8-3
黒い虫が飛んでいる。丘の向こうに太陽が落ちて行く途中だった。
納屋の前にエリオット、アンナ、デイジーがいた。
周りを確認する。夕日に染まった村があった。
遠くの畑には、鍬を持った人の姿が小さく見える。
「過去に来たのか」とエリオット。
「さっきは夜。今は夕暮れ。村人もいる。これは過去だ」
アンナが言った。
「アントーニオはどこへ行った」
エリオットが言う。
「目の前の納屋だろ。な? デイジー」
「そうだよ」
デイジーが言った。「中へ入ればわかる」
「それじゃ遠慮なく行くぞ」
アンナが扉を蹴破ろうと足を上げる。
デイジーの表情、言葉のトーンに含みがあった。気にならなくもない。
だが猶予があるとも思えなかった。
エリオットは釜の中のデイジーを見た。何も言いそうにない。
剣を抜き構える。
アンナが扉を蹴破った。
「アントーニオ、こんなところで会うなんて奇遇だな」
納屋へ突入した。
敷き詰められた藁と水桶。脱ぎ捨てられたボロボロのシャツ。鍬、縄、槌、それに耕作具が壁に並んでいた。
アントーニオが立っていた。右手にモロウ・リー盗賊団のナイフ、左手に惑星の書下巻を持っている。
その向こうには裸の少女と、成人した男女いた。
成人した男はたっぷりの口ひげを蓄えて腹が出ていた。全裸のまま首から血を流れて、垂れた胸と膨らんだ腹を染めていた。手には鞭が握られていた。
女は服を着ているが、背中にナイフが刺さっており、うつ伏せのまま目を開いて動かない。
二人とも死んでいた。
裸の少女は泣いている。目は開かれているが、焦点が定まっていない。呆然とし、何も見えていないかのように黙って涙を流していた。身体には赤い痣が無数にある。
その顔に見覚えがあった。
「エリオット、気づいたかい?」とデイジー。
器用に背骨を足のように使って釜から出てくる。
「あぁ。わかったよ」
エリオットが言った。
「アントーニオ――」
デイジーが言った。「うちらの両親を殺したのはあたしなんだよ」
■
「デイジー。どうして殺したんだ」
振り返る。アントーニオの声が震えていた。
「あの子は、お前は?」とアンナがデイジーに聞いた。
「そうさ」とデイジー。
「どういうことだ?」とアントーニオ。「なんでこんなことを」
「見ればわかるだろ。あたしと父さんは服を着てないんだよ」
デイジーが言った。「父さんはそういう人で、母さんは見て見ぬ振りさ」
つまりそういうことだ。
「酷いな」
エリオットは呟いた。「見るのも辛い」
少女デイジーは黙っている。
「お前らの親は実の子を甚振る変態だったんだな」とアンナ。
「アントーニオ、あんたは小さかったから知らないけど、この二人は本当の親じゃないんだよ。私たちの叔父と伯母さ。本当の両親はあんたが生まれてすぐに流行の病で死んだんだ」
「なんでそれを言ってくれなかったんだ」
アントーニオが叫んだ。手にはモロウ・リー盗賊団のナイフ。「私はずっと父さんと母さんを想っていたんだよ」
「あんたのためさ。こいつらは――、アントーニオ、あんたには優しかった。私には酷いことをたくさんしたけど、なぜかあんたは可愛がってた。だから私だけが我慢すればいい、そう思ってたんだよ。もちろんあたしはこんな奴さ。我慢できなかったけどねぇ」
「だから殺したのか」
「そうだよ」
デイジーが言うと、アントーニオは叫んだ。「だから殺した」
「全てを捧げてきたんだ。人生の全てを捧げて、父さんと母さんを取り戻そうとしていた。何十年とかけて死霊術も学んだ、それが駄目とわかったら今度は過去に行く方法を探した。金も時間も使ったし、苦痛も屈辱も味わった。人生の楽しみの全てを捨てて、父さんと母さんを救うために生きてきたのに」
「もういいんだよ、アントーニオ」とデイジー。「終わりでいいじゃないか。自分の人生を生きるんだよ」
「デイジー」
アントーニオが呟いた。
「もうわかったから、惑星の書を返せ、クソ野郎」
アンナが言った。
「お前の命はとらないから」とエリオットが付け加える。
「しつこいな」
アントーニオは笑みを浮かべ、左手にある惑星の書を差し出した。
「残念だったな、アントーニオ」とアンナが受取ろうと近づいた。「お前の人生は全部無駄だ」
「はは」とアントーニオが笑う。
「こいつおかしくなったぞ」
エリオットが言った。
「ふざけるなよ。私の人生はこんなことじゃ終わらない」
アントーニオの叫び。
惑星の書をアンナに向かって投げつけた。
錯乱している。アントーニオの目が血走っていた。納屋の隅にいる少女デイジーに向けて覆いかぶさるようにナイフを振り上げた。
「待て」
エリオットとアンナが飛び出した。
少女デイジーは動けない。
アントーニオが手を振り下ろす。
「やめろ、アントーニオ」
デイジーの叫び。首から垂れる背骨をしならせて、飛び出した。デイジーがアントーニオの首筋に飛びつく。
アントーニオの動きが止まった。
膝から崩れ落ちる。
首に噛み付いていたデイジーがこぼれ落ちた。
アントーニオも床に突っ伏す。痙攣をして泡を吹いている。
「エリオット、アンナ――」
デイジーの声は小さい。「あたしは無事かい?」
「お前は生首の死にかけだ」とアンナ。
「こっちじゃない。あっちだよ」とデイジー。
少女デイジーを見た。
「腕を切られてる」とエリオット。「だが生きてる」
「そうかい。よかった。実のところ、今夜のことは良く覚えてなかったんだよ。この日、何が起きたのか。あたしの記憶は両親を殺したところで止まってるんだ」
「殺したことも忘れとけ」
エリオットが言った。「小さい子には辛すぎる日だ」
「エリオット、あたしはこれから一度死ぬ。たぶんアントーニオが死ぬからだと思う。魔力が切れるんだ」
「二度も死ねるなんて羨ましい」
不老不死のアンナが言った。
「あれ、毒か?」とエリオット。落ちていた惑星の書を回収する。
「解毒剤を持ってるだけじゃ毒牙のデイジーにはならないよ。毒を仕込んだ牙があるから、毒牙のデイジーさ」
「なるほどな。解毒剤は毒を盛った相手への交渉のためか」とアンナ。
「仕事だからねぇ」とデイジー。「けど上手くいくんだ、これが」
「遺言は?」
エリオットが言った。「人の為に生きる期間中だから聞いてやる」
「今のうちに小さなあたしを連れ出してくれ」
デイジーが少女デイジーを目で見る。
「あんたは俺たちに連れ出して貰ってばっかだな」
エリオットが言った。
「何とでも言っとくれよ」
「そろそろ死ぬか? 他は何かないのか?」とアンナ。
「あんたら、ありがとね」
デイジーが呟いた。
「らしくないな。文句とか汚い言葉に言い直せよ」
エリオットが言った。「死ねとか馬鹿とかクソ野郎とか。盗賊らしくないぞ」
デイジーは喋らず、動かない。
「くたばったぞ」とアンナ。
エリオットは生首デイジーから髪飾りを外した。
「その子に。必要なものだ」とエリオットはアンナに渡した。
「そうだな」
「アントーニオも死んだ。惑星の書も回収した」
エリオットは言った。「俺は外で待ってるから、小さいデイジーに服を着させてくれ」
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