第27話 各国の思惑(7)

「軍備拡大とは、具体的に何を指しておっしゃられているのかな、オラシオ海相」


「知れたこと。地方での暴動にかこつけ、その地に常備軍を逗留させているだろう」


「あれは常備軍ではない。あくまで自警団だ」


「宮廷から指揮官を出しておいてか。白々しい、詭弁も大概にしろ」


「確かに宮廷から指揮官は供出しているが、それは、彼らかの要請に応じて出したものだ。だいたい、騎士も居ない、銃士も居ない、農具を槍代わりに使うような民兵をさして、軍隊だと騒ぎ立てる方がどうかしているというものだろう」


「なんだと」


「無敵艦隊と言われたイスパル海軍を預かる海相が幾分にも肝の小さいことですな。どうぞ、それでも気に入らぬというのであれば、ご自由に吹聴されるがいい。さぞ、世間にイスパル人の臆病さと寛容性のなさを知らしめるだけになるでしょうな」


 我慢ならんと机を叩いて詰め寄ろうとしたイスパル海相。


 近くに居た修道士に止められてなお、それらを引きずり青年へと迫る。

 余裕の表情を崩さない金髪の青年は、そうして眉間に皺を寄せて進んでくる海相に向かい、机上の羽根ペンを取ると突きつけた。


「ここは言論の場であるイスパル海相。その振り上げた拳はおろしてもらおうか」


「五月蝿い、だいたい何故貴様のような若造が、この場に」


「少なくとも貴方よりも口がたつからでしょうな。貴君のように叩き上げの武官とは、頭と口の使い方が違う」


 もっとも。

 と、アルマンが言った所で、イスパル海相が制止していた修道士たちを振りきって、彼に向かって躍りかかった。


 流石に七つの海を統べるイスパル海軍、その総元締めである。

 下手な海賊や将軍などにはない、強い殺意でもって、彼はその拳を真っ直ぐに鼻持ちならない青年へと突き出した。


 だが、それを、いとも簡単に、彼の腕から伸びた、二つの手が止める。


 燃え盛る赤と青の炎の手。


「腕っ節。いや、これは魔術だが。荒事でも、私は負ける気はないですがね」


 そう言うが早いか、青年から伸びた炎の手は、掴んでいるイスパル海相の腕を、まるで棒きれか何かのようにして振り回した。


 炎の手に振り上げられて、イスパル海相は、自分の席へと落下した。


 怪我はない。

 そうなるように上手くアルマンが投げてみせたのだ。


 中央席も一般席も、ざわつくなか、一人、いや、二人、男とコランタンだけが、静かにその無様な負け犬の姿を眺めているのだった。


 その青年とは言うまでもなく、コランタンの付添人――アルマンである。


「さっきからなんだあの男。コランタンが出張ってくる前に、全部裁いちまうじゃねえか。あんな奴、ローランに居たか」


「いや初めて見る。口と態度はコランタンに負けじと劣らずだな。元宰相くらいしか人材のいない国かと思っていたが、なかなか面白そうな奴がいるものじゃないか」


 各国の使いっ走り達の評価は軒並み高い。

 そのうち、命の一つも狙わなくちゃならん相手だろう、という感じである。


 まぁ、イスパル海相を前にして見せた胆力は大したものだ。魔法についても、人一人を手球に取るとはなかなか鍛錬がしてあると見える。


 ただ、一介の軍人相手には通じても、暗殺者相手にはどうなるか分からん。

 ふとそんな評を語っていた男が立ち上がる。


 祖国の大将が恥をかかされたのだ、問題なかろう。

 とばかりに、サフランの蠍の男が、袖の中から暗器を取り出す。


 細い、髪の毛の細さくらいだろうか、銀色をした針である。

 その先をヌラリとした液体が湿らせているのが分かる。

 それを無挙動、指先の力だけで男は飛ばした。


 鋭く尖った針の先、観衆の間を抜けて飛んだそれは、立ち上がっているアルマンの首筋を確実に捉えていた。

 だが。


「あ?」


 不思議なことに、針は忽然と、アルマンに触れる直前にその姿を消した。


