2-3
エリスタを出て、辺境の街カイロノフへと向かう。再び国境を越え、ミッドガルドへ戻った。来た道を戻るのは堪える。ろくに睡眠も取れていない状態だと尚更だった。じわじわと体力が削られていく。
「馬に乗ったまま眠れる」とエリオット。
「じゃそうしろ」
並走するアンナは器用に右手で手綱、左手で松明を持ち、視界を確保しながら走る。
「トマスとコリーンはどうなってると思う」
エリオットが呟いた。
「それを聞いてどうする」
「さぁ」
「モロウ・リー盗賊団については知ってるよな?」
「あぁ。国境を行き来する厄介な奴らだ。ミッドガルドとサウスターク、両国どちらも手を出せていない。あっちで盗んで、こっちに逃げる。こっちで盗んで、あっちに逃げる」
「だが奴らは大衆人気がある」
「人を殺さないからだ。奴らは盗むだけ。そして貧乏人からは盗まない。確かに市民が嫌う必要もないよな」
「それじゃ話を戻す。トマスとコリーンは、人を殺さない盗賊団に誘拐されたらしい」
「つまり無事ってことだよな。だけど――」
エリオットには簡単に物が運ぶとは思えなかった。
「不安か? 死んでてもいいだろ」
「死体を見るのは慣れてる」
「だろうな。死体を作るのが仕事だったんだからな」
「奴らの頭が死んでる。団長のデイジーが死んだ盗賊の群れが制御可能とは思わないんだ」
「新しい団長は新事業の誘拐を始めるくらいだからな」
「そこなんだよ」
「つまり、トマスとコリーンは死んでる、と思いたいのか?」
「生きてると思ってる」
エリオットは言った。
「矛盾だ」とアンナ。
「希望だよ」とエリオットが返した。
■
翌日の朝、カロイノフに着いた。
「むちゃくちゃ疲れた」
エリオットは指先で伸びた顎髭を抜く。「もうやだ。もう歩きたくない」
「歩け、怠け者」とアンナにケツを蹴られた。
「クソったれ」
歩き出す。
カロイノフはサウスタークに最も近いミッドガルドの都市だった。辺境の街だが、寂れているわけではない。中規模程度で、サウスターク民などの姿も多い。だが最も目立つのは、兵士の数だった。辺境の街だけあって、国防の観点からか、他の同程度の街とは比較にならないほど兵士が多い。
早速、よそ者のアンナとエリオットに、街を守る警備兵の視線が飛んできた。
「余計な騒動は起こすなよ」
釘を刺す。
「私は子供か」とアンナ。
不服そうだ。
「パントの居酒屋を探そう。どこか伝手はあるか?」
アンナならありそうだ。
「ルーベンから紹介状を預かってる。長老派の教会に行けば、快適な寝床、食事、そして情報が手に入るらしい」
「さっきの町で使えよ」
温かいベッド、滋養強壮のある食事。瞼の裏に浮かべるだけで涎が出てきた。
「エリスタはサウスタークだ。長老派の教会がない。使えないものの存在を教えたほうがよかったか?」
「いや、賢明な判断だ」とエリオット。「とにかく教会へ行こう」
「たぶんあの塔だろう」
街の中央にある塔をアンナが指した。鐘が見える。
「少し距離があるな」
ため息。
「これくらい歩け」
■
「聖グランディエ教会へようこそ。アンナ様、エリオット様、さぁどうぞこちらへ」
紹介状の威力は絶大だった。司祭はすぐに警戒心を解き、アンナとエリオットを客人として扱った。
司祭の名前はオルソンといった。鼻の先が赤い、白髪の老人だった。健康そうで肥えている。声がどこか子供っぽく高い。人当たりの良さそうな男だった。
「食事が欲しい」とアンナ。
早速、要求するあたりこの女らしい。
「えぇ。すぐに用意が出来ますよ。食堂はこちらです」
オルソンが案内する。
質素な灰色の食堂。石のテーブルの脇に椅子が並べてある。豆のスープとキャベルの塩漬けにパンが出てきた。肉はない。温かい食事が出てきただけ幸運だ、とエリオットは自分を励ました。
「不服そうだな」とアンナ。
