第2話 RH03



 田村さんはアラフォーで、課長よりも年上だ。そのことから分かるように、猛烈に仕事が出来る人ではない。でも、その人柄から取引先からは信用が厚く、安定した成績は上げている。


 クビにされるのならば、よほど僕の方なのに……。


 日報を作らなくちゃいけないのに、何も手に付かない。無意識に、書類をめくっては整え直すことをひたすら繰り返していた。


 でも動揺していても始まらない。もう今日は帰ってしまおうかと、書類を机の端に置いて鞄に手をかけたところで、営業所の扉が開いて課長が入ってきた。


 そうだ、課長に聞けばいいじゃないか。今朝のことがあってちょっと怖いけど、モヤモヤしているままよりは余程マシだろう。                                                                       そう思って席を立とうとした時、課長の後ろについて一緒に入ってきたソイツを見て、僕は思わず中腰のまま固まってしまった。


「吉田さん……」


 もちろん、エクセレントマートの吉田さんが入ってきたわけじゃない。


 そこに立っていたのは、吉田さんが見せてくれたパンフレットに載っていたAI搭載ロボットだった。課長が軽く咳払いして注目しろと促す。


「明日から試験的に営業に就いてもらう、最新型のAIロボット『RH03』だ。今までのロボットに比べれば、格段に進歩しており、ほぼ人間と同じ行動が可能となっているそうだ。それでも、初めのうちは学習機能を働かせるために、誰かと組んで行動させた方がいいらしい」


 そういうと、営業所内をグルリと見渡した。勘弁してくれと言わんばかりに、皆一斉に目を伏せる。僕はと言うと、思わぬ急展開に呆気にとられてしまっていて、そのままそのRHなんとかから視線を外せずにいた。


 チラッと視線を動かすと、課長と目が合ってしまい、思わず慌てて目を逸らした。


 視界の隅で課長が僕を睨んでいるのを感じたが、目を上げることはできない。そんな得体の知れないロボットと組んで仕事をするなんてできるわけがないだろう?


「ふん、まぁいい……」


 課長は吐き捨てるように言うと、もう一度営業所内を見回してから、数歩歩くと僕の左斜め前に座っている男の肩を叩いた。


「野村、お前が明日からコイツの面倒を見ろ」


 野村係長は泣きそうになっていたが、そんなことはお構いなしに、課長は分厚いマニュアルを主任の机にドサリと置き「一通り目を通しておけ」と問答無用に言い放つ。


 野村係長は何か言いたげに口をパクパクさせていたが、課長は無視するかのように、くるりと背を向けると、とっとと営業所から出ていってしまった。


 残されたのは、僕達営業所員八名とロボット一台。室内に微妙な空気が流れる中、そのロボットは僅かに聞こえるモーター音を響かせながら、野村係長の方へ歩いていく。


 野村係長は営業所内では田村さんに次いでの古株で、前の課長に認められて係長に昇進した。思い返せば、その時の野村さんが一番輝いていた時かもしれない。


 会社の方針が変わり、課長も変わって、野村係長への評価も変わった。今の課長は野村係長と相性が悪く、何かにつけて面倒なことを押し付けていた。今回のように。


 ロボットは自分の席でうなだれている野村係長の横までやってくると、ペコリとお辞儀をして「ヨろしくお願いシまス」とやや片言っぽい口調で言った。


 なんだ。案外良いヤツじゃないのか? 僕を含めて野村係長ですらそう思ったらしく、顔をあげると腹をくくったように膝をパンと叩いて「こちらこそ」と手を差し出した。


 ロボットと人間の握手しているシーンは、なんとも言えないシュールなものだったが、みんな何か場の雰囲気みたいなのに飲まれてしまったようで、吉永なんかはパチパチと拍手までしている。


 肝心のロボットは無表情のまま、少しだけクビを傾げていた。



◇◇◇◇◇


 

「じゃ、行ってきます!」


 翌日の朝、野村係長は完全に立ち直ったようで、例のロボットを引き連れて颯爽と事務所を後にした。僕はなんとなく嫌な感じがしたけれど、昨晩の様子を見ていたので、取り越し苦労だろうと納得することにした。


 それに僕だって、人の心配ばかりしていられない。昨日はエクセレントマートの吉田さんのお陰で少しの気晴らしもできたし、(列の並べ替えで)多少の売上もあった。


 今日は特に見込みがあるわけではないので、また得意先を回って営業活動をしていかなくちゃいけない。毎日毎日同じことの繰り返し。数字を上げても上げても、それは昨日までのことで、今日からはまた積み上げていかなくちゃいけない。


 ロボットが現れたからというわけでもないのだが、それから僕はがむしゃらに頑張った。トップの成績を上げるというほどの活躍はできなかったが、それでも課長からのお説教の回数は徐々に減っていった。


 野村係長とロボットは案外上手くやっているようだった。ロボットには世間話をするような機能はないらしく、営業車の中がお葬式みたい、と野村係長はこぼしていたが、それはそれで気を使わなくて良いので、ある意味気が楽だとも言っていた。


 課長自身はあまりロボットには興味が無いらしく、時々野村係長を呼びつけて様子を聞いている程度だった。まぁ相手はロボットなので、その気になればいつでもデータを確認できるのかもしれない。


 課長を含めて会社は、ロボットについて僕らに何の説明も行ってないので、僕らは僕らで、会社は「私たちは先進的な企業ですよ」というアピール程度にロボットを導入したのだろうと勝手に思っていた。


 それから約一ヶ月が過ぎた頃、朝礼の最後に課長が野村係長に、この後残っておくようにと言った。


 僕はドキッとした。課長がこういう言い方をする時は、たいてい良くないことが多い。野村係長も同じように思ったらしく、少し顔を強張らせながら、やや上ずった声で返事をしていた。


 ロボットとの間に何かあったのだろうか? 


 野村係長のことは気になるが、かと言って用もないのに営業所に残っているわけにもいかない。何かと理由を付けて残っていると、また課長に怒られるのがオチだろう。


 上半身をピンと伸ばしたまま、椅子に腰掛けている野村係長を横目に僕は鞄を手に取り営業所を出る。久々にエクセレントマートに寄ってみようかと思った。売上に関してエクセレントマートへ頼る部分は少なくなってきていたが、それでもお得意様には変わりない。そう言えば、吉田さんの顔もしばらく見ていないし。


 でも営業車の中で、手帳にびっしりと書き込まれた予定を見て、今日は諦めることにした。吉田さんには悪いが、今日は暇つぶしが出来るほど暇じゃなかった。午後から「社運を懸けた」と課長が言っていた「新作グミ」の試食会があるし、午前中は午前中で取引先を数軒回らなくちゃならない。


 試食会は今回だけではなく何度もあって、どちらかというと今回のは小規模のものだ。そしてそれの担当を、なぜか僕がすることになっていたのだ。


「まったく……グミに社運を懸けるって、どうなんだよ」


 愚痴りながらも営業車を走らせる。予め準備はしておいたものの、試食の会場には早めに行ったほうがいいだろう。僕の頭の中には、すでに野村係長や吉田さんのことはなく、とにかくこの小さな試食会を成功させなくては、という思いで一杯になっていた。

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