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 ゴキブリ退治如きにカッコいい響きの名前のついた武器を使うのもどうかと思うが、これを応用すれば冒険だって出来そうだ。改造してくれる人がいたりするだろうか。俺の中の中学二年生が疼いた。


 思い出すのは夜の静寂に響き渡ったあの言葉。


 俺はトゥルナ・ヴァグを構え、スイッチに手を掛けた。


 奴が、背の装甲を開く、飛ぶつもりだ。


「劫火よ、渦巻け――イェルナ・ヴァグ!」


 交錯するは、筒の切っ先から吹き出した炎と、黒く油に濡れて光る脚。


 舐める炎がその翅を捕らえた瞬間、三対の脚が何かを掴むように開き――


「うわあああああああああああ!」


 ――俺の顔面に着陸した。叫んだ。




 気付いてみれば昼。惨状である。


 エルフのような耳の美女が掛けてくれた治癒魔法みたいなもののおかげで、鼻や額に負った火傷はすぐに直った。目まで行かなくて幸運だったとは思う。だけど、俺は何か大事なものを失ったような気がしてならない。


 いや、ブラデアとかいう名前の巨大ゴキブリを葬ることは、一応出来たのだ。でも、何か能力が上がったような気は全くしない。悲しすぎたので、テテテテーンテーンテーンテッテテーン、と頭の中でレベルアップ音を唱えておく……ヨウスケはゴキブリ退治スキルを手に入れた。必要なのかこれ。


「よく頑張ったな、ヨウスケ! アーフェルズもラナも“挫折”したのに、偉いぞ!」


 必要だったらしい。というか、アーフェルズとかラナって誰だ、昨日の晩に二階にいた人達だろうか。いや、女の子の方は俺とは違って割とすぐに火を噴射したような気がするけれど。


「……でも、俺、時間を沢山使った」


「お前は“やり遂げた”、今はそれが大事だ! 二匹分の“灰”は、俺が“ちゃんと”見た! 心配するな、次からは“もっと”素早く出来るようになる!」


 そんなものなのだろうか。そうだといいけれど。


 ナグラスは優しい。日本で働いていた時も、隣の部署にこんな感じの上司とか先輩がいて、特にそういう声掛けも何もなかった俺は、その部署の同期が凄く羨ましかった。自分が頑張って何かを出来るようになるっていう実感もモチベーションを上げる為には大事だけれど、褒められる、誰かが見ていてくれる、っていうのも、同じくらい大事だと思う。でも、そういうのにあまり慣れていないから、褒めてくれる、見ていてくれる人っていうのは優しい、と思ったりする。そういう余裕のあるなしかもしれないけれど。


 ちょっと待ってくれ、新出単語が幾つか飛び出たぞ。俺はそれを急いで書き留めてから、顔を上げた。


「……ありがとう、ナグラス」


「飯にしよう、ヨウスケ!」


 アンシールが心配してくれる人なら、ナグラスは元気付けてくれる人だと思う。こういう人の下で働けるのなら悪くないな、なんて、考えたりもする。


 冒険の旅に出るよりも。




 スープやシチュー、燻製やロースト、煮込み、串焼きなど、料理の開発と調理台の火加減の調整も兼ねて店の設備を動かしている竜の角の料理長は、賄いと称して俺に沢山料理を振る舞ってくれるのだ。


 ブラデア――巨大ゴキブリ退治の日は、昼になってしまったけれど、ドラコシヴァグ――竜肉のワインソース煮込みを膨らんでいない扁平なパンと一緒に食べた。レタスともキャベツともつかない葉っぱを扁平なパンの間に挟んで、更にその間に竜肉や玉葱、人参なんかを突っ込んで齧るのだ。ビーフシチューみたいな感じだけれど、野菜や肉、スパイスだけを入れているわけではないらしい、様々な味が複雑に混ざって調和を成し遂げ、奥行きのある旨味が口腔内に満ちた。取り敢えずひたすら美味くて、気付いたら三杯食べていて、それから俺は翌朝まで爆睡した。


 その次の日に時間の数え方も教えて貰ったけれど、どうやら俺は、昼の六刻――これが正午らしい――から、朝の一刻――これが日の出くらいの時刻だ――まで、十五刻も爆睡していたらしい。半日が十刻、一日は二十刻だというから、とんでもない疲労の溜まり方だったと我ながら思う。


