第13話 施術完了。─Karte 038 美空 雫─
「雫ちゃん 戻っていいですよ?」
血まみれのスイートルーム。
いまだ部屋の上をふわふわと漂い、呆然としていた私に、ふいに声がかかる。
見下ろすと、下着姿のまま血まみれでにっこりと笑ったメアさんが、手招きをしていた。シュールな光景だ。
普通に、恐ろしい惨状だとは思うが、返り血も、メアさんの美しさを引き立てる小道具のように見えて、なんか似合う。素敵とさえ思ってしまった。
戻っていいって…いったいどうすれば…?
私がふわふわゆらゆらと、どうしたらいいのか分からず迷っていると、急に手が引かれた。
「ごめんなさいね。戻りかた、分かんないですね。……よいしょっと。」
引かれるままに、すぅっと寝ている私の身体へ導かれると、スポンジが水を吸い込むように身体へと染み込んだ。
途端に戻ってくる五感。
メアさんのいいにおい。
あったかい、いいにおい。
このひと、基本的にいいにおいなんだな。どんな香水とも違う。トゲのない、とても安らぐ香り。
「なんですか?くんくんしちゃって……えっ 私臭い?! 」
メアさん急いで自分のあちこちをくんくんしてる。ふふ……
「……ふふ……ふふふ…。」
「えっ?! ほんとに? えぇっ?!」
「ふふふっ…ふふふふふ…ははは!」
「なぁにー?! もぉぉ雫ちゃん! やだ!はっきり言ってくださーい!えーん!」
もぅ、いいにおいで、かわいくて、身体軽くて、血まみれで、あったかくて、強くて、素敵で、嬉しくて。
なんかもぅ、胸の奥の汚いものがぜんぶ無くなっちゃった気がするの。
すっごくすっきりしてるの。
なんか楽しい。 笑えてくる。
わけわかんないの!
「雫ちゃーん?! えーん!はっきり言ってー‼」
***
ひとしきり笑ったあと、膨れるメアさんを横目に、倒れた家具や散乱した荷物たちを片付けてると、メアさんが思い出したかのように膨れるのをやめて、立ち上がった。
「忘れてた!フィールド、戻しますね。」
「…フィールド?」
「そう。私のフィールド。」
「………??」
意味がわからず、首をかしげてメアさんを見ると、メアさんはにっこり私にウィンクして指を一回鳴らした。
すると、倒れた家具や壊れたものが、みるみる元通りに直っていく。血まみれの室内も、血まみれなメアさんも、すべて元の綺麗な状態に戻った。
「これでぜんぶ元通り♪ この部屋の中だけにね、私のフィールドを展開させてたんです。夢の中の世界。外には何も聞こえないし気づかれない。このフィールドの外には何にも影響はないですよ。すっごいでしょー♪」
一転して得意満面のメアさん。
そこだけがすごいんじゃないですよね? いろいろと聞きたいすごいとこがたくさんありますけど。
「……私…その……すごく、軽くて……その…よく説明は出来ないですけど……気持ちが晴れやかっていうか……」
「でしょう? よかったね♪ 長いことあのゴミ虫に心を食べられてたんですもの。しょうがないです。」
「…あの……魔物みたいなのが…? 私の心を食べていたんですか?」
「そう。あなたの弱みにつけこんで、あなたの欲望を食べてたんです。あなたが理性を保とうとすれば、あのゴミ虫はなんとか理性の
そんなにこやかに言われても…恥ずかしくなる…
そう。恥ずかしい。
今は本当に恥ずかしくて、しょうがない。感情が戻ってきた感じ。ずっとずっと昔に戻ったような、とても奇妙な感覚。
もしかして、そんなに昔から、私はあの魔物を飼っていたんだろうか…。
「でもあのインキュバスは、雫ちゃん自身の負の心が呼び寄せたものです。何もないところから発生するものではないんですね。エサが大量に獲られるから、呼び寄せられる。ほんとはもっとこう、たくさんの人間の欲望を喰らって生きるあやかしなんですけど…。 雫ちゃんっていうひとりの人間だけの、小さな小さな欲望だけでお腹が満たされるような小物じゃぁ決してないんです。それが、雫ちゃんだけに、しかも長期間取り憑いていた。 ……私は夢の中のこと、潜在意識にあるヴィジョンしか見えないんですけど、マスターがおっしゃるには、雫ちゃんには生まれつき、そういった類いのものを感知して、取り込んで、保護して、なんだったら癒してしまうような、あやかしたちにとってはオアシスのような能力があるんですって。」
「…オアシス……ですか…?」
「そう。あやかしたちにとっての、理想のおうち。それが、雫ちゃんの能力、『
「…チューン……。」
にわかには信じがたい話ばかりだ……けど、思い当たる節は数えきれないほどある。
第一、人間に対して、どこか疎外感を抱いて生きてきたのは確かだ。あんなことされながら生きてきて、まともな精神を保っているのが不思議だったし。あの淫魔と同調をしていたならそれもうなずける。私はあの淫魔と同調して、共生関係にあったんだ。
「ああ見えて、インキュバスってけっこう位の高いヤツなんです。あなたにエサを貰って護られていたから、他のあやかしを寄せ付けないように、あなたを護っていたんですね。」
そう考えると、なんか可哀想な気がしてくる。確かに幼い頃から何度も何度も、変な人外を見てきたもの。そいつらに取り憑かれずに、この歳までちゃんと生きて来れたのは、やっぱりあの淫魔のおかげだったのかもしれない。
「あっ。今、雫ちゃん、可哀想とか思ってたでしょ? ダメですよ? そこが雫ちゃんの弱みなんです。自分を大切に思っていないから、人間でもあやかしでも分け隔てなく、自分より大切に思ってしまう。 違うの。 雫ちゃんは、雫ちゃんより大切なものはないの。自分をいちばん大切に思っていて、いいの。 じゃないと、誰を護ることが出来ないし、誰をもしあわせにすることは出来ないの。 あなたがしあわせじゃないと、私はしあわせじゃないです。だって、雫ちゃんは、出逢った時から私に普通で居てくれた。心を食べられてた状態なのに、私を大好きだって言ってくれた。 私は、こんなに化け物なんですよ? だけど、雫ちゃんは何も変わらず笑ってくれた。 だから、あなたがしあわせじゃない未来に、私は絶対行かせない。 あなたが大好きだから。雫ちゃん。」
「…メアさん……。」
この胸のつかえがとれて、すごくすっきりしてから
真っ先に思い出したことがある。
「私はね、泣き虫だったんですよ? ………もぉ……泣かせ殺す気ですか…? メアさんのバカ。 大好き!」
それからはほんとに、涙が枯れるまで泣いた。
7歳のあの日からずっと溜まっていた涙を、渇ききっていた私の心に還した。
いつのまにか、あたたかなメアさんの腕の中の
「
今日、私の長年の
綺麗に
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