第3話

 耳が痛くなるような甲高い音がする。いつの間に気を失っていたのだろう。リクオは目が覚めると、うす暗く、じめっとした洞穴ほらあなのようなところにいた。

 手足はついている。透けてもいない。リクオは、体をおこして、軽く手足に力を入れた。自分の思い通りに動かせる。しびれや違和感はない。

「起きた?」

 低い、唸るような声がする。リクオは飛び起きると、周りを見回した。しかし、誰もいない。

「悪いけど、ちょっと動けなくてね。トカゲ使って喋ってるよ」

 確かに、足元には小さなトカゲがシャカシャカと歩いている。

「あんた、誰だ?」

 リクオは、とりあえずトカゲに尋ねた。

「私かい?それともトカゲ?」

「あんただよ。トカゲじゃない」

「まあ、そうだよねー」

 軽いやつだ、とリクオは思った。

「さっきも言ったんだけど、事情があってそっちに行けないわけよ。トカゲに案内させるからさ、こっちに来てくれない?リクオくん」

 急に名前を呼ばれ、リクオは体が強ばるのを感じた。

「なんで、名前知ってるんだ?」

 声はそれには答えず、早く、早くとトカゲを通して急き立ててくる。リクオは迷った。だが、これ以上この場にいても、自分だけではどうにもならないことも分かる。

 リクオはふうっと息を腹から吐き出すと、トカゲの後をついていくことにした。

「良い子だね」

 トカゲはそう言うと、リクオの前を歩き出す。リクオはトカゲを見失わないよう、踏み潰さないよう、きっちりと後をついていく。トカゲの方も、何度も後ろを振り向き、リクオがはぐれていないかしきりに確認しているようだ。

 洞窟内はどこからか光が入っているのか、真っ暗ではない。ただ、陰湿で、お世辞にも気持ちがいいといえる場所でもない。

「この中で迷ったらどうなるんだ?」

 ふと疑問がわき、リクオは尋ねた。

「どこかに地上につながってる穴が1つあることしか知らないな。迷ったら、神様に拝むしかないね」

 トカゲは横穴の前で止まった。リクオも止まる。

「やあ、お疲れ様」

 トカゲからではなく横穴の奥から声がする。リクオがおそるおそる覗き込むと、部屋の奥に、退屈そうに頬杖をつく龍の顔が見えた。

「どわっ」

 インパクトがでかすぎて、リクオは腰を抜かしそうになる。

「元気?」

 龍が笑った、ように見えた。機嫌が良いのか、悪いのか、ひげがピコピコと動いている。

「元気っちゃあ元気だけど……」

 リクオは龍のいる洞穴をさっと見回した。ここまで来るのに通路として使った穴と大きさ、広さは変わらない。奥行きはそうなく、大人五人もいたら圧迫感があるだろう。

 龍は、前足と頭だけをこちらに見せている。それにしても、この部屋はうるさい。

「体で塞いでるんだけど隙間があってね。うるさいか?」

 龍が尋ねた。

「まあね。ところで、あんたがばばさまの言ってた龍?母ちゃんはどこだ?おれの名前も知ってるくらいだから母ちゃんの居場所も知ってるんだろう?」

「まあ、知らないわけではないね」

 龍はやけにもったいぶって答える。リクオは、欲しい答えがすぐに返ってこないことにイライラする。詳しく尋ねようとした時、タタタッと誰かが駈けてくる音がした。

「リクオ?ここにいるの?」

 泉の近くであった女だ。息を切らし、肩を上下させている。

「ちょっと、龍神様。どういうことなの?リクオをここに呼んでどうする気?」

 女は、リクオを守るようにして龍の前に立ちふさがる。

「私が呼んだんじゃない」

 龍は、女から目をそらしてブツブツと答える。

「リクオ、何もされてない?大丈夫?」

 女は、龍の反応など気にも留めず、心配そうな眼差しをリクオに向けた。人に心配されるのに慣れていないリクオは、戸惑い、少し照れる。リクオが無傷なのを確認し、女は龍に迫った。

「じゃあ、なんでリクオがここにいるのよ!」

「呼ばれたんじゃなけりゃ、自ら来たんだろうよ」

 龍は、リクオを呼んだ。

「リクオ、何しにここに来た?」

「母ちゃんに会いに」

 リクオは答える。

「なら、もう帰れ」

 龍は答えた。

「それがお前の母だ」

 龍は指で女を示した。リクオは女をまじまじと見つめる。

「ほんとか?」

「それは……」

 女は口ごもる。

「じゃあな」

 龍は、シッシッと手を振る。リクオは、無性に腹が立ち、女を押しのけて龍の手を掴んだ。

 その瞬間、リクオの掌が光り、頭の中にいくつかの情景が流れ込んできた。

 リクオは見た。若い男、生まれたばかりの赤ん坊、そして、死にゆく年老いた龍を。

「なんだ、これ……」

 リクオは戸惑った。龍は、光るリクオの手を見て、リクオに言った。

「ばばさまに手を握られた?光ってるのは巫女の守護だね」

「ん?あ、ああ」

 言われてみれば、村を出る前にそんな事もあったような。おぼろげな記憶を辿る。でも、それよりずっと気になることをリクオは聞いた。

「なあ、今の、なんだ?」

「今のって?」

「あんたの手に触ったら、なんか見えた。あれ、父ちゃんか?」

「そうかもね」

 龍はため息をつく。

「なんであんたが若い父ちゃんを知ってる?あんたの記憶か?あの赤ん坊は誰だ?」

 龍は、舌打ちをした。女は、不安げに、龍とリクオをかわるがわる見る。なあ、とリクオが呼びかけたとき、龍が声を荒げた。

「うるさい子供だね。親の顔が見てみたい」

 龍の言葉を聞いて、女がぷっと吹き出す。

「なに笑ってんだよ」

「タライに水でも張って持ってきましょうか?」

 龍が睨む。丸く大きな目をむいてジッと見つめているのは、流石に迫力だ。

「失礼しました」

 女は肩をすぼめる。龍はリクオに向き直ると、まっすぐ目を見た。リクオもじっと見つめ返す。

「母親は死んだって聞かなかったのかい?」

「友達の父ちゃんが、死んだはずの母ちゃんを見たって話してるのを聞いたんだ」

「それで、ばばさまに聞いてここに来た?」

 リクオは頷く。

 しばらく沈黙した後、龍は口を開いた。

「少しだけ、昔話をしようか」


 ミサキという娘がいた。ミサキは龍に守られた村に住んでいた。村は、代々龍の巫女を選び、龍の谷から呼ばれると、龍に仕えねばならなかった。しかし、龍に呼ばれることは長い間なく、村の中で巫女の役目は継がれたが、次第に肩書きだけのものとなっていった。

 ミサキも巫女に選ばれたが、これといった役目もなく、時期が来ると次の代に譲り、結婚し、子供を生んだ。

 そんな折、谷から巫女が呼ばれた。村は騒然とした。なぜなら、当代の巫女が大怪我をして動けなくなっていたからだ。

 巫女は各世代に一人と決まっていて、下の世代は十にもならない女の子たち。巫女として働くには幼すぎた。

 そして、先代の巫女であるミサキに白羽の矢が立った。

 子供が生まれたばかりのミサキは当然断ろうとした。しかし、子供は村のものが代わりに育てられても、巫女の代わりには誰もなれないと諭され、ミサキは巫女の仕事を受けた。

 ミサキは家族と別れ、山を三つ越えて谷へとおりた。

 

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