 連日の疲れをそこで精算出来た俺は、上手く生活のリズムを掴むことが出来たようだ。


 五日働いて、一日休む。それがシルディアナの法律だ。


 行く先行く先で見る人々は何か焦ったような、落ち着かないような、そんな表情で忙しそうにいつも走り回っていた。そんな忙しさに飲み込まれて俺も忙しかったけれど、日本にいた時と比べたらまだ楽かもしれない、仕事は荷運びや買い付け、取引現場での証人として存在する、など、昼間だけ動く裏方が中心だった。言語もそうだけど、シルディアナでの営業や商売のやり方には、学ぶところが一杯ある。


 現場へはナグラスと一緒に行くことが多かったが、俺の顔の火傷をあっという間に治してくれた例の美女と一緒に行くこともあった。交渉に長けた彼女の名前はオルフェ、竜の角の責任者だ。女主人といったらそれっぽいかもしれない。因みに、エルフではなくて、イェーリュフという種族だそうだ。


「宜しくね、今年で五千六百二十五歳よ」


 妖艶な笑みで自己申告されたが、聞かなかったことにして、俺は日本人の得意武器、曖昧な微笑みを発動した。金色の血の人みたいね、と言われたけれど、何のことかよくわからなかった。


 しかし、ここはそういう所なのか。予想の遥か斜め上を行く何かがまだまだ出てきそうな気がする。


 アンシールも時々やって来て、掃除や店のレイアウト、仕入れリストなどをチェックしたりしている。近くに住んでいるらしい、もう少ししたら竜の角も開くので、その時は給仕をやるそうだ。


 暫くここで過ごす間に、言葉も大分滑らかに聞こえるようになってきた。三十日以上経ったかもしれない、日の数え方を訊いたら、月や日数、ついでに祝祭日まで教えて貰えた。だけど、それもそろそろ変わるかもしれないらしい。何か起こるのだろうか?


「ヨウスケ、話すの、上手になったね」


 ある日、アンシールは俺に向かってそう言った。


 可愛い笑顔は癒しになる、つんと上向きの小鼻がいいアクセントだ。ネクタイを返して貰うのを忘れていたけれど、最初に俺に声を掛けて助けてくれたのは彼女だし、返すという話題が出たその日、そのままあげるよ、と言った。


 そしたら、彼女は紺色のコルセットスカートにフリルの襟が付いた袖なしブラウスを着て、ちょっとゆるめにネクタイを締めて、竜の角へ来たのだ。あげたネクタイにぴったりなカラーリングを探し出して、お洒落に可愛く着こなせるそのポテンシャルは、素晴らしいと思う。


 それが竜の角の開店日、即ち今日だ。


 十二月一日、昼五の刻。日本語だったら午前十一時過ぎぐらい。


「似合っているよ、アンシール」


「そう? ありがとう、ヨウスケ!」


「うん――」


 おっと、可愛いという言葉を知らなかった。


「――うん、とてもいい」


「そういう時はね、ヨウスケ、“ベーラ”って言うの」


「“ベーラ”?」


 俺が返すと、アンシールは悪戯っぽく笑うのだ。


「女の子は絶対喜ぶからね」


 紺色のスカートがふわっと翻って、昼前の高い太陽が、フリルの形に一瞬だけ、網膜を焼く。ナグラスの手によって店の扉が全部開き、戸袋に格納された。


 都市は今日も、朝から騒めいていた。


 そう、俺が起きたのは昼一の刻だったのだけれど、その時に窓の外を見たら、黒塗りのサヴォラが裏路地に着陸して、三人の人影が裏口から竜の角に入っていったのだ。真っ先に入っていったのはラナとか呼ばれていた女の子だったと思う、やけに綺麗な若い男の子とおっさんを招き入れていたけれど、俺がシャワーを浴びている間に、その三人はまた何処かへ行ってしまった。すぐ後でここに来たアーフェルズとかいう名前の人が、褐色の髪を結った大男と一緒に大慌てで出ていったけれど、何だったのだろう。


「シルディアナは変わるぞ、ヨウスケ、開店だ!」


 シルディアナ。ナグラスはそう言うけれど、どう変わるというのだろう。


 わからないことだらけだ。


 けれど、俺はここで恩を返しながら、力をつけていきたいと思った。


 まずは、生きるところから。


 その為には、初めて出会う人に掛ける最初の一言が肝心だ。


 少しずつ流暢になってきた自分の言葉に勇気を貰って、俺は笑うことが出来る。大丈夫だ。


「エィル、イェリーア、ナ、アルカ、ケイラト・ドラコス!」


 竜の角へようこそ!

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