第31話 マスカレード(1)
「しかし、神聖な会議の夜に仮面舞踏会だなんて、洒落たことを考えるもんだな」
「不謹慎ですわよね。仕事でもなければこんなの出たくありませんわ」
馬車に揺られて俺たちは再び暁の館を目指していた。
暁の館の裏手にある黒曜石の大灯台。
通例として、教皇会議開催初日の夜には、その一階にある大広間を使って、ロシェ王主催の舞踏会が開催される。
この舞踏会への参加は教皇会議のように自由に参加できるものではない。
かと言って、指名されたものだけが入れるという堅苦しいものでもない。
その夜会に参加するのに相応しい格好と気品、そしてそれを裏付けるだけの相応な持参金が必要なのだ。
故に、諸国の王侯貴族ないし国の要人のみしか実質的に参加することができない。
今回の任務については、この、マスカレードへの参加も含まれている。
一般人を装おって会議には参加することは可能だが、こういう、その場にいるのにふさわしい人物、という条件が入ると、とこれがなかなか難しい。
なんとか有力な諸侯とお近づきになりたい地方の貧乏貴族。
同様に、よい商売相手を見つけたいギルドの上級役員。
これらなどはまぁ、夜会の参加者の素性としては、悪くない選択だろう。
「むぅ、ルド、もう遅い時間だよ。太陽さん沈んでるんだから、寝なくっちゃ」
「ルドじゃない、お父様、だろ、マヤ」
「オトー・シャマー?」
おとうさま、だ。
俺の膝の上で眠たそうにまぶたを擦っているマヤ。
山育ちの山娘である彼女にも分かるように、ゆっくりと、俺は喋った。
だが、どうにもマヤはそんなこと承知で愚図っているようだった。
「わかんない。もう、なんでこんなことしなくちゃなの」
「そういうお仕事なのよ、マヤ。もう。だから無理しなくって、良いって、宿屋で待ってなさいって言ったのに、ついてくるんだから」
俺にするのとは正反対、俺のひざ上からマヤを拾い上げると、ヒルでは優しい口調でマヤに諭すようにそう言った。
だが、そんなヒルデの気遣いなどなんのその、そこは子供のマヤである。
だって一人でお留守番つまらない。そんな自分勝手な理由と感情論を武器に、彼女はヒルデの腕の中で、口を尖らせ、眉を吊り上げて抗議してきた。
慣れないドレスなどを着せられ、その上、健康優良児には辛い夜更かしである。
子供だって文句の一つも言いたくなるだろう。
頷ける話だ。
「ルドもヒルデも変な服着てるし、なんか変な感じだ」
「変な服ってな。ニコラウスの奴が苦労して用意してくれた、帝国流行りの夜会服なんだからな。そんなこと言ってやるなよ」
「叔父様の見立てでしたの。どうりでなんだか古臭い感じだと思いましたわ」
「お前、実の叔父に対してそういうこと平然とよく言えるな」
「叔父様のファッションセンスのなさは今に始まったものではありませんわ」
身内に対してけろりとそんなことを言ってみせるヒルデ。
今さらながら俺はちょっと恐怖を覚えた。
眼に入れても痛くないと、豆粒くらいの頃から大切に育てた姪っ子。それに、内心でそんな風に思われてると知ったら、ニコラウスめ、どんな顔して倒れるだろう。
それでも許すんだろうな、アイツ。
底抜けにお人好しだから。
「服が変なのはまぁ我慢しろ」
「えぇ。ヤダなぁ」
「あと、リヒャルトやユッテの奴に会っても、絶対に喋りかけるな。これは守れよ」
「じゃあ、ウドちゃんなら?」
万に一つも出てくることはないが、それもだ、と、俺はマヤに念押しした。
せっかく身元を隠して潜入したのに、そんなしょうもないことでバレてどうする。
「しかし、これ、意味がありますの。少なくとも、その、帝国の要人はこの会議には参加していなくって無事なんでしょう?」
「まぁな。だが、それも含めて、話がどうにもキナ臭過ぎる。このまま放っておいて、喉奥に小骨がささったまま公国に戻る気にはなれねえよ」
