第9話 闇なる存在

 この世界には悪魔がいる。


 あまり現代では信じられていないことだが、古くから魔界からやってきた悪魔達の伝承が世界には様々にあるように、悪魔は実在するのだ。


 では、その悪魔達の仕事とは何だろうか。悪魔は何も用もなく地上に来るわけではない。

 悪魔の仕事とは地上の人々に力を貸すふりをして、堕落させ貶めることである。

 悪魔は地上に来ることはあまり無い。大騒ぎになってはお互いに困るからだ。


 さて、その悪魔達のいる魔界では今、ある噂が飛び交っていた。

 天界が人間界に対して何らかの大規模なアプローチを仕掛けようとしているのだという。

 それが実行に移されれば、魔界にとっては大きな痛手になるに違いない。


 魔界の偉い幹部達はその情報を集め続け、ついに出揃ったと今魔界の城では緊急の会議が開かれていた。


「どうなるんだろうねえ」

「さあ」


 魔界の城は今は関係者以外は立ち入り禁止になっている。

 悪魔達は偉い悪魔の幹部達のおわす魔界の城を前に、結論が出るのを待った。会議は三日三晩に掛けて行われた。

 やがて結論が出たようだ。悪魔神官長から呼出しを受けて、悪魔達は魔界の城の広間に呼び出された。

 悪魔達は期待や不安を胸に、偉い魔王様が現れて命令を下すのを待った。




 そんなわけで深い地の底にある魔王城は今、集められた悪魔達の賑やかな雑談のざわめきに包まれていた。

 悪魔達はいろんな種族がいて、スライムやゴブリンのような弱い奴から、サイクロプスやヴァンパイアみたいな強い奴までいろんな奴らが集まっていた。


 かつて父の仕事について人間界に行ったことのあるエリート悪魔の少女トウカ・ヴァイアレートもこの地を訪れていた。

 彼女は一見して綺麗で優しい少女に見えるが、その本性は恐ろしい悪魔であることを、友達の死神の少女メルト・アウラーグはよく知っていた。


「あなたも来たのね、トウカ」

「魔王様の呼出しとあっては来ないわけにはいかないでしょう」


 死神の大鎌を肩にかついだ少女に、澄ました顔で答えるトウカ。

 周りには知っている悪魔達もいれば、知らない悪魔達もいる。

 わいわいとっても賑やかでとっても人数が多い。その光景を見て、トウカは綺麗な眉を僅かに顰めた。


「うるさいわね。少し減らそうかしら」

「物騒なことは止めときなさいよ。みんな魔王様のために集まったのよ」

「そうね」


 友達のメルトの気楽な言葉に、トウカは噴出させようとした怒りを収めた。

 これから何が起こるか分からないが、何か大きなことが発表されることは確かだろう。雑用や汚れ仕事の出来る人員も必要だった。


 やがて、そう待つこともなく前方の檀上に黒い靄がプシューと吹き上がり、魔王が現れた。

 黒い影のような大きな姿をしている。目も口も裂け、その中は真っ赤なマグマのように燃えている。

 松明の炎に照らされたその姿は、エリートの悪魔であるトウカの目を持ってしても、正体を掴ませない不気味さと恐ろしさを感じさせた。

 彼は恐ろしくも部下を統治する理性を持った声で話しかけた。


「余の言葉を伝えよう」


 薄暗い城の広間の隅々にまで行きとおる重く響く不気味な声に、悪魔達はみんな姿勢を正して次の言葉を待った。悪魔とはいえ誰も雑談するような命知らずな者はいなかった。

 ニヤニヤと好戦的な笑みを浮かべるメルトの隣で、トウカはただ冷静に次の言葉を待った。

 魔王は言った。


「天界が何か大規模な行動を起こそうとしているという噂はお前達もすでに知っておろう」


 魔王の行った通りほとんどの悪魔達が知っていた。トウカやメルトも知っていた。

 知らないのはトウカの足元のすぐ近くで跳ねている呑気なスライムぐらいだろう。トウカは踏まないように少し移動した。


 魔王が改めて天界の作戦について話すということは、その情報を得て、対処する目処が立ったということだろう。トウカは冷静に状況を読んでいた。 

 先を急かせる必要もなく魔王の話は続く。


「奴らは人間どもに愛を伝えようとしている。それも選ばれた優れた人間にだ。もし、この作戦が成功すれば、地上は天界にとって都合の良い強固な世界になることだろう。我々が人に付け入る隙も無くなってしまう。魔界にとってはなはだ遺憾なことである」


 トウカは苦虫を噛み潰すように口元を歪めた。魔王の怒りがよく分かった。愚かな人類を弄ぶのは悪魔の真骨頂だからだ。

 綺麗なお嬢様ぶっている友達が不機嫌を顔に表しているのを見て、メルトは面白そうに含み笑いをしていた。

 周囲のざわめきが収まるのを待って、魔王は話を続けた。


「だが、余はこれをチャンスと捉えることにした。我が配下の悪魔達の働きによって、天界の選んだ優れた人類のリストを得ることに成功したのだ」

「「おお!!」」


 広間の悪魔達に一転して上向きのざわめきが広がった。煩いのが嫌いなトウカはさらに不機嫌になった。

 魔王もさらに話を続ける。


「これを堕落させることが出来れば、天界にとって大きなダメージになることに違いない。選ばれた人類に選ばれた闇を与えるのだ。そこで今回お前達に与えるミッションは奴らと接触し、堕落させることである。悪魔神官長、資料を配り給え」

