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「……どうした?」


 訊けば、突如どアップになる綺麗な顔。同時に両肩を掴まれて思いっきり揺すられるのだから、たまったものではない。


「アーフェルズさんって……アーフェルズさんって、ちょっと、どうしてそんな人から色々教えて貰えるわけ!?」


「ちょ、ちょっと、アーフェルズってそんなに凄い人!?」


 酔うからやめて欲しい。俺はマリア嬢の手首を掴んで引き剥がした……思ったより頑丈で骨太だ。だけど彼女は意に介した風もなく、捲し立てるのを止めない。どうもここの女の子達は異性と接触するのを然程気にしていないようだ。


「凄いわよ、だってアーフェルズさんは“シルディアナ・プレーヴェ”の中心人物じゃない!」


「“プレーヴェ”って、何だ、それ?」


 シルディアナとついたから、何か土地や国に関する単語だろうか。最近は理解出来ない単語がだんだん難しくなってきたから、覚えるのも大変だ。


「あんた、知らないの? 皆で集まって相談するのよ、この国の新しい法律とか、新しい政治の仕方とか、新しい裁判の方法とか、新しいものを話し合って決めるの、深刻な意味じゃないわ……もっとちゃんとしたものになったら“プレブリア”になるわね」


「参加出来る人とかはもう限られていたりするのか?」


「いいえ、誰が見に行っても、誰が参加してもいいわ……普通に生活出来るなら興味ない、って言っている人も結構多いけれど、私は行ったわよ、まだそこまでちゃんとした感じじゃないけれど」


「おお、わかりやすい……人で溢れそうだけど、大丈夫なのか?」


 俺はマリア嬢に訊きながら、ノートに日本語で“会議”と書いた。ちゃんとしたものについては、議会と訳してもいいかもしれない。ということは、この国は民主制なのだろうか。ついでに思い出すのだ、アーフェルズ本人が、私のせいで国が混乱していてどうのこうの、って、俺に向かって言ったのを。


「大丈夫よ、三日に一回はアーフェルズさんがあそこにいて誰かしらと喋っているし、興味ない人や行きたくても行けない人なんかは、近所の人に手紙や言伝で預けていたりするわ、スピトレミアとかパンデルヒアとかに住んでいる遠い地方の人は、領主だった諸侯に意見文なんかを出しているわね……正直、相当ガバガバだとは思うわよ、私も……だけど、財を国の為に投げうってでも新しい政治への協力をしよう、って帝国の領地を治めている諸侯の殆どに思わせた人だから、信頼は篤いわよ」


 マリア嬢はそう説明してくれた。スピトレミアとかパンデルヒアは地図で見たことがある、シルディアナという国の東の端と北東にあるところだ。


 それにしても、結構凄い人だったらしい、アーフェルズ。


 国の為に力を貸してくれ、って言っていたから、俺もその会議とやらに参加しても構わないのだろう。随分と大らかだ、外国人を帰化させて参政権を与えている、という状況だと思うのだけれど、中からこの国を上手いこと操ろうとする人だって出てくるだろうに。敵とか味方とかいう意識が薄いのだろうか? だとしたら何故だろう。


 俺は立ち上がって時刻盤を見た。既に昼六の刻を回っていて、仕事の時間だったけれど、客はマリア嬢一人だし、ナグラスも何も言わない。そういえば、開店した時はそこそこ来ていた客も、ここ二、三日は何だか少なかった。そんなことを考え、賄を食べた後の食器を洗う為に洗い場の流水ボタンを押しながら、俺は訊くのだ。


「……ええっと、つまり、アーフェルズは、貴族の統治をやめさせたと?」


「そう、貴族が自分の領地において安い労働力で働かせるのをやめさせたわけ……“インペラウス”もそれは取り締まろうとしていたけれど、上手くいかなかったわ、そして残念なことに、“インペルヒア”に一杯いたのよ、安い賃金で働かされている人が、ね」


