第3話
「でも、まさか次の現場が目の前なんて……すごい偶然ですし、びっくりなんですけど」
歩いて数分。
だんだんと近づいてきたニコールホールディングスのビル見つめて真白が言った。
すると、武藤さんはやれやれと肩をすくめる。
「偶然とは少し違うな。むしろ仕向けられたと言って良い」
「しむける? ですか?」
「そうだ。発症者の取り締まりは速度が命だろ? 新しい奴を本部から向かわせるよりも、現場の近くにいた俺達をそのまま急行させた方が良いと上が判断したんだろう」
「ああ、なるほど。そりゃまあ、こっちに任せた方がよっぽど合理的でしょうしね」
俺は納得し、そりゃ仕方ないと上の判断とやらに頷いた。
しかし、どうやら武藤さんは違うようだ。
「おかげで、俺の部下が立て続けに仕事をすることになったがな?」
彼は舌打ちをし、苛立った様子で太い犬歯を見せながら歯をくいしばる。
「くそっ、お前さんたちの発症濃度が上がったらどうしてくれるっ」
武藤さんは吐き捨てるように言い、まるで人斬りみたいな顔になった。
表情のせいでわかりにくいが、この人は俺達を心配してくれているらしい。
だが、いささか大仰すぎる。
そう思い俺は、武藤さんへなだめるような言葉を送った。
「まあまあ落ち着いて。流石に一つ二つ仕事が増えたくらいで濃度はあがりませんって」
「だが、しかしだなぁ――」
直後、俺の意図を察してか、真白も会話に加わる。
「そうですよ、武藤さん」
しかし。
「武藤さんてばちょっと考えすぎですし! あたし的にはむしろ、やった! 仕事が増えてらっきぃ♪ って感じなんですけど」
彼女は、見事に地雷を踏み抜いた。
「バカっ、真白!」
「ひっ――」
「お、お前らあっ!」
野獣を思わせる瞳が俺達を獲物であるかのように捉える。
冗談じゃないっ。
真白の失言で巻き添え食うのはごめんだ!
「む、武藤さん!」
慌てたせいか声がうわずる。
だが、俺は構わず武藤さんへ弁明を取り繕った。
「こうなった以上、さっさと仕事を終わらせる方がずっと負担軽いですって!」
いや、弁明というよりは話題のすり替えか。
しかし、これは武藤さんの耳に十分届く内容だったようだ。
「それは、確かにそうだが……――」
穏やかになる彼の語気。
「――……いや、その通りだな」
続く言葉に、俺はほっと胸を撫でおろす。
「お前さんたちを怒鳴っても意味がない。今回の件、戻ってから然るべき相手に抗議する」
危機を脱した安堵から、ふっと肩から力が抜けた、その時。
ちょいちょい……。
と、真白が服の袖を引っ張ってきた。
「?」
振り向いた途端、彼女は俺を自分の方へと引き寄せる。
真白はくいっと背伸びをして俺の耳元へと顔を寄せ……。
「あの、先輩……フォロー、ありがとうございます」
直後、俺は吐息や言葉のこそばゆさに思わず身を退いた。
先程まで強張っていた真白の頬が緩んでいく。
彼女はやわらかく、まるで飴細工を溶かしたようにきらきらと笑った。
だが――。
「そうだお前ら。念のため、明日は半休とらせるからな」
そんな武藤さんの気遣いで、彼女の表情がどう変化したか……言うまでもないだろう。
「そ、そんなぁっ! あんまりなんですけどぉっ」
真白は宝物を盗られた子どものように叫び、ぐずぐずと鼻をすすりだした。
泣きべそかいたところで、武藤さんの考えが変わるわけでもあるまいに……。
「泣いても譲らんぞ。こればかりはお前さんたちの健康のためだ」
「うっ……ちくしょぅ……」
真白が唇を噛みしめながら、目に涙を溜める。
泣くほど仕事がしたいか、お前は……。
すると、武藤さんが見ていられないというように「はぁ」とため息を吐き。
「あー、真白?」
「なんですか……」
彼は新しいおもちゃで子どもをつるかのごとく、真白に別な仕事を与えた。
「明日のことも良いがな。お前さん、先に目の前の仕事をしなきゃならんだろう?」
「ぐずっ……めのまえの、しごど?」
「そう、仕事だ。車中で聞き損ねた報告の続きを頼めるな? もし、できないのなら――」
「ほ、ほうこく――できますしっ! めちゃ余裕なんですけどっ!」
武藤さんの問いに対して、真白がぴたりと泣き止む。
この時の彼女の様子だが。
俺には真白が『もうこれ以上仕事を奪われてはたまらない!』と、言ったように思えた。
「気苦労、絶えませんねえ」
武藤さんに向けて軽口を叩く。
彼は「うるせぇ」と返事をし、ごしごしと目元を拭う真白を見ていた。
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