労働局社畜監督部武藤班

第1話

 残業は重罪だ。


 労働基準法が改正された1992年……。

 以降、残業をした者には6年以下の懲役、また120万円以下の罰金刑が科せられている。


 だというのに。


「痛でっ――痛い痛いっ! 折れる! もげるっ! 取れるてっ!」

「あのなぁ、プラモじゃあるまいし。そうそう腕が取れる訳ないだろ?」


 今、俺に組み伏せられている男のように、残業をして御用になる感染者は後を絶たない。

 やれやれと肩をすくめ、俺は自身の監督役である大柄の男――。

 ある人いわく、見た目が『オオカミゴリラ』こと、武藤敦に視線を向けた。


「これ以上ねえってくらい社畜くせぇ……間違えようがねぇな。でしょ? 武藤監督官」


 俺の問いに対し、武藤監督官は無言だ。

 彼は黙って計測器を取り出し、それを男の腕へと近づけた。

 男の手首にはベルト状の機械が巻かれている。

 武藤監督官は、その機械から発症濃度を読み取った。

 短い電子音が響く。

 直後、計測器の画面に三桁のデジタル数字が表示された。


「発症濃度、オーバー180か」


 武藤監督官が『何故か』疲れたように溜息を吐く。


「お前さんの見立て通りだな。八代、あたりだ。こいつが通報された発症者で間違いない」


 標的である発症者を捕らえたというのに彼の表情は優れなかった。

 コーヒー豆を噛み潰したような顔で、武藤監督官は俺のことを見つめる。


「なにか?」

「いや……お前さん、こいつを見かけるなり一目散に走り出したろ? 結果としてあたりだったが、もし違っていたらと思うとな?」


 気難しそうに唇が結ばれ、彼は眉をひそめた。

 しかし、俺は悪びれない。


「それは杞憂ってやつですよ、監督官」


 にやりと笑みを作り、自信をもって答える。


「俺の鼻は社畜を嗅ぎ分ける。一般人とは社畜を間違えやしませんって。労働が染みついた奴からは、それ相応の臭いがするもんです」

「どんな臭いだよ、そりゃ」

「あー……ちょうど、汗とカフェインを混ぜたような臭いですかね」


 俺の返答を聞くなり武藤監督官はまた深いため息を吐いた。

 彼は計測器を腰元にしまいながら、呆れたとばかりに告げる。


「んなもん、普通はわかんねぇぞ。犬かお前は」

「首輪でもつけますかい? 政府の犬って意味じゃ、決して間違いじゃねぇ」

「んな趣味ねーよ。たく……これだから社畜は」


 親しみのこもった侮蔑。

 その後、武藤監督官は手錠を握りしめ……。

 ガチャリッ。

 無慈悲な音を立てて、俺が組み伏せた男を拘束した。


「なっ――う、嘘だろっ」


 男の口から情けない声が漏れる。

 ひどい仕打ちをされたと言わんばかりの表情だ。

 だが。


「おいおい。あんた、こうなることを想像もしなかったのか?」


 武藤監督官は厳しい態度を一貫する。

 欠片も情けなど見せず、彼は口を開いた。


「クドウヨシタケ。あんたを早朝出勤と残業の常習、つまりは超過労働者、および過重労働感染症のフェーズ2発症者と認定し、この場で拘束する。ドラマじゃねぇんだ。暴れて見せ場なんて作ってくれるなよ?」


 直後、男の顔から血の気が失せる。

 奴は真っ青になって魚みたいにパクパクと口を開き、情けない言葉を並べ立てた。


「う、嘘だ! こんなほ嫌だ! なあ、俺まだ働けるんだよ――そうだっ! 上司に連絡してくれ! 証言してもらう! 俺ほど真面目な社員もいないんだ! 俺が任された企画だっていくつもあるんだおぉっ! あの会社には俺が必要なんだぁ! なあ、頼むよ! 俺働けるんたって! 更生施設なんかで出勤数減らしてる場合じゃないんだよおぉっ!」


