こいつも中々の腕のようだと思い、それよりもジークフリードの行いに確信した、


 報酬は必ず支払われると。


 放った矢には、仕掛けがしてあった。


 彼が考案した、貫通力を上げる術式のエンチャントが施された矢だ。


 鉄の鎧を軽々と貫き、そのエンチャントの副産物で、速度も格段に早い。


 それを防いだ馬も、魔術的なにかを施されたいるのか……、しかし、帝国の黒騎士も防いだのだから初めてではない……、大したものだが、掴まれたのは、初めてだった。


 大将首、五人分の価値は、確かにある。


 目の前にいる青年は、気に入らないが、まさに一騎当千。

 一人で、たった一人の、その実力のみで、万と万の軍勢が殺し合う、大戦の戦局を変える事が出来る男。


「珍しい贈り物だな」

 ジークフリードは、掴んだ矢を無造作に、地に捨てる。


 矢は、再利用されないよう細工された羽が折れ横たわった。


 使い捨ての矢だ。

 教国でも、それを、よく揶揄された事を思い出す。


「気に入らなかったか?」

 傭兵は、笑みを浮かべたままだ。


「もしかして、君達は傭兵団の【赤い槍】か……確か、教国に飼われていると聞いていたが……」

 ジークフリードも笑みを返す。


「教皇の腰抜けが、皇帝と和平を結びやがったからな」


「そうか……では、君が頭なのかな? 今の飼い主は誰だ!」


 ジークフリードは、言葉の勢いとは裏腹に、未だ、ゆっくりとした歩調で、傭兵団の頭らしい、だらしない笑みを絶やさない男へと、距離を詰めていく。


「一つ目の質問は正解だ」

 頭は、ジークフリードの足元を見つめた。


 ゆっくりとした歩調。


 自らの風貌が、彼の油断を誘っているに違いない。


 まったく、一番嫌いな容姿が、長所の一つとは、滑稽なことではないか……。


 複雑な感情を抱きながら、向かってくる青年を凝視する。


 傭兵団の頭が、手をあげると、ジークフリードの歩みが止まった。


「兄ちゃん、油断し過ぎだぜ」

 傭兵の言葉に、ジークフリードは、顔をしかめた。


 彼の足は、大地に吸い付き離れない……。


「さっきの矢は挨拶だ、この贈り物は、簡単には、捨てれないぜ、大切にしてくれ」

 少し前に進み出て、傭兵は、ジークフリードの喉元に剣を突きつけた。


「後ろの兄ちゃんも、剣を捨てな」

 傭兵の低い声に、空の黒い雲は、唸り声をあげ、エドワードに一粒の冷たい水滴を落とし浴びせた。

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