第33話 マスカレード(3)
「僕達がローランの王都を離れて二日目のことだ。ハーフェン将軍達と分かれて、トゥールの街へと立ち寄った僕たちは、この男が何者かの手で持って殺害された現場に遭遇したんだ」
「死因は?」
「目立った外傷はない。簡単に僕が調べたかぎりだと窒息死としか考えられない」
窒息死。
コランタンの魔眼による死因とは少し違う。
俺があの眼に睨まれて陥った死は、そんなじんわり滲み寄るようなものではない。まるで、魂そのものを突然に引っこ抜かれたような衝撃を伴う死だ。
妙だ。
それは、教皇会議の席で偽物のラルフが死んだ時にも感じたものだった。
「死体の周りや状態に窒息の原因になるようなものは見られない。必然、その場に居合わせた魔法使いに疑惑の眼が行くことになり、僕とマルクは拘束されたって訳さ」
「なんだよそんなくだらない理由で」
魔法使いには世知辛い世の中である。
「窒息死と判断したのは?」
「血中の酸素量、あと、溢血なんかの状態からだね。死体の状況から、窒息したのは間違いないよ。どうやったのかについても、だいたいだけれど見当はついている」
そう言うと、ウドは後ろを向いた。カウンターをよじ登り、手近に置かれていた瓶を手に取ると、それを、不意に中空へと放り投げた。
おい、何をする、と、言うより早く。
空中を床に向かって落下していた緑色の瓶は、それが地面につくよりも早く、空中でへしゃげて砕けた。
内側にめり込むようにして割れたそれに、にわかに人の視線が集まる。
なにやってんだよ、と、フリッツ。
こういうことさ、と、ウドはいつもの眠たげな顔つきでその問に答えた。
「真空を作り出す魔法さ。これでラルフの周りの空気を奪ったんだろう」
「んな面倒なことしなくても、袋でもかぶせりゃ窒息なんてするもんじゃないのか」
「煙を吸わせてもな。そういう明らかな道具は無かったって言ってんだろう。普通、そういう状況になったら、人間てのは何かしらの反応をするもんだ」
袋を被せられたらそれを取ろうと足掻くだろう。
煙を吸わされれば呼吸困難の前にヤニにまみれた鼻と口が湿るだろう。
そういうあがく要素もなく、息を詰まらせる物的な要素もない。
そんな窒息となれば。
ウドの言う、真空を作り出すという魔法による殺害方法が一番しっくりくる。
「もうひとつ。これを仕掛けた相手は、相当な魔法の使い手ってこと。なかなか、真空を作り出す魔法なんて、僕でもこうして瓶を割るのが精一杯」
人を窒息させて死に至らしめるなんて、とてもとても。
と、ウドは瓶の破片を見下ろしながら言った。
「ウド、確認しておきたいことがある。その街にコランタンは居たか」
「コランタンかい?」
トゥールはローランの南部の都市だ。
だがここ、ロシェ王国へ至る道程で通過する都市ではない。
本隊であるハーフェン将軍達とマルク達が離れて行動していたのもそのためだ。
アイゼンランド公国の一団がそこを素通りしたように、ロシェ王国の一団もまたそこを通るということはしないはずである。
視察を兼ねるにしてもだ。
こんな教皇会議の直前に、無理に立ち寄るような場所ではない。
会議の終わりしなに、ゆるゆると訪れればいいだけだ。
ただし、この一件が、その本物のラルフの死が、コランタンの手、いや、その眼によるものだとすれば、彼は必ずその場に居るはずだ。
「分からない。気にしていたことがないから。ただ、立ち寄ったという話は聞かなかった。そもそもコランタンは直接に教皇会議に向かうと言っていたから」
「そうか」
「だとすると、そのラルフをやったってのは、別の奴か。コランタンにしろ、手にかけた奴にしろ、相当に色々な所に恨みを買ってるんだな。そのラルフって奴は」
あるいはコランタンとは別の人間が、彼の命を受けてそれをやったのか。
だが、問題はそこではない。
焦点のずれた驚き方をしたフリッツが、はて、と首を傾げる。
コランタンのこちらでの動きを知らないウドは、相変わらずなんのこっちゃという感じだ。そも、どうして彼の名前が、ここで出てくるのかも分かっていない様子だ。
事を整理するためにも、俺はウドとフリッツに、これまでの経緯を説明した。
コランタンがローランの要人に手をかけたこと。
奴がその眼に何かしらの魔法を仕込んでいるということ。
それに関して、教会側でも何かしらの情報を掴んでいるらしく、教皇直属の部隊が暗躍していること。
そして教皇からしてコランタンの動きを会議で牽制していること。