 弾かれたのでも燃やされたのでもなく、消えたのだ。

 あるいはその軌道を変えて、どこかに飛んでいった――というべきか。


「なんだおい、どうやって避けたんだ、あれは」


「さぁな。ただ、少なくとも、とうの本人も気づいていない調子らしい」


 イスパル海相を引っ込めた所で、ローラン王国の敵は多い。

 今度は西の隣国に変わって、北の隣国である帝国がアルマンへと詰め寄る中で、彼は一度も針に気づくような素振りを見せなかったのだ。


 誰かが守っている。


 あるいは、マルクのように、呪いか何かに守られている。


 いや、流石に後者ということはないか。

 マルクのあれは、例外中の例外であって、あんな風に、世界の理を捻じ曲げてまで生存するような輩が、ほいほいと居られてはたまったものではない。


 とすると、ローラン王国の手の者が、それとなく彼を防御したのか。

 コランタンを守る義務は合っても、その私人を守護する義務は宮廷側にはない。


 アルマンがイスパルの暗殺者の手から守られた。

 ということは、つまり。

 彼もまたローランの宮廷にとって、ということ。


「んだよ。コランタンだけでも厄介だってのに、面倒なことになりやがったな」


 唾を吐き捨てて、サフランの蠍の男が着座する。

 ちょうどそのタイミングで、教皇が壇上に置かれている小ぶりの槌で、目の前の机の天板を叩いた。


「まぁ、各々の言いたいことはよく分かった。国という概念がある以上、その境界に当たる部分で譲れぬモノというのは、必然出てくるものだろう。だが、そこは天上の主の名のもとに、ひとつ和を持って合したいと願っておる」


 どうだかね。


 国同士の揉め事に裏から介入して、余計にややっこしくするのが、あんた方の得意とする神の思し召しという奴だろう。

 どの面下げて、和を持ってなのだか。


 心の奥底で思っているからこそ、迎合する拍手ではなく沈黙が訪れる。

 沈痛な無音を咳払いで終わらせると、まるで、そんなことは百も承知という厚顔ぶりで、教皇は話を続けた。


「各々の国の争議については、明日以降、各国に説明の場を設ける」


 明日だと。


 それはおかしな話だ。


 通例であれば、ここで第一席の帝国による懸案の提議が始まるのだが、それを明日に遅らせるとは。


 それを差し置いてまずは語ることでもあるのだろうか。

 案の定、教皇は、淡々と話しを続ける。


「かつての聖戦の集結より時を経ることはや百年と十余年。あのおぞましいまでの大敗北と大蹂躙を経て、我々は争うことの愚かしさを学んだ。そして、ついぞ十年前に起きたネデルの災厄である。今、我々人類がお互いに憎み合っている状況ではないことは、貴君らのように多くの人命を預かる者達であればきっと分かることだろう」


 また古臭い話を持ちだして来る。

 かの大戦の終息も、災厄の鎮圧も、神のご慈悲とでも言わん口ぶりだ。


 冗談じゃない。


 どれもこれも、お前ら教会が発端だろうが。


 とはいえ、それを知っている人物は限られる。

 大戦の頃より生きている人間など居るはずもなく、かの時代に教会が犯した禁忌については、今日において徹底的に秘匿されている。


 知っているのは教会内でも限られた人間のみである。

 それがその外となれば尚更だ。


 各国の首脳陣が口を噤むのも無理もないだろう。


「さて、その十年前の災厄について、その首謀者について一つ不穏な話を聞いた」


 思わず立ち上がりそうになった。


 すぐさま俺は中央席の向かって右手側に陣取っているフリッツと顔を見合わせる。

 彼もまた、教皇から出た突然のその言葉に、驚きを禁じ得ない様子だった。


 十年前の災厄。


 それは、ネデルの地に突然現れた、かの魔女による蹂躙のことを指す。

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