「はい」


 魔王の命令を受けて、恐い髭面をしているが実直な性格をした悪魔神官長が資料を配ることになった。

 A4の紙が入るような茶封筒を持って椅子から立ちあがる。

 悪魔神官長は広間を回って手渡しでみんなに配っていった。トウカとメルトの前にも来て、二人は礼儀正しくそれを受け取った。

 会場を回り終えた悪魔神官長は正面に立ってみんなを見渡した。 


「みんな、資料は受け取りましたね? まだ受け取っていない悪魔は手を上げてください」


 誰も手を上げる者はいなかった。みんな確かに受け取っていた。トウカの足元にいたスライムも受け取っていた。

 悪魔神官長は恭しく魔王に一礼した。


「資料の配布が終わりました」

「うむ」


 魔王は頷き、悪魔達に向かって言った。


「それぞれの封筒にはそれぞれの担当する人間の資料が入っている。みんなそれぞれに合ったと我々が判断した人間とマッチングさせてある。彼らに絶望と誘惑を与え、魔界の発展に寄与させるのだ。期待しておるぞ。では、行くがよい」


 暗黒の霧がプシューと吹き出し、魔王は去っていった。

 集会が解散となって周囲は俄かに慌ただしくなった。

 すぐに人間界に向かう悪魔もいれば、友達同士で相談する悪魔もいた。


「わたしに合うとはどんな人間なのでしょうね」


 トウカはちょっとした興味を持って、資料を確認した。

 A4の用紙が入る封筒にはA4サイズの紙の資料が入っている。トウカは冷たい少女の瞳でそれを見た。その瞳が少し見開かれた。


「この少年は」


 その少年の顔には見覚えがあった。前に会った時より成長していたが、トウカが人を見間違えることは無かった。

 幼い頃に父の仕事について人間界に行った時に会った少年だった。


 人を虐げるのは悪魔だと信じていたトウカにとって、人が人に馬のように扱われている光景はなかなかに愉快で新鮮で、つい興味を持って話しかけてしまったのだった。


「わたしにこいつを扱えとおっしゃる。魔王様もなかなかに粋な計らいをなさいますね」


 ほくそ笑むトウカの隣では、資料を見たメルトが潰れたカエルのような声を出していた。


「うげっ、こいつを堕落させろって言うの? もう堕落してるんじゃないの?」

「見せてください」


 トウカは友達の資料を横から覗きこんで見た。


「おやおや」


 心底から人を見下す声が出てしまった。

 載っていた顔写真は髪は金髪で染め、舌にピアスをして、派手なサングラスを掛けた目付きの悪い男だった。

 とても天界がまともに選んだ人とは思えなかった。仕事にやる気を出していたメルトが驚くのも無理は無かった。

 トウカは自分が担当じゃなくて良かったと思った。始まる前から終わってはゲームを楽しむことが出来ないからだ。

 メルトは不満を露わにして言った。


「何でこんな奴が選ばれたんだ? トウカ代えてくれない?」

「駄目ですよ。こんな人でも魔王様がメルトに合ったと判断された人なんでしょう? もしかしたら凄い聖人なのかもしれません」

「そうかもしれないけど……うーん……」


 メルトは考え込んでしまう。待つ義理はトウカには無かった。


「わたしは行きます。お互いに任務が果たせるように頑張りましょう」


 トウカは歩き出す。その足が不意に何かを踏んだ。むぎゅっと。


「ん?」


 足元を見る。そこにいたのはスライムだった。トウカはスライムを踏んでいた。冷めた視線で弱者を見下す。


「まだいたのですか。邪魔ですね」

「トウカちゃん、重いよ。足どけてよ」

「ふん」


 トウカは容赦なくスライムを踏みつぶしてしまった。スライムは「ぷぎゃー!」断末魔を上げて砕け散った。後には残ったのはただ資料一つだけだった。


「弱者がわたしに命令できるとは思わないことです」

「待ってよ、トウカ。人間界までは一緒に行こう」


 メルトはその資料を近くの奴に押し付け、さっさと行こうとするトウカに急いでついていった。




 城から出ればそこは荒涼とした魔界の大地が広がっている。メルトが歩きながら訊ねてくる。


「トウカは人間界に行ったことがあるんでしょう? どんな場所なの?」

「どうということは無いわ。学校で習った通りのつまらない場所よ」


 目指す先には人間界に繋がるゲートがあり、すでに開かれていた。

 門の傍には番犬をしているケルベロスがその大きく獰猛な姿を見せて、旅立つ者達を見送っている。

 長きに渡って魔王の忠実なる僕を務めている番犬にトウカは礼儀正しく頭を下げて歩みを進めた。


「さて、ではつまらない世界の懐かしいあの人に。会いに行きますか」


 トウカは舌で唇を舐めて、ゲートの中へ飛びこんでいった。

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