 なるほど、切実な訴えだ。

 俺は、ひとしきり男の話を聞き流してやった後。


「――って、言ってますが?」


 と、武藤監督官に指示を仰ぐ。

 すると、彼は「大馬鹿野郎が」と呟き、腰元から鎮静剤の入った無針注射器を取り出した。

 射出口が男の首筋へとあてがわれ――パシュッと、即座に鎮静剤が打ち込まれる。


「うっ」


 小さなうめき声。

 瞬く間に男の体は脱力した。


「まったく……何が『まだ働ける』だ。むしろ、あんたは働きすぎてこうなったんだよ」


 武藤監督官が吐き捨てるように言ったセリフは、もう奴には聞こえちゃいない。

 俺はぐったりとした男の上から退いて身体を担ぎ上げ、再び監督官に指示を仰ぐ。


「で、この男どうします?」

「どうするも何も通常業務(いつも通り)だ。護送車まで連行した後、医療研究部まで護送する」


 俺は、即座に了解です、と答えようとしたのだが――。


「八代先輩! 武藤さん!」


 突如、夜空に流星群でも見つけたようにはしゃぐ若い女の声が聞こえ、その機会を逃した。


「はぁ……」


 間髪入れずに武藤監督官が大きく、深いため息を吐く。

 いやはや、心中お察しする。

 このため息はおそらく、彼女が休息義務を無視してこの場に来たことに対してのものだ。

 しかし。


「急な仕事にこんにちわ! 無理難題にありがとうっ! お仕事ですよ! 呼び出しですよ! 緊急事態ですよ! 先輩! 武藤さん!」


 楽し気にはしゃぐ彼女はご覧のとおり、罪悪感など欠片もない。


「今しがた本部から連絡が来ました! 新しい発症者が出たって!」


 彼女は武藤監督官の心中など気にする様子もなくボサボサの長髪を踊るようになびかせ、革靴を軽快に鳴らしながら駆け寄って来た。


「ねえっ! 聞こえてますっ?」


 だが。


「新しい発症者! 楽しいお仕事! 捕まえましょう! 取り締まりましょう! くうぅぅ……――っ! あっがるうぅっ♪」


 どこか顔立ちに少女のような幼さが残る彼女――黒井真白は、手にした無線機を パーティクラッカーよろしく掲げ、踊るように俺達の傍へ辿り着くなり。


「仕事仕事と喜ぶなっ、このド社畜があっ!」


 無事、武藤さんの怒声で迎えられた。


「いい加減ひどいと無理やり有給取らせるぞっ!」


 直後、真白は殺された方がマシだと言うように絶望で顔を染め上げる。


「そ、そんなぁ! あんまりですよ武藤さん!」


 彼女は半べそかきながら、こどもみたいに「ヒイキだ、ヒイキ!」と連呼し、ついには地団太まで踏み始めた。


「さっきだって八代先輩だけ連れて行ってあたしは留守番だったのにぃっ! あたしがなにしたって言うんですかっ」

「仕事」

「納得できませんっ」

「うるせぇ、お前は働き過ぎだ」

「どこがですか! あたし、全然働き足りないんですけど! もっと現場に出たいですし! こんなひどい仕打ちはあんまりです!」


 熊に向かって吠える子犬のように、きゃんきゃんと真白の抗議は続く。

 だが、武藤監督官は取り合わない。


「何がひどい仕打ちだ。俺はお前さんに法律守らせただけだろうがっ」

「それって三時間以上の連続労働の禁止のことでしょ! 平気です! 全然大丈夫です! バッチコイ、オーバーワーク!」


「させてたまるかっ! 社畜の――いや、お前の大丈夫はあてにならん」

「なんでなんですかっ! 横暴ですよっ、あまりにあんまりなんですけど! 武藤さんてそういうとこありますよねっ、いじわるしないでくださいよぉ!」


「んなガキみたいな真似するか! だいたいお前さん、まだ休息義務終わってねぇだろ。仕事をすんなっ。サボれ社畜!」

「ひっどい! せっかく本部から呼び出しあったのを伝えに来てあげたのにっ! 先輩! なんとか言ってくださいよ! 先輩はあたしの味方ですよね!」


 と、すがるような目線を真白が俺に向けた途端。

 ギロッ――と、カッターナイフみたいな武藤さんの眼光が俺を捉えた。


「どうなんだぁ? 八代? なんか言いたいことがあるのか?」

「先輩! あたしと一緒にお仕事デートっ、したいですよね?」


 ドスの効いた武藤さんの低く野太い声。

 欠片も色気を感じさせない真白の軽口。

 耳に声が届くと同時に、二人の視線が痛いほどに俺へと刺さる。

 個人的には真白が悪いで済ませたい案件だが……。

 これを口に出しては、後々面倒の種になる。

 そこで俺は……。


「そんなことより、さっさと場所を移しませんかね? 俺達にはまだ仕事があるんだから?」


 解決しがたい問題は、こびりついた古い絵の具みたいに流すことに決めた。

 俺の一言に武藤監督官は冷静さを取り戻し、真白はと言うと目をきらきらと輝かせた……。


「よし、現場に移動する」


 武藤監督官の指示が下る。

 俺と真白は、喜々としてそれに応えた。


 残業は重罪だ。


 働くべき時間には制限があり、今の時代に超過労働は許されない。

 口喧嘩をする暇があるなら、俺なら仕事をしたいと考えるが――。

 おっと……こんなことを考えたら、また社畜が進んじまうな。

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