第8話 正樹の好きな人は

 晩御飯の片づけを終えて優はいつものように自分の家に帰ることになった。

 ミンティシアも連れていくのかと思ったが、彼女は正樹の家に来た天使だ。正樹も優にはこれ以上の負担を掛けたくなかったので、こっちで預かることになった。


 出て行く優を、正樹とミンティシアは玄関まで見送った。

 優は靴を履いて二人を振り返った。


「じゃあ、あたしは帰るけど、戸締りはしっかりね。ミンティシア、『お兄ちゃんのこと』はお願いね」

「分かっています」


 ミンティシアはとってもニコニコ。優も機嫌が良さそうだ。二人はすっかり仲良くなったなと正樹は思った。

 優がミンティシアに正樹と恋人同士になれるように取り図らってくれなどとお願いしたなんてことは知る由も無かった。




 優が帰って、二人になったリビング。入ってくるなり、ミンティシアは右手を振り上げて宣言した。


「それでは始めましょう。コイバナターイム!」

「コイバナタイムって何だよ?」


 天使の少女のいきなりの発言に正樹は若干引きながら訊ねた。優を帰して大丈夫だったのだろうかと早くも心配になってきた。

 でも、これまでも優にはたくさん世話になってきたのだ。今日はこれ以上頼らないようにしようと頑張ることにした。

 ミンティシアは言う。全く悪びれない好奇心に煌めく瞳をして。


「人間は夜になって邪魔者がいなくなった後でするものなのでしょう。コイバナというものを!」

「する人もいるだろうけど、そういうのは普通同性で集まってするものじゃないかな?」


 それも旅行やお泊り会とかで。正樹はするつもりは無かったのだが、ミンティシアはノリノリだった。


「天使は愛に区別は付けません! 愛する者を橋渡しするのも天使の務めです!」

「そう言われてもな……」


 正樹は目線をそらせた。ミンティシアは踏み込んできた。


「正樹さんは誰か好きな人はいないんですか? あたしなら橋渡しをすることが出来ますよ! 天使ですから!」

「本当に?」

「本当ですとも!」


 優がいなくなって、ミンティシアの発言のパワーが増していた。コイバナタイムに突入した影響もあるだろう。

 正樹は視線を揺らがせた。そりゃそうだ。天使が好きな人と両想いにさせてくれると言っているのだから、健全な男子なら心も揺らぐというものだ。


 ミンティシアは正樹が好きなのは優だと信じていた。ならば仕事は簡単だった。

 正樹と優がくっついてハッピーエンド。二人はラブラブな生活を送って、ミンティシアは見事に使命を果たして天界に凱旋だ。

 こんなにちょろい仕事は無い。ミンティシアは笑顔になった。

 誰にとっても幸せな未来がすぐそこに見えていた。


 正樹が逸らしていた目線を正面に戻してくる。愛を繋いでくれる優しい天使を見る。


「本当に橋渡しを……してくれるのか……?」

「はい! 天使に二言はありません!」


 ミンティシアは自信たっぷりに断言した。

 優の家はすぐ隣だ。正樹が愛を伝えてくれと言うのなら、すぐにこの家を出て隣の家に走っていくぐらいのことは余裕で出来た。

 ゴールはすぐ近くに見えている。ミンティシアはニコニコと勝ち誇った想像をして正樹の言葉を待った。


 やがて、正樹は観念したように息を吐いた。


「優には絶対に言わないでくれよ」


 そう前置きして座る。天使にも座布団を差し出してきた。


「はい、優さんにはもちろん言いませんとも」


 優に伝えることなのに言うなとはこれいかに。

 ミンティシアはそう疑問に思いながら、それでも良い話なのは確かだろうと信じ、正樹の正面に座って話を聞いたのだった。




 聞き終わって、ミンティシアは目が点になっていた。


「灯花???」


 全く聞いたことの無い名前の出現に天使の思考が追いつかないでいた。

 正樹はさらに念を押していく。


「本当に優には絶対に言わないでくれよ。あいつ、灯花さんのこと嫌ってるんだから」

「言いませんけど。正樹さんは優さんのことはどう思っているんですか?」

「え? 幼馴染だけど?」


 ミンティシアは思わず泣きそうになってしまった。幼馴染とは何て可哀想な生き物なんだろうか。

 目頭を押さえて立ち上がった。


「ちょっと待ってください。調べますから」

「はい」


 正樹は目元を押さえた天使を不思議そうに見る。

 事が事だけにきちんと座って、言葉が敬語になっていた。

 ミンティシアは泣くのをこらえ、気持ちを落ち着けて自分の荷物の中から資料を取り出して、めくり始めた。

 正樹は緊張の面持ちでじっと正座して結果が出るのを待った。


 ミンティシアは人間関係のページで手を止めて、目を走らせた。関係の情報は無視して、名前だけに目を通していく。

 やはり思った通りだった。灯花なんて名前はどこにも無かった。念のために資料の最初から最後までパラパラとめくったが、その名前は無かった。

 ミンティシアは諦めて資料を封筒に入れて締まった。

 正樹の正面に座って再び話をする。


「灯花さんってどんな人なんですか?」

「とても綺麗で……お姉ちゃんみたいに優しい人だよ」

「正樹さんとはどんな関係なんですか?」

「小学の頃に公園で一日だけ話したんだ。一目ぼれだったんだと思う」

「今はどこにいるんですか?」

「分からないんだ。もうこの町にはいないんだと思う」

「連絡先はどこですか?」

「知らないよ。聞く間も無かったし聞けないよ」

「名字は何て言うんですか?」

「知らないよ」

「写真はありますか?」

「無いよ」

「そんな人をどう探せって言うんですか!」

「君が天使の力で探してくれるんじゃないの!?」


 お互いに憤慨して立ち上がろうとして、足を止めて、座り直した。


「ごめん、無理なことを言ったね。忘れて」

「いえ、気には止めておきます」


 何だか気まずい空気になってしまった。


「テレビ見よっか」

「はい」


 テレビを付けて二人で見ることにした。

 テレビは楽しい音を鳴らしていたが、正樹もミンティシアもどこか上の空で聞いていた。

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