「気にし過ぎではなくて?」
「理屈の通らねえことを面倒くさいと片付ける気になれないんだよ」
「相変わらず顔に似合わず几帳面ですわね。けど、それで私達を振り回すようなことはないのではなくて」
そりゃ悪いと思っている。
だから、二人共今日は部屋に戻って寝ていろと言ったんだ。
本音を言えば、ヒルデもマヤも、間者としては使い物にならない。
ヒルデにしたら余りに行動が真面目すぎてまともな貴族に見えない、マヤにしたって純真に過ぎるし、そこに輪をかけて歳相応の教養というのに欠けている。
それでなくても人を騙すと言う行為に向いていない性格をしている二人だ。
更に子供であるマヤの存在は、確実に俺たちの行動を制限する。
魔法部隊の通常任務ならば彼女の活躍する場もある。
だが、この夜会については、とてもそんな場面があるようには思えない。
もし二人から許可が出たならば、宿屋に置いてきたいところだった。
ただ、半べそで、どうしてもついてくる、と、言われてしまえば、断れない。
ヒルデはいつもの調子である。
二人して、きかん坊なのだから、まったく。
子供の子守はこれだから面倒だ。
「コランタンにしたらもう目的は果たしたんだ、滅多なことはしないだろう。ヒルデ、くれぐれも、子守をよろしく頼むぞ」
「しかたありませんわね。まぁ、子連れで行けば、変な男に言い寄られることもございませんし、気が楽で良いですわ」
見た目だけは上玉だからな。
声をかけて、がっかりして帰っていく、男の顔が今から目に浮かぶよ。
心のなかで思っただけだというのに、どうして、ヒルデのヒールが俺の親指を潰す。馬車の中である、座っているので大したことはなかったが、痛いじゃないかと、俺はすかさずヒルデに抗議した。
いつものように俺の言葉など受け付けぬという感じで顔を背けるヒルデ。
「万に一つもないと思いますけれど、気をつけなさいよ、ルドルフ」
行為と裏腹、そんないつものやりとりから、突然飛び出した心配の言葉。
少し、俺は驚いた。
こいつが俺の心配とはね。
ロシェに来てからというもの死にまくっているからな。まぁ、心配もされるか。
胸の林檎の紋様は、一・二回の死で潰えるようなものではない。
そんな安いものであれば、俺はとっくの昔に死にきれているし、こんな金にもならない、慈善活動みたいなことをしてないだろうさ。
「大丈夫だよ。心配すんな」
「心配なんて。ただ、同じ魔法部隊のメンバーとして、死なれたら目覚めが悪いというか。それだけですわ」
「なに言ってるのヒルデ。ルドは死なないよ」
「そうだぜお前。こんな子供の前で死ぬだの死なないだの、やめろよな、まったく」
もちろん俺は不死者だが、それは紋章あってのことだ。
この紋章がストックしている魂を使いきれば当然死ぬ。
そのルールについて幼いマヤはまだ知らない。
そして、そのルールと共に、俺が何のためにこの隊に所属しているのか、ヒルデは知っている。
まだその時じゃないさ。
そう呟くと、俺は馬車の窓から景色を見た。
もうとっぷりと日も暮れているというのに、通り過ぎていく街の景色は活気とランプの灯りに満ちている。道行く人々が手を取り合って踊り、杯を打ち合わせてこの聖なる日を祝っている。
露店で焼かれている脂ぎった肉の臭い。
喧しい演奏の音。
各国の思惑なぞその喧騒に少しも滲ませていない。
実に陽気な街だ。
そんな街を抜けて、再び坂道を登り始めた馬車。暗い木々の間を抜けてたどり着いたのは暁の館。門の前には、既に人だかりができていて、身なりの良い修道士の代わりに、今度は質素な格好の文官と、槍を手にした武官が門前に立っていた。
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