第32話 マスカレード(2)
馬車を止め、ヒルデの手を引いて降りる。
ちょうど腰の高さになっている馬車の降り口からマヤを抱きとめて下ろす。
その間に近づいてきた武官風の男に偽りの身分を喋ると、俺は、ニコラウスから託されていた、支度金を惜しげも無く彼に渡した。
紐で絞られている麻袋。
その口の中に指を突っ込むと、武官は眼を細めて中を覗き込む。
一枚、そこに入っていた金貨を取り出してしげしげと眺めると、確かに、と、呟いて彼は俺達の前から退いた。
「さてと、家族連れで仮面舞踏会と洒落こみましょうかね」
「チョウチョさんのお面だ。いいな、ルド、それ、いいな」
俺のパピヨンマスクを指して、マヤがいいなと羨ましがる。
正直、その感性がよくわからない。
はいはい、マヤにはこの猫ちゃんのお面があるからね、と、すぐにヒルデが彼女ようのお面を差し出した。
猫の耳が額の辺りに生えているそのお面。
どうにも芸術的な造形だが、子供がつけるにはいかつい感じがする。
思ったとおり、えぇと、明らかにマヤは嫌そうな顔をした。
かくして、俺とヒルデ、マヤの三人は仮面舞踏会の舞台へと踏み入った。
舞踏会、と言っても、目的は各国要人による情報交換の場である。
踊っているのは舞台の踊り子ばかりで、もっぱら、参加者はテーブルやソファーに集まって喋っている。
給仕の女メイドが酒を持ってこちらへと歩いてくる。
幾つかのグラスが載っているその中から、一つ、ウィスキーと思われるものをそっと抜き出すと、俺は唇を湿らせた。
「ちょっと、任務中でしてよ」
「大丈夫だって。いちいち固いなヒルデは」
一杯や二杯くらいで酔いつぶれるようなやわな体はしていないよ。
ましてリヒャルトじゃあるまいし。
自分が分からなくまで痛飲するような愚もしない。
周りを見ても酒を持ってる奴らばかり。
逆に持っていない方が怪しまれるってもんだ。
そういえば、リヒャルトの奴はどうしているだろうね。
もうラルフの奴はやられちまったから、仕事はないと思って、今日はしこたま飲んでいるんじゃないのか。
同様に、ユッテの奴も会場の飯という飯を食べ歩いているかもしれない。
「よう、遅かったじゃねえか、ルド」
「あっ、おいちゃん!!」
軽率にフリッツに反応するマヤ。
さっき言ったばかりだろう、と、頭を抱える俺をよそに、フリッツは気にしない感じにマヤを楽しそうに抱き上げた。
「んだよ、今更正体バレるの気にして何になるんだ」
「そうだがよう」
「木を隠すならなんとやらってもんだろう。変に静かにしてなり潜めるより、自然に振る舞ってた方がよっぽど怪しまれないと俺は思うがね」
フリッツはそう言うと、持ち上げていたマヤを床へと下ろした。
まぁ、こいつの言うことにしては、一理くらいはあるかもしれないな。
しかし、相変わらず似合っていない貴族服である。
仮面をしていないのは、なるほど、その左目の眼帯があってのことか。それで十分に仮面代わりといえばそうだし、その様な状態では、無理に仮面など付けて視界を制限するのを周りも気を使うだろう。
「あら、マヤじゃないのさ。なんだい、いつもは寝ている時間だろう」
フリッツに続いてやってきたのはヘルマだ。
山も無ければ谷もない、平原の乙女であるヒルデと違って、こちらはまぁ、なんというか名勝絶景大山脈という感じだ。
薄手のドレスも相まって、男だったら思わず息を飲むだろう。
普段は制服を着ているので意識しないが、こいつ結構いいものを持っているな。
「ヘルマだ。あれ、どうしたのそんな格好して。そんなひらひらの服着てたら、お腹壊しちゃうよ?」
「だよねぇ。そうだよねぇ。さっきからちょっとお腹痛くてさぁ。こんなの正直柄じゃないんだよね。すれ違う度に男共にやたらと声もかけられて緊張するしさぁ」
田舎娘には荷が重い役だわな。
いやけれど、その格好だけで男の眼を騙くらかすのには十分だろう。
こんなん見せられたら、もう、何を言われても、うんしか言えなくなるって。
「鼻の下が伸びてますわよ!!」
げしりと、また、ヒルデが俺の足を踏む。
今度は馬車の中と違ってヒールに体重がしっかりとかかっている。
それこそこのまま床に足が打ち付けられるんじゃないかという、きつい痛みに思わず顔がひきつった。
「ラルフについてはまぁ残念だったな。だが、本人は今回の恐慌会議に参加していなかったんだろう?」
「らしいな。まぁ、コランタンの思惑の通りにならなかっただけでも良かった」
謎は残るがな。
ヒルデとヘルマ、それにマヤが、揃って離れていく。
残された俺とラルフは、手近にあったカウンターにもたれかかると、マスカレード参加者を眺めながら酒を飲み始めた。
酒の飲めないフリッツはミルクだ。
こういう場にあっても、自分が下戸であることをまったく隠す気が無いあたりが、実にこいつらしい。
