第4話
「で、報告なんですけど。次の現場は株式会社ニコールホールディングス。今時珍しく順調に業績を伸ばし続けている衣料品メーカーです」
真白は報告内容をしっかりと暗記できているらしく、何も見ずに淡々と口にしていく。
俺達は当然のようにそれを聴き、一つ……彼女の報告の中にきな臭い部分をみつけた。
「へぇ。このご時世に業績を、ねえ?」
「よほど上手く仕事をさせてるんだと思ってやりたいが、発症者が出た後じゃな。大方、労働基準法違反ギリギリの業務をさせているんだろう」
しかし。
「と、思うじゃないですか」
俺達の予想を真白はあっさりと否定した。
「この会社、クソ真面目に労働基準法を守ってますよ。社員の平均労働時間なんて全国平均下回ってますし……こういう会社にだけは務めたくねぇですねぇ」
直後。彼女の言葉に俺は疑問を抱く。
「ん? ちょっと待て。なら、どうして発症者が出た?」
俺達が追う発症者とは、過重労働感染症と呼ばれる病に感染し発症させた者たちのことだ。
この病はその名の通り、主に過ぎた労働によって発症する感染症である。
だからこそ、病は『社畜病』発症者は『社畜』なんて俗称で呼ばれるのだ。
つまり、発症者が働きすぎていないなんてことは本来ありえない。
不可解な状況に、俺は首を捻った。
だが。
「そりゃお前、今回は労働以外の何かがトリガーになったんだろうよ?」
俺とは違い、武藤さんは一人静かに推測を進めていく。
「社畜を発症させる馬鹿どもの大半は働き過ぎが原因だ。だが、働くことで生じる肉体的負荷だけが発症の原因になる訳じゃあない」
うつむけていた顔を上げ、武藤さんは真白へと向き直った。
「なあ、真白。今回の発症者、何か職場でひどくストレスになりそうなことはなかったか?」
真白の口元が、ニッとした笑みに染まる。
「一個、直接的ではありませんけど、ストレスの要因になりえることならありますけど」
「間接的な要因ということか?」
「はい。ただしこれは私の推測ですし、確証じゃないんですけど」
と、念を押すように前置きし、真白は話し始めた。
「ニコールはここ数年で業績を伸ばしていますが、それにはタチカワというデザイナーの入社が深く関わっています」
「タチカワ?」
「はい。一昨年あたりから海外で名前が売れ出した若手のデザイナーです。きっかけはタチカワのデザインした下着が海外の映画作品内で使われたこと。映画は日本でも上映されましたし、当時は宣伝を兼ねたニコールとのタイアップCMも長期間放映されていました。たぶん、武藤さんなら見てるかも」
「映画? 一昨年のか?」
真白の話を聴くと、武藤さんはあごに手をあてて唸る。
「うーん?」
短い間を置き。
「えっと……ほら、あのアビなんとかって女優の出てた……」
急に歯切れの悪くなった真白のヒントを聴くなり。
「アビー・リー! あの映画か!」
武藤さんは答えにたどり着いた。
「そうです! それそれ!」
「アビー・リーの出た映画なら知っている。確かに下着のタイアップCMも流れていたな。あれがニコールのものとは知らなかったが」
「武藤さんよく覚えてましたね」
「ああ、まあ。連れと一緒に映画館まで見に行ったしな。というか八代、俺がというよりもお前達が仕事以外のことに無関心過ぎるだけだ」
思わぬところで小言を食らってしまう。
しかし、武藤さんはすぐに真白へと向き直り、話を本題へと戻した。
「で、そのタチカワや映画がどうしたんだ? まさか、名が売れて有名になったことにプレッシャーを感じてタチカワが発症したとでも?」
『納得はできない』
そんな武藤さんの不満が声色から窺える。
が。
「え? いや、違いますけど?」
即座に「そんな訳ないじゃないですか」と、真白が間の抜けた声を出した。
「お、お前なぁ……」
意識的にやってはいないだろうが、傍からは真白が情報を小出しにしているせいで、武藤さんがすっかり翻弄されてしまっているように見える。
「そもそも、タチカワは今回の発症者じゃないですし」
そんな中。
「ん? 今回の発症者は、タチカワじゃねぇのか?」
ふとした拍子に、俺は一つの閃きを得た。
「……なあ、真白。今回の発症者、ひょっとしてそのタチカワと同期か?」
閃きのきっかけは若手のデザイナーである彼の『入社』という点だ。
呟くような俺の問いかけ。
武藤さんが「あぁ……」と声を漏らし、真白はニカッと歯を見せて笑う。
「やぁっとわかりました? 先輩っ」
なぞなぞを出題した小学生みたいなその頬を、俺はぐにっとつまんだ。
「い、いひゃいっ。先輩、いひゃいんですけど!」
「なるほどな。活躍する同期への嫉妬。それがストレスの原因か」
「ええ。しかも、今回は労働時間の短さが発症を招いた……いや、促進させた稀なケースですねこりゃ。働く時間が短い。成果をあげられない。結果、余計にタチカワが目に付くようになる。焦れば焦るほど労働の短さ、詰まらない距離感に悩まされ精神的負担になる」
「ああ、見事な悪循環だ」
「いひゃいぃっ」
真白をほったらかしにしたまま、俺と武藤さんはハマるべき部分にカチリとパーツがはまっていく感覚、推察が確信へ変わる瞬間を味わう。
それから真白が暴れだした頃、そっと頬から指を離してやると。
「もうっ! 先輩のバカッ! 社畜! ふにゃちん!」
彼女はぽいぽいと暴言を吐き出した。
「おいおい、そりゃ俺に対するセクハラだろ」
「それより真白! 報告の続きだ!」
「もうっ! そんな訳で、今回の発症者は二十代男性。タチカワと同期入社のアタラシスグルです。二週間前に初期症状改善のためのセラピーを受けていますが、以降の受診記録はありません」
「おうおう。そりゃまた、ずいぶんと症状が進んでそうだな」
「ニコール社員からの通報によると、現在アタラシは応接室にて隔離されているようですが、部屋の中で『出せ! 働かせろ!』と暴れ叫んでいるとのことです」
「働けないことへの苛立ち……暴れているなら発症濃度は150以上か……? こりゃ、セラピーの受診勧告だけじゃ済みそうにないな」
疲労の滲む武藤さんの声を聴くと、真白の耳がぴくりと反応する。
「つまり?」
嬉しそうに頬を緩ませ、彼女は武藤さんへと詰め寄った。
「今回も荒っぽくなるということだ」
次の瞬間、ふいに真白は俺へと目線を流し。
「ですって、先輩。楽しみですね」
そんな、当たり前の同意を求めた。
直後。
「楽しむな馬鹿どもが」
ベしんっ、と武藤さんのごつい手が俺達の後頭部をはたく。
「まあ、なんだ。油断はするなよ? 労災は降りるが……社畜になった奴の長期休養は、地獄だぞ?」
暗に『ケガはするなよ』という武藤さんの気遣いを受け、俺達は現場へと足を踏み入れた。
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