最後に、件のラルフ・ヴェルツェルの偽者が、まんまと殺害されていることも。
こちらで起こっている全ての状況を説明して、一言。
「妙だね」
ウドは俺達の心情を代弁するように、その言葉を呟いた。
「おかしな話だよな。コランタンの奴がこの会議に参加した目的は、その、ラルフの始末なんだろう。あのコランタンが、ラルフの奴が死んだことを知らない訳がない」
「かいかぶりか。偽者のラルフを殺したのは、偽者のラルフを誤認していたからといえば話は合うが」
「そうするとラルフを殺した第三の勢力が存在することになる」
「奴が死ぬことが利益に繋がる組織が他にあるっていうのか。たかだか帝国側と親身にしているだけの両替商だろうがよ」
だが、それ以外の側面が、ラルフにあったとしたら、どうだろうか。
今回の身代わりを立てた件にしても、どうも、帝国以外の勢力に奴がコネを持っていたのは間違いない。
その勢力が彼を疎ましくして殺したのか。
だとしても、わざわざ身代わりを立てた理由が分からない。
コランタンを欺くため、だったとしたらどうか。
あの辣腕宰相殿の冷たい瞳を曇らせるためならば、十分に考えられることだろう。
だが。
「そのゴーレムもどきの死に方が気になるね。なんていうか、魂を持っていないものに、コランタンのその魔法が効くとは、僕にはちょっと思えない」
これもまたウドが俺の気持ちを代弁してくれた。
俺にコランタンの魔法が効かなかったように、人造生命体であり人間と機構が異なるはずの偽ラルフに対して、あの魔法が効力を持つとはとても思えないのだ。
俺もそうだが、不死人に対してあの魔法が威力を発揮するかは限りなく怪しい。
とすると、偽ラルフを始末した方法は、もっと物理的な要因によるものだろう。
だとするなら、偽ラルフを始末したのはコランタンではない、という結論に至る。
今回の教皇会議に参加する目的の相手に対しコランタンはどうして手を下さない。
欺かれていたならば、あの場で彼は、きっと狼狽えていたはずである。
また新しい第四者の存在か。
いや、そんな複雑な話ではないだろう。
顔を寄せ合う俺とウド、そしてフリッツ。
仮定なんだが、と、前置いて、俺は、二人の視線を集めた。
手にしていたグラスを、後ろのカウンターに置いて、まずはため息。
「コランタンは偽ラルフのことを知っていた。知っていた上でこの場で始末することを選び、自分以外の手の者を使って彼を始末した」
「つまり?」
「今回のコランタンの教皇会議への参加は、端から、ラルフの始末なんてみみっちい目的じゃなくて、もっと別の目的があったんだよ」
ラルフがトゥールで始末されたのも、教皇会議の前日にマルタン総代が始末されたのも。そして偽ラルフが教皇会議の只中で、ひっそりと始末されたのも。
全てコランタンの思惑の中でのこと。
むしろ、コランタンはラルフという分かりやすいスケープゴートを用意して、その裏で事を進めていたのだろう。
マルタンの殺害、本来のラルフの始末、そしてマルク捕縛の事件。
ウドからの連絡がなければ、こんな発想に至ることすらきっとなかっただろう。
「まぁ、お前の仮定が正しいとしたら、流石にコランタンとしか言うしかねえな」
「コランタンがやりそうなことではある」
「ただな。そんな隠れ蓑を用意してまでしなくちゃなあない、真の目的ってのがなんなのかだよ。いったいコランタンは何を考えて」
「それについては、私から説明しようか。帝国グリッフ伯ルドルフ殿」
聞き覚えのある声が場に響く。
まるでその男の声を響かせる為に静まり返ったような静寂が遅れて訪れれば、そいつは俺の前へと悠然とした態度で姿を表した。
さきほどの会議の時と変わらない赤い衣装を身にまとい、金色の髪を夜風に揺らした優男。
東洋のものだろうか。
赤色をした隈取が施された獣面を被った彼が、こちらへと歩みよってくると、そっと俺の方へと手を差し出した。
「ヴェレ司教アルマン」
ローラン王国元宰相コランタンの腰巾着。
それにしては過ぎた才気をにじませる男。
「こうして直接言葉を交わすのは初めてになるかな」
女を口説くような甘い声色をアルマンはこちらに向けた。
何を言っているのだこいつ。コランタンの目論見を話すだと。
どういう狙いかは知らないが、手前の主人を裏切ってやるとは、大したことを言ってくるものである。
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