第0話 絶望からの萌芽・1

 アレスティア王国が誇るクランハイム魔法学院。そこでは国の未来を担うに相応しい若き優秀な魔術師達が研鑽に励んでいる。……というのは今の時代、薄っぺらな建前に過ぎなくなっていた。


 創設三百年の歴史の中で、偉人とも呼べる先達を幾人も輩出してきたクランハイム。

 しかし長きに渡る平和から危険を伴うような大魔法は最早取り扱うべきではないという、二十年前に行われた修学魔法の縮小策により学徒のレベルは著しく低下し、また本来は魔法を正しく取り扱える心の強さを養う為の人道教育もまで落としこまれ……その結果現在では、半端者揃いの錆びついた学び舎と化していた。


 そんな今のクランハイムで熱い向上心を示し学習に励もうとすれば、逆に周囲との軋轢を生みに生んで、息苦しくなって、やがて孤独の苦痛に苛まれ挫折へと追い込まれるのがオチなのだ。

 それがオチ……なのに――。


 ※


「きゃああああ!」

 魔法に関する儀式を行う実践室――そこに響き渡る女学徒の悲鳴は、周囲で茫然としているクラスメイト達とは明らかに違う一体の異形へと向けられていた。


「ふふふ、そんなに我が恐ろしいか?」

 不敵な笑みを浮かべた後、並の人間より大柄で黒ずんだ体躯をした異形は足元の乱れた魔方陣から一歩出る。「何で出られる!?」とざわめき立つ学徒達を見渡した異形は軽い溜め息を吐いた。――この時異形は背後に、同じように溜め息を吐く学徒が居た事には気付いていなかった。


「この学院に契約霊として囚われてから五十年になるが、ここ少しの間に随分学徒の質も落ちたものだ。不完全な召喚で我――イフリートを呼び出した所為で、この通り我を縛り付ける強制力が消えてしまっているのだからな」

 異形――イフリートは自らを契約霊と言った。


 契約霊とは召喚によって現れ、召喚したマスターにその膨大な魔力を捧げる精霊の一種の事である。

 契約霊を得れば強大な力を得て、また卒院後も高名な魔術師への道を約束されるのだ。

 その契約の儀式に挑めるのは魔法の才能を持つ学徒達の中でも特に有能な者にのみ。それ程難しい儀式でもあった。


 イフリートはさっき悲鳴を上げた女学徒――契約の儀式に挑んだ女学徒に、再び言葉を掛ける。

「我には召喚者の資格を見定める責務が有る。……さっさと名乗れ。我を呼び出したのはお前だろうが」


 女学徒は引きつった顔で恐る恐る口を開く。

「わ、私の名乗りを受ける? 契約の儀式を、つ……続けてくれるの?」

 ――なんで? 召喚は不完全だった筈――思い通りに動かない口の代わりに怯える目がそう言っていた。


「不思議に思うか? まあ本来は魔術の強制に依って、我は人間に契約霊として使役される訳だが、その強制力が消えた今確かにお前の言う事を聞く必要も無くなっている」

「そう、でしょうね……」

 周囲の学徒が固唾を飲んで見守っている中、女学徒はなんとか言葉を絞り出すようにしていた。


 イフリートは女学徒の様子をじっと見て、口元を緩めた。

「なに、少しお前が気に入ったのだ。見た感じは他の者同様恐怖に縮こまり、我が吹けば飛んでいきそうな癖をして、しかし心だけは折れずにこちらを見据えてきている。その有様がかつての優秀な魔術師達を思い起こさせて、我を懐かしい思いにさせるのだ」


 イフリートの言っている事は確かだった。女学徒は怯えていながらも、決して目の前で怪しく笑う異形を前に思考する事を投げ出してはいない。


 肩まで伸びた栗色の髪は生まれついての癖に依るウェーブが掛っていた。細身であると同時にハリのある肌は、十分にその瑞々しい若さの象徴足り得る。そしてこの時の彼女の外見で一番特徴的だったのは端整な顔立ちの中でも更に際立つ、自らの危機を前に半ば無意識で立ち向かおうと歯を食いしばる事で浮き彫りになった、その攻撃的なまでに艶めく下唇だ。――という言葉通りに、しかし受動的などでは断じて無い、そこに漲る女の強さを露わにさせていた。


 女学徒はこの時イフリートが言っている事が解らなかった。敢えて説明するなら言っている事の重みが、だ。

「女よ、名前を言え」

 女学徒は唇をと噤んで後ずさった。


 自らを名乗る事こそが、契約の為の交渉の始まりとなる。

 女学徒は直感的に慎重になるべきだと判断した。

 ここで名乗ればイフリートと契約交渉に通じる縁が生まれる事になる。そうなれば途中で引き返す事は出来なくなる。


 加えてイフリートは儀式の最中召喚者の優位に話を進める為に必要な、強制力の源となる魔方陣を最初に破っている。その時点で召喚者に牙を剥いていてもおかしくないのだ。

 ずっとその不安で心が押し潰されそうなのを堪えていた。だが、彼女が後ずさった時に学徒の誰もが距離を離した事が逆に、彼女の心を一つの回答へと押し出した。


 ――何が有ったって、みんなどうせ助けてくれない――

「クリオ……クリオ・アリアーデ」

 イフリートはにやりと笑った。

「いいだろう、では契約の代償を言うぞ。代償はこの場に居るクリオ……お前以外の学徒全ての命だ」


 即座に喧騒が巻き起こり、クリオも堪らず「何ですって!?」と非難混じりに叫ぶ。

「元々強制力が無いのに契約してやるのだ。代償は我の言い値で払って貰う」

「そんなの……幾らなんでも欲張り過ぎじゃない!」


 クリオの中に有った恐怖が消えていた。怒りの表情で以てイフリートを睨み付ける。

「しかしお前はもう名乗ってしまっているぞ。今からこの交渉を無かった事にするのなら、それはお前の命で贖って貰う。曲がりなりにも魔術を学ぼうという者が、契約霊との交渉の重さを知らないとは言わせぬ」

「――っ!」


 この時ばかりはクリオは声も出せなかった。

「ふふふ、さてどうするクリオよ」

 イフリートの態度は不遜であり、交渉だ代償だと言っているのもクリオの葛藤を見て悦に浸ろうとする為の方便に過ぎなかった。

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