没落貴族令嬢は呑兵衛である

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 目の前には椀がある。


 その中身は炊き込みご飯で、炊けた米と磯の香りと数種類のスパイスの香りと珊瑚樹の実――そのまんまトマトのことだ――の香りを、湯気と一緒に辺り一帯へ振り撒いている。パエリアに似ているだろうか、ラフィミール貝という名の大きめの二枚貝や、殻を剥いた身がプリッと揺れるヴァグル海老、何種類もの鐘胡椒の実――実質ピーマンである――が、とても彩り豊か。竜肉の出汁も加えているらしい。


 付け合わせのスープまである。竜角羊とかいう名前の、額に鋭い角のある非常に物騒な外見をした羊の肉が入っている。


 このレベルで賄だ。凄いな?


 固有名詞が多すぎて混乱しかけたけど大丈夫だ。ここでの生活も二ヶ月目を迎えて、単語も文章も大体聞き取れるようになった。普通に考えて、ここしか生きていく所がないから、俺の中の何かがちゃんと生命の危機を覚えて色々なことをしっかり聴き取ってくれたみたいだ。助かった。俺だけど。因みに、帰る手がかりは全く掴めていない。俺も既に半分くらい諦めている。


 しかし、俺の意識はメシに行っていた。何より、空腹には勝てない。当たり前じゃないか。


 昼飯だ。俺はこっちのお祈りの言葉と日本式の挨拶をどっちも言っている。


「大地の精霊王がもたらす恵みに感謝を……いただきます」


 帰りたいって思うのならもっと必死になって帰り道を探せよという話だけれど、この、既にきっちりと社会基盤の出来ている世界で、どう成り上がって行けというのか、詳しい人がいたら教えて欲しい。俺は炊き込みご飯を幸せに咀嚼しながら思う。


 スパイスの香りが鼻から喉にピリッと抜けていく。珊瑚樹の実の酸味と甘み、鐘胡椒の実の苦みと甘み、海老の甘みが見事に調和して、舌の上で踊り出す。


 うめえ。何だこれ。


 コンビニ飯サラリーマンの毎日よりも忙しいし大変だけれど、遥かに充実している。


 二ヶ月目にして、色々分かったことがあった。


 俺と違って、この世界には術を使える人間がいるし、竜の言葉を聞ける種族もいる。黒い鱗が身体の所々を覆っていて背中に翼を持つ竜人族なんて、肉体的に頑健で忠誠心が高い、ということで有名らしいじゃないか。


 このシルディアナという国に限った場合、強い光の力を持った皇帝とかもついこの間までいたらしいし、それを覆した反乱軍の指導者なんて、ちゃんと対面で話してみれば、カリスマの塊だ、っていうことを、言葉の端々から強制的に理解させられる感じだった。アーフェルズという名前で、よく出入りしていた金髪翠眼の美人な男の人である。真正面から向き合うとわかる、傑物オーラが凄いのだ、社長とかそういうレベルじゃない。


 その人は柔らかな笑顔を見せてから、こんなことを言った。


「話は聴いたよ、君は何処かから流れ着いてきたのかな……私のせいで国が混乱していて申し訳ないけれど、君にも力を貸して欲しい、この国の為に……多くの人々が住みよい国にする為に、ここにいる間だけでいいから、お願いだ、私も一生懸命力を尽くそう」


 真摯な視線だった。色々なものを願う、希望を信じて突き進む人の顔だった。


 つい先日革命が起こった。ナグラスが「シルディアナは変わるぞ」って言っていた日だ。アーフェルズの話を聴いて、こういうことだったのか、と気付いた。


 思い描いていた反乱軍の指導者って、もっとこう、力で何とかするようなものだと思っていたけれど。シルディアナについて色んな話をする中で、どうやって革命を成功させたのかを訊けば、こう返ってきた。


