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 カカカ、カカカカ、と竜が鳴く。それを合図に、竜車は走り去っていった。


「ヨウスケ、こっち!」


 地球じゃ有り得ないよなあ、なんて思いながら竜車を見送っていると、アンシールが呼んでいる。そっちを振り返れば、彼女は小指と薬指だけを握り込んで、後の三本をすぼめたり開いたりしていた。手招きみたいなものだろうか、胸元に下がっている俺のネクタイが動きに合わせて揺れている。


 その向こうには、細い細い路地。ナグラスがその隙間に消えようとしていた。


 何処、という言葉をまだ教えて貰っていなかったことに気付いた。だけど、アンシールは俺が歩を進めたのを見るとすぐに踵を返してしまったので、取り敢えずついていくしかない。ここでこっそり別の所へ行ってしまう選択肢もあるにはあるけれど、行くあては、ない。人通りのある大通りだけれど、見知らぬ顔ばかりだ。上京してきた時とは違って、それが全く知らない言葉しか通じない相手だと思うと、途端に心細くなる。


 向かっていく建物の出窓には、渦巻きと葉っぱや花みたいな模様を優雅に描く金属製の柵と一緒に植木鉢が取り付けられていて、何かの植物がまだ碧く小さい蕾をつけていた。何日経ったら咲くのだろうか、何色だろうか。そんなことを思いながら入った路地は影になっていて、日向よりも少し涼しかった。ここにもしっかり石畳が丁寧に敷いてある。


 通りに面している集合住宅と言っていいのだろうか、その一階部分は大体が何かしらの店舗になっているようで、窓の側を通り過ぎる時に右の建物の中を見たら、大きめのカウンター、その向こう側には空の棚、丸テーブルや椅子が壁に寄せて置いてあるのが見えた。


 レストランか何かだろうか。


 細い路地の向こう側でアンシールが待っていてくれた。抜けた裏路地は少し広く、光が差し込んでくる。見上げれば、こっちにも出窓が並んでいて、その全てに柵と植木鉢が取り付けられていた。


 蝶番の耳障りな音が石畳の狭い空間に響いた。路地裏の扉は引き戸じゃなくて、外開きだ。それが開いていて、薄暗い中が見える。すぐそこに上へ行く為の階段があるので、上階の住人なんかはここから入って上の部屋まで行くのだろう。だけど、これは完全に表の店に直通している裏口のようだ。防犯は大丈夫なのだろうか?


 色々考えすぎて、入っていいものかどうか戸惑っていると、アンシールが振り返って微笑んだ。


「ヨウスケ、ケイラト・ドラコス!」


 ドラコスは竜、それは覚えている。なら、ケイラトは?


「ケイラトは何だ?」


 思ったことをそのまま訊けば、彼女は両手の人差し指を立てて、側頭部から何かが突き出ているような仕草を取った。成程。


「ケイラトは“角”」


「竜の角」


「そう、ここ!」


 ……ここは竜の角?


「エィル、イェリーア、ナ、アルカ、ケイラト・ドラコス……ヨウスケ!」




 竜の角へようこそ!


 アンシールがその時言ったことをしっかり理解出来たのは数日経ってからだった。


 一週間とか二週間とかそういうくくりはないみたいだから、日にちのみの換算で、俺がここに来てから八日経った、と思っておくことにする。


 それは怒涛の八日間だった。


 誰とのどういう話の流れで何が決まったのか全く知らない間に、いつの間にか俺はこの建物――恐らく竜の角でいいのだろう――の三階に部屋を借りて住まわせて貰うことになっていた。


 ここに来て三日目の朝、俺はナグラスとアンシールに、最初に見た宮殿のようなところに連れて行かれ、手続きのようなものを受けた。ファンタジー系エレベーターに乗るのは面白かったけれど、言っていることがまだちゃんと汲み取れない状態で難しい顔をした役人に取り囲まれるのは、そりゃもう勘弁だ。