「お前、心あたりがあるか、人の死体を使って人のコピーを作り出す術なんだが」
「知るわけが無いだろう。そういうのは学者崩れに聞けよ」
「禁術なんだからリヒャの奴も知らんだろう。それと、ゴーレムの魔術文字に近い物が書かれていたんだが」
「だからしらねえっての。人の話を聞けよ」
藁にもすがりたいって気持ちは分からねえでもないがよ。
苦笑いをしてフリッツはミルクを口に運ぶ。
こいつも、俺も、心当たりが無いとなると、こりゃもう手詰まりだ。
あと頼りになるのと言えば、まっとうな魔法使いであるウドくらいだが。
アイツは、今、マルクと一緒に遠いローランの土地である。
「瞬間移動の魔法が使えると言っても、当人だけしか使えないんだからなぁ。こっちから何か連絡を取る手段でもあれば、相談が出来るんだが」
「そうだね」
それでもウドの奴がこの禁術について知っているかどうかは分からない。
千年の時を生き世界の神秘について精通しているエルフ族。
とはいえ、魔法についてありとあらゆるその全てを知っている訳ではない。
特に寿命という概念について、長寿であるということや自然との共生を重んじる風習もあってか、甚だ彼らは希薄である。
不死に関する魔術について、ウドといってもどれだけのことを知っているのか。
「ゴーレムと同じ魔術文字ねぇ。聞いたことはないから、おそらく、ゴーレムの魔法を元に、術者が改良したんじゃないかな。もともと、ゴーレムも人間の骨だとか動物の骨だとかを核にした擬似生命魔法だから、それがより強力になったって感じかな」
「より強力に、ね。だが、仲間内をすっかりと本人と騙し切る自然さだったんだぜ」
「へぇ」
「あのノロマなゴーレムが、どうやったらアレだけ人間染みた感じになるのか」
「知性に関してなら、ゴーレムに限らず、擬似知性や生命体としての魔法が確立されている。難しいことじゃない。ゴーレムがああなのは、術者に都合が良いからさ」
なるほどな。
って、俺は、いったいさっきから、誰と話しているんだ。
「ルドルフ。君もまだまだ勉強が足りないね。いったい何年、こうして一緒に仕事をしているんだい」
声は俺とフリッツのちょうど間、それも足元からしていた。
視線を落とせばそこには、ホットワインに息を吹き替けながら、ちびりちびりと飲んでいる小さな子供の影。
いや、小さなエルフの姿があった。
その知識がいっぱい詰まっているつむじには見覚えがある。
「ウド。お前、なんだよ来てたんなら連絡しろよ」
こちらを見上げたその顔は、まごうことなき、公国魔法部隊副隊長のウド。
仮面舞踏会だというのに仮面も付けず、また、いつもの部隊の制服を着てワインを美味しそうに飲んでいる彼。
公国魔法部隊が居ると分かれば、それこそ各国の工作員が騒がないはずがない。
どうやらインビジブルの魔法を使っているのだろう。
周りの人間は、この小さな魔法使いの登場に一切気がついていない様子だった。
「ごめんよ、君たちと連絡を取ろうと、色々と策は弄していたんだけれども、なかなか、ローラン側の監視が厳しくってね」
「マルクの奴は大丈夫なのか」
「それはね。それよりも、さっき話していた、ラルフ、って言うのは、もしかして両替商のラルフ・ヴェルツェル、のことだったりするかい?」
どうしてこの場に居なかったウドが奴の名を知っているのか。
ホットワインを飲み干して、少し上気した顔をこちらに向けるウド。
あぁ、と、その問いに肯定を持って答えると、彼は、そうか、と、意味深に視線を地に落とした。
「ちょっと待ってくれよ。ウド、どうしてお前がラルフのことを知っているんだ」
「知っているさ」
「そんな有名人だったか、あの両替商。まさかお前、個人的に借金がとか」
「そんなんじゃないよ。まぁ、借りがあるにはあるけれども。一方的に、貸し付けられて、それでその見返りが返ってくるものでもないけどね」
どういうことだよ。
俺が尋ねると、ウドは手にしていたホットワインのグラスをテーブルに置いて、ゆっくりとこちらを振り返った。そして、その掌を俺達の前に差し出す。
水をすくうようにして出されたその上には、どこから出したのか青白く光る球体が見える。その中にうごめいているのは、これまた、よく見知った人達の姿である。
ウド、マルク、そして幾らかの彼らに随伴するアイゼンランドの兵士たち。
これはおそらく、ウドとマルクが遭遇した過去の映像なのだろう。
彼らの他にも多くの人間でごった返しているその青白く光る球体の中。その人混みの中央には、これまた、見たことの有る顔の男が、苦悶の表情で倒れていた。
ラルフ・ヴェルツェル。
さきほど議場で倒れた男、その顔が崩れる前のそれと、そっくり同じだった。
彼に、間違いない。
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