「私は、“共感”を“操る”ことだと思うよ、“社会的な地位”に関係なく、ね」


 多分、俺とは見ている世界が違う。


 アーフェルズと話したその日のことを思い出しながら、俺はスープを一匙飲んだ。喉に流れていく温かさと豊かな味わいが癖になりそうだ。おかわりが欲しい。


 しかし、しみじみ思うのは、ああいう人と話せてよかった、ということだ。アーフェルズは、領地の主として自領の民を庇護するという立場であった土地持ちの貴族や諸侯の視点についてもわかりやすく解説してくれた。そういう、国の上の方にいる人がどういう思考回路をしているのか、どういう経緯で争ったりしているのか、何を以て豊かだと判断するのかとか、同じ上層階級でも違うのか、っていうことに、俺は気付くことが出来た。


 ついでに言うと彼は新出単語の解説も非常に上手い人だった、真に“先生”と呼びたい人が出来たかもしれない。話をする中でその人の口から飛び出した単語を、彼は、初心者の俺にも簡単だと思えるような言葉で全て解説してくれた。俺がノートに書いた文字に興味を示して目をキラキラさせていたけれど、珍しいものが好きだったりするのだろうか。訊けば、とても優しい笑顔を見せて「外国語なら弟が喜びそうだね」と言った。


 弟がいるのか。表情を見るに、きっと大好きなのだろう。


 そう、やっぱり考えてしまう。


 守るものや信じるものを、俺達が思っているよりも大量に抱えて、責任を負うのが世界を動かす人々だ。身にしみてわかったわけではないけれど、竜の角にちょくちょく顔を出すアーフェルズのおかげで、想像することは出来た。


 俺とかいう存在がこの世界にどういう影響を及ぼせるのか? そもそも、俺にそういう能力があるのか?


 力があったとしても、俺一人の事情でこの世界を混乱させて帰って、はいおしまいって、無理じゃね?


 責任も取らずに帰るとか、人としてどうなの?


 この世界は、召喚された勇者と魔王とかいう単純な構造じゃなかった。もし、欲しい欲しくないに関わらず、俺が力を手に入れてしまったら。帰る方法が簡単に見つかるかどうかもわからない。もし、その方法が世界をぶっ壊すレベルのものだったら。


 俺は責任を取れるのか。


 そこまでして帰りたいか。そこまでして、自分の血縁や友人のいる場所へ。この世界に血縁や友人のいる人々の生活を何もかも破壊することになってでも。


 出来るのか。


 否、やるのか。


 俺は自分に、そう問うてしまった。


 アンニュイな気持ちになっている俺を慰めてくれるのはメシである。これまたプリッとした食感のラフィミール貝の中身が美味い。米はふっくら、噛み応えもある。スープは身体の芯から冷え切った心を温めてくれる。温かい食事をしながら冷え切った自分と対話するのは結構良いことかもしれない。何となくバランスが取れているような気がする。


「ヨウスケ、スープのおかわり、いるか?」


「いる!」


「よしきた!」


 やった。


 竜の角で働くのにも大分慣れてきていた。




 昼前から開店するから、いつも俺はその少し前に賄を掻き込む。午前は買い付けとか荷運びで、最近は一人で外に出して貰えるようになってきていた。というか、一人で行かざるを得ないレベルで皆が忙しいのだ。まあ、そのおかげで、我ながら凄く進歩したと思う。午後は厨房の片隅で皿洗いだ。


 もっと従業員を雇うつもりで色々と面接もしているらしいが、今のところはアンシールだけしかいない。彼女は完全にホール担当だ。女主人であるオルフェさえも勘定台とホールに動員して、竜車竜みたいなスピードで皆が働いている。休みもちゃんとくれるけれど、休んで大丈夫なのか、これ、と思うくらいに、やることまみれだ。


「イェリ、来たわよ!」


 開店と同時に、入り口からは早速お客さんだ。厨房の最奥に座ったまま、椀を片手に背を倒して見れば、これまた綺麗な女の子が来ている。


 ナグラスが嬉しそうに声を上げた。


「おう、マリア嬢じゃねえか! 元気そうだな!」


 ふわふわと広がる少し巻き癖のある髪はプラチナブロンド、目の色はちょっと遠くてわからないけれど、おそらく薄い青。ちょっとその辺の民っぽくはない。マリア嬢と呼ばれた子は、両腕を拡げて、とびっきりの笑顔を見せた。


「竜の角、復活おめでとう、ナグラス!」

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