この女は何でもわかる。
「まだ何も言ってない」
「そうか」
アンナは言ってから「これは本当に不味い」と言う。
「なら俺が言えばよかった」
オルソンの表情を見た。笑顔が引きつっている。
「オルソン司祭、私たちがここに来た理由はわかっているか?」
「いえ。何も伺ってはおりません」とオルソン。
「紹介状にも書いてなかったろ?」
「はい。左様です」
「つまりそういうことだ。オルソン司祭。街で一番の教会を統括するあんたなら、私たちが長老派でどういう役割を果たしているかわかってくれるかな?」
「深くは聞きません。アンナ様、エリオット様」
「そこにいる同士を外へ。私たちだけで話をしよう」
部屋の隅に突っ立っていた食事を給仕した修道士を外す。オルソンが目配せすると、若い修道士は何も言わず食堂から出て行った。
「オルソン司祭、私たちはモロウ・リー盗賊団を探している。情報はないか?」
アンナが言った。
「盗賊団の情報はないです」とオルソン。「デイジーの処刑が関わっているのでしょうか?」
「深く知りたいか?」
「いえ。ここまでで」
「パントという男は知りませんか? この街で居酒屋をやっている男です」
今度はエリオットが言った。
「居酒屋はごまんとあります。お力になれずにすいません」
「役立たずが」
アンナが言った。「不味い飯に情報一つも持ってないのか」
悪態を吐かせたら世界一だ。
「ただ居酒屋は、ドノヴァン通りにしかありません。街の法律で決まっているのです。夕刻までお時間を頂ければ、お調べすることができると思います」
オルソンは言った。自信があるようだった。
「任せる」とアンナ。「それじゃ私たちは夕方まで休むとしよう。どうせ居酒屋が賑わうのは日が暮れ始めてからだ」
「たまにはまともなことを言うんだな」とエリオット。
「お前が言葉を理解しているとは思わなかった」
「ずっと同じ言葉で喋ってた」
「クソむかつく顔しやがって」
「それって単なる悪口だろ」
「そうだ」とアンナ。「問題あるか?」
「あんたは何も感じないのか?」
「無だ」
「長く生きるってのは嫌だね。色んなことに鈍感になる」
それから黙って食事をして、寝室へ。
■
目覚めて、アンナと合流する。教会の外にある広場。数時間眠っただけで体調が全然違う。
「パントの店はわかったのか?」とエリオット。
「しっかり調べたらしい。詳細な地図もある」
アンナが紙切れを見せた。
「あのオルソンっていう司祭もなかなかだな」
「人当たり良さそうだが、誰もがそうであるように、あいつにも裏の顔があるんだろうな」
「相変わらず教会は腐ってる」
歩き出した。「とりあえずドノヴァン通りだろ?」
「あぁ。通りに入って右手側、四つ目の路地を入ったところにある店らしい」
ドノヴァン通りへ進む。
近づいてくると鼻を突くような匂いが漂ってきた。発酵した香り。
「酒は世の中を悪くしている」
通りに溢れる酔っ払いたちを見てエリオットが言った。「真面目な連中なんて一人もいない」
「お前、ロドマンに攫われた夜、相当飲んでいたらしいな」
アンナが言った。
「確かにあの夜は飲んでいた」とエリオット。「悲しい夜だった」
「詩にもなってない。耳が腐る」
「パントの店へ行こう」
野太い声、千鳥足の男たちをかき分け通りの中へ。四つ目の角に来た。
「ここだ」とアンナ。
路地へ入る。細い道だった。蜘蛛の巣が張ってある。足元には割れた瓶が転がっていた。通りから一本入っただけで印象が随分変わる。
扉があった。隅が黒ずんでいる。カビだった。
「なんかいやーな店だな」
エリオットが言った。
「外で待ってるか?」
「もっとやだ。一人になりたくない」
「行くぞ。飲み屋だ。飲めばいい」
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