「なるほど……“インペラウス”と“インペルヒア”っていうのは?」


 食器洗いをしながらもノートはすぐそこに置いたままだ。俺はいつも手拭き布――タオル生地じゃないからタオルと訳をするのはやめておいた――を首に掛けていることにしているから、聴いたこともすぐに書き取れる。


 マリア嬢は、黙って頷きながら鍋を掻き回しているナグラスの傍で、腕を組んで答えてくれるのだ。


「貴族をまとめる“インペル”がいたの、そういう政治の仕組みが“インペラウス”で、“インペル”が住んでいる城があるのが“インペルヒア”で、その名前、つまりこの都市の名前が“シルディアナ”よ、わかった?」


「ああ、そういうことか、ありがとう、さっきからずっとわかりやすい」


「あら、精霊のご加護の賜物よ」


 なるほど、これも、どういたしまして、と同じ意味で使われているようだ。


 政治形態からして“インペラウス”は帝国と言った方がよさそうだ。“インペル”はさしずめ皇帝、“インペルヒア”は帝国首都、帝都だろうか。


「それで、安い賃金で働かされている人が、どうなった?」


「そう、かなりまずい感じだったのよ、だけど、アーフェルズさんは貴族や諸侯を上手く説得して利用したの……貴族は帝都の軍隊や役所なんかに多いけれど、その人達が働かなくなったわ……諸侯は地方の軍隊や地方の人を動かせる、彼らが背いたら帝都の経済も止まるわね……そして、帝都に住んでいる安い賃金で働かされている人を、頭のいい人とか、シルディアナ放送とか凛鳴放送の人も煽って、沢山扇動したの、賃上げの運動を起こすように、って」


 ノートがもう一冊欲しいレベルで埋まっていく。線を引いて別スペースを作りながらシルディアナについてのメモも取っているけれど、漢字が潰れて見えにくくなりかけの所まできているのだ。こっちの言葉で書いた方が見やすくていいかもしれない。ええと、端的に整理すると、貴族や諸侯の相次ぐ離反を招き、メディアを味方に付けて、デモを起こさせたのか、アーフェルズという人は。


「……なんか、とんでもねえ人だな」


「でしょ……だからそんな人に言葉とか色々教えて貰えるあんたは幸運なのよ……そうね、ついでに言っておくと、離反するって表明した諸侯は少なかったの、ウイブラ、バルタール、ライマーニ、スピトレミアかしら」


「ちょっと待ってくれ、何処が何処かまだうろ覚えだ……ええと、領地四つ?」


「そう、後で地図でも確認するといいわ……だけどね、私もお母様から後で聞いたわ、トゥーリウス地方とかラ・カルシャロー地方の領主諸侯以外は、アーフェルズさんに協力することを裏で約束していた……ちゃんとその証拠も残っているわよ、竜の黒い指輪が、ね」


 しかし、何故マリア嬢はそんなことを詳しく知っていて、こうも大っぴらに話すのだろう。流石に正体不明の外国人である俺がここにいるのに、不味くないか?


「俺に話してもいいのかよ……しかも、黒い指輪って、見たのか?」


「……ヨウスケだっけ、あんた、何処から来たのかよくわかんないけど、まあ、数の少ない民族とかその辺でしょ? あんた達がさ、例え混乱しているからっていっても、シルディアナみたいな大国に太刀打ち出来るわけないじゃない」


「まあ、確かに、俺の他に仲間はいないけどさ……」


 ここ最近考えていたことにぐっさり刺さって、俺は呻いた。予期せぬところの図星である、マリア嬢はさして気にすることでもないと思っているようだが。


「あっそ、じゃあ言ったところでどうもならないわね……指輪はね、お母様も持っていたのよ、これがうちの方針だからって、見せてくれたわ」


 待て。もしかして、ナグラスが嬢、と呼んでいる理由は。


「マリア嬢、まさか――」


 すると、そこでナグラスが大笑いした。


「はっはっは、ヨウスケ! マリア嬢はな、セレイネ・ウィクトール=アルカス様の娘御、つまり元アルカス領主の跡継ぎだな!」


 今度は俺が仰け反った。

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