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「……は!? こんな所をうろうろしていていいのかよ、違う、いいのですか!?」


 思わず叫べば、うるさい蠅がいるなあとでも言いたげな視線を俺に投げかけて、マリア嬢は炊き飯を匙で口に運ぶのだ。


「……いいのよ、いいの、ここには前から気分転換でよく来ていたから」


「……慣れている、と」


「まあそんなところね、あ、私の立場とか、別に隠すつもりはなかったわよ、言ってなかっただけ……あと、今はもう貴族とか諸侯とか普通の民とか関係なくて、皆平等だって言うじゃない、だから気にしなくていいわよ、言葉遣いとか……寧ろ、もうこっちの方が落ち着くわ、嫌いなの、堅苦しいのは、面倒臭いし」


 彼女は手をひらひらさせながら溜め息をついて、さっきまで俺が座っていた椅子にどかっと腰掛け、炊き飯の入っている椀を調理台の上に置いた。優雅なワンピース型の胴着の裾から覗くのは、サンダルを履いたすらっと健康的な踝。口に匙を咥えて落ちてくるプラチナブロンドのゆるい巻き髪をさっと背中に払い、短い羽織の前を飾る繊細な鎖を解いて、それでくるくるっとお団子に纏めて、おしまいだ。氷のような色をしたピアスが両耳に付けられていて、それが揺れた。


 とても器用で、手慣れている。


「ヨウスケ、って変わった名前よね……ねえ、歪んでない?」


「ん、綺麗に出来ていると思うよ……確かに、俺みたいな名前の人には、まだ会ったことがないかも」


「そうそういないわよね、でもまあ、ラライーナじゃなくても、怪しいわけでもなさそうだし、まあ大丈夫でしょ」


 何というか大らかである。耳に穴が開いていればこの国の人だというのだから。


 俺は賄い用の食器を洗い終えて片付ける為に戸棚を開けながら訊いた。


「耳に穴を開けているのはこの国の人だけなのか?」


「そうね……“シヴォン”とか“レストア”とか“エルフィネレリア”とか“ケールン”とか、大陸の他の国の人達は耳に穴を開けていないわ、耳に穴が開いているのって、数千年前は犯罪者の印だったの」


「えっ」


 色々な国が出てきたのでメモを取りながら書いていたら、衝撃的な事実が聞こえてきた。犯罪者の証だって? そんなものを俺は刻み込まれたのか?


「いや、俺、何もしていないよな?」


「ああ、安心しなさい、今は何処の国でも犯罪者の耳に穴を開けるなんていう風習はないわよ……数千年前の話よ、そういう身寄りのない人が沼だらけだったここの土地に集まって、そこの竜族と戦いながらシルダ家を筆頭にして、それから数千年かけてここまで力をつけたの……初代皇帝が作らせたケイラト=ドラゴニアのおかげでイェルイード・エンマナスタも起こったし、大陸の様々な技術の最先端を行くのはシルディアナだわ、そうしたら、もうそれが正義じゃない」


「ケイラト=ドラゴニア? イェルイード・エンマナスタ?」


 複雑な新出単語の相次ぐ登場、ついでに突然始まった歴史の授業だ、俺は大混乱である。


「シルディアナ人の必須教養よ、ヨウスケ……覚えておくと便利だから書いておきなさい……それまで“イェルナヒュム”、これは精霊の力を使える人ね、そういう人達の力でしか出来なかったことが、ケイラト=ドラゴニアっていう名前の剣が打たれたことによって術系統の動力が帝国の隅々まで供給されて、一気に豊かになったの。その術力が馬鹿みたいに余ったから、術力や魔石なんかの機械への運用方法が開発されて、それが動力源の主になって、そして、こういうのが開発されたのよ、一杯ね」


 どうやら、産業革命みたいなものらしい。マリア嬢はその辺にあったゴキブリ退治用のトゥルナ・ヴァグを取って、慣れた手つきでくるくる回転させた。そういえば、墓参りの時に蝋燭に火をつける着火筒に似ている。術力とか魔石とか言っているから、イェルイード・エンマナスタという言葉に関しては、動力革命と言った方が正しいかもしれない。


 しかし、国の隅々まで行きわたらせても余るぐらいのエネルギーを生んだ剣って、冷静に考えて凄くないか。それって、行ったら死ぬよってアンシールが言っていた危険な所でも余裕で進んでいけるアイテムとかじゃないか、だとしたらこれは冒険のチャンス?