 ついでに、両耳にピアス穴のようなものを開けられた。ビビる俺の手をアンシールが握っていてくれたのは色々な意味で有り難かったけれど、凄い音がした。


 日本人でもピアス穴を開けている人なんて普通にいるけれど、でも、親に貰った身体に穴を開けるこの気持ち。だけど、アンシールもナグラスも、こうするのが一番いい、と言っていたから、そうなのだろう。


 そして、いつの間にか俺は竜の角で働き始めた。地味かよ。


 いや、普通さ、冒険者とかじゃないの? って思ったけれど、冒険者ギルドのようなものはないらしい。そもそも一般人が冒険とかそういうのをする必要性のなさそうな発展具合だし、能力のある冒険者が大量にいる世界だったら、都市ももっと荒れているだろう。シルディアナというらしいこの国の地図を持ち出してきたアンシール曰く、危険な場所なんかはあるけれど、行ったら死ぬし、行かなくても生きていけるよ、とのこと。


 まあ、プレゼンと、可愛い女の子とのコミュニケーションをしたいという欲求くらいしか俺に能力もないわけだし、堅実に行くのが正解かもしれない。ラノベとかを読み漁っていた頃は、特殊能力とかをその世界の神様から貰って自分が最強になる展開にスカッとしたりしていたけれど、現実が飼いならされた犬みたいに尻尾を振って撫でて貰いに来るくらい甘いわけじゃないことくらい、俺にだってわかっている。


 ああいうのは虚構だ。


 一階にある店舗部分の掃除、食料買い出しの荷物運び、家具買い出しの荷物運び、でかい箱運び、運び、運び、運び。正直ぶっ倒れそうだったし、これが現実だった。その隙間を狙って、俺は基本的な動詞やら色々なものの名前、数え方、挨拶などを改めて習い、ノートに書き出し、整理し、纏めていった。起きている時はいつでも会話の実践だ。


 毎日凄まじい量の知識の奔流に流されていて、表では諸々の重労働。部活三昧だった中学時代よりきついような気がすると思ったけれど、動き出してから三日で筋肉痛には慣れた。慣れって怖い。ただ、いつも疲れているような気がするけれども。ここ数日は学校と部活の時間が逆転したような感じだ。


 竜の角の建物、店の正面には機械と槍を融合させたような物騒な装備を手にした兵士が常時張っていたけれど、その人達はナグラスやアンシールの姿を見ると、何か含みのある顔で頷くだけだった。他にもちょくちょく人が出入りしているようだが、大体皆、正面ではなくて裏口から入ってくる。長い茶髪を編んで纏めているイケメンだけどいかつい顔の大男とか、軽薄そうな笑みを浮かべた貴族っぽい雰囲気の目が覚めるような金髪の美形とか、エルフみたいに耳が尖っている妖艶な美女とか、ちょっとヤバそうなのもいたけれど、ちゃんと、イェリ、と軽く挨拶してくれるのだ。


 あと、やっぱり人間以外にも種族がいるらしい。買い出しに引っ張り回されている時に、犬か狼だか、そういう特徴を外見に色濃く残した人が歩いているのを見た。あと、黒い鱗で身体が覆われた人は、背中に大きな黒い翼を、頭に角を持っていた。竜みたいだ。背中に鳥みたいな翼のある種族だっていてもおかしくはないだろう。


 不思議だ。


 などと色々と考えながら、俺は今現在、ベッドに突っ伏していた。なんてことはない、筋肉痛と疲労である。下にある二階からは話し声が聞こえてきているけれど、まだ内容は朧げにしかわからない、というか、くぐもっていることもあって、繋いでいる言葉ぐらいしかわからない。単語や文章を書く時以外に日本語を使うことがめっきり減ってしまったので、英語を習っていた時よりは随分早く色々なことを吸収している自覚はあったけれど、まだまだのようだ。


 そのうち文字もちゃんと習いたいなと眠気が襲い来る中でぼんやり思った時だ。


 階段を慌ただしく駆ける音が遠ざかっていく。


 次いで、悲鳴が聞こえてきた。男のものだ。


 何かあったのだろうか、俺は眠気を振り払って起き上がった。

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