「思うけどさ、ケイラト=ドラゴニアっていうのは凄い剣だな、今は何処にあるんだ?」


「それなら、折れたぞ!」


「……折れた?」


 ナグラスが笑顔で元気に言うものだから、俺もうっかり同じ調子で大声を出してしまった。


「折れたどころじゃねえな、粉々だ!」


「は!?」


 待て、勿体ない。


「ついでに破片も全部精霊になって還った!」


「ああ、あの日ね」


「それ、いつの話だ、ナグラス!?」


「竜の角が新装開店した日の朝だ!」


「嘘だろ」


「まあ仕方がねえな、ヨウスケ! お前は寝ていた! 精霊が謳っていて綺麗だったぞ!」


 そうだ、寝ていた。


 便利な剣を授かって冒険出来るかもしれないという夢は夢のまま終わった。それもだけれど、何かとんでもないものを見逃した気がして悔しい。が、しかし。


「いや、俺、割と早起きだったぞ……時刻盤は昼の一少しだったし、女の子が見慣れない人を連れて竜の角の裏口に入ってきたのは見たんだ……」


「ああ、ラナとその家族か……それの、ちょっと前だったな!」


 惜しいことをした。


 しかし、俺が見たのは家族だったのか。おっさんの方はラナというらしい女の子と同じような顔立ちをしていたから父親かその辺だろうと思ったけれど、綺麗な若い男の子はその二人とは全く似ていなかったし、金髪だった。どういう家族なのだろうか、兄か弟にしてはちょっと怪しい。


「その、ラナっていう子、ここの従業員か何かなのか?」


「従業員だったぞ!」


「だった?」


「今は違う、だけど困っている人は助けないとな!」


「家族が困っていたのか? 全然似ていないのが一人いたけれど?」


「あー……」


 ナグラスが言葉を探して、お玉を振り回しながら宙を凝視した。幾ら閑古鳥状態とはいえこんなことをしていていいのだろうか、と俺は思う、スープの雫が飛んでくるのを避けながら開け放した店舗の入り口をちらりと見る、四角に切り取られた向こうには、凹凸なく整備された石畳と、行き交う大小の竜車。小型もあるみたいだ、さしずめ人力車か、タクシーといったところだろうか。すぐそこで小型の竜が鳴き声を上げて止まったのを見ながら、俺は言う。


「誰か来ないかな……ナグラス、あの金髪の男の子だよ」


「あー、あれは、そうだ、ラナの夫だ!」


「……マジで? もう結婚しているのか、あの子?」


 まだ若いように思えたけれど。


 すると、炊き飯を食べ終えたマリア嬢が「大地の精霊王がもたらす恵みを頂戴致しました」と、シメの聖句を唱えてからこっちを向いた。


「貴族や諸侯は十五歳くらいで結婚する相手がいたりするわよ、私もそうだったから」


「……はあ、若いな……結婚するのもそのくらいか?」


「結婚は成人した歳から出来るわね、十七歳よ、今月が誕生日で、それと同時に私もする予定だったのだけれど……」


 彼女は溜め息をついて入り口を見やった。やけに綺麗な装いの若い男の二人組が入ってきたところだ、年の頃は俺が見た綺麗な男の子と同じくらいに思える。一人は派手で綺麗な金色に波打つ髪を短めに整え、もう一人は長い褐色の髪を結っているようだ。


「イェリ、開いているか?」


「はい、いらっしゃいませ!」


 俺は裏方だし、アンシールもいない。客も殆ど来ない昼間の店で接客をするのはナグラスだ、料理長は出ていこうとおたまを鍋の中に突っ込んだ。


 その瞬間だ、金髪の方が大声を上げて、顔を輝かせた。


「ああ、エルマリア、やはりここであったか!」

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