第28話 各国の思惑(8)

 イスパルとローランの係争地に有り、度々、その所属を変えていたネデル州では、かねてより領民たちによる独立の機運が高まっていた。


 そんな情勢不安の地に、かの、白金の魔女が現れて、諸侯はもとより大陸諸将を手玉に取っての大立ち回りを演じてみせた。


 結果として、ネデルは領民達による独立を果たす。

 だが、かの地の偉大なる指導者であり、希代の戦術家と呼ばれる――先ネデル総督マウリッツを失うこととなった。


 戦乱と戦火が止まぬ大陸の地であるが、ここまでの混乱を招いた戦争は類を見ない。少なくとも、かの聖戦に次ぐ規模の大きな災であった。


 また、かの白金の魔女による暴威は、魔法という現象の枠を遥かに超えており、呪いを超えて厄としか形容のしようがない有様だった。


 かくして、この一連の騒動を、十年前の災厄、と人は呼ぶ。


 あくまでそれは公でのことだが。


 その白金の魔女について出自を紐解いていけば、それは、聖戦から連綿と続いている、いやそれだけではなく、教会がその誕生から抱えているある問題へと帰結する。

 そしてそれを知っている者達にとって、件の災厄の首謀者である、白金の魔女は、己の運命を取り戻す為に避けては通れぬ道であった。


 かの魔女の存在と深く関わっている教会。


 そして、聖戦あるいはそれに類する出来事によって、白金の魔女により、人を超越する何かを得てしまった人間たち。


 それらにとって、決して眼の背けることのできない、相手に。


「かの者、教会が白金の魔女と呼んでいる、女魔法使いについてだが。数カ月前に、それらしい人物が地中海を渡ったという情報が入った」


 議場内がにわかにざわめいた。


 この話題をわざわざ出したのはなんのためか。

 確かに黙っているような話ではないが、既に十年前の話である。各国の提議を先送りにしてまで、やるような話ではないはずだ。


 だとして、俺たちのように反応する人間が居ないか確かめている、のか。

 見たところ、魔女の話を聞いて反応をしたのは、俺とフリッツくらいだ。そもそもとして、それを追っている人間が、この教皇会議に出席しているはずがない。


 彼らの多くは、彼女と同時に、彼女の存在を秘匿してきた教会をも恨んでいる。


 必要性が分からない。


 行動には移さないが心の中で首をかしげた。


 この中央席に座り、威厳を振りまいている白髭の爺様め。

 会議の開催から常にプレッシャーをかけてくるが、何を目的にしているのだ。


 当然、その地位に居るということは、教会の裏の顔――白金の魔女についてのしきたりについても、彼はよく知っているはずだ。その名が件の事件によって、人々のよく知る所になったとはいえ、こんな風に軽々しく議場で出して良いものではない。


 そんな思惑の内に教皇はその視線を動かした。

 雪深い地方に茂る針葉樹林のような濃厚な緑色をしたそれが見据えていたのは。


「問題はその行き先だ。彼の者は地中海を経てビザンの港へと入った。そこからユラン王国へと向うつもりなのか、中海を渡ったとの話である。のう、コランタン」


 知っているな、という含みを込めた言葉がコランタンへと投げかけられた。


 教皇の目的はこれか。


 彼もまた、コランタンを喋らせようという腹づもりだったか。


 ビザンは、地中海と中海を繋いでいる極東の大都市である。かつてこの大陸にあった大帝国の第二の首都とまで言われた場所だ。

 だが現在では都市国家としての勢力を留めるばかり。


 彼の地は、東国との境界にある教化圏であり、北方及び東方への聖戦の拠点ともなった地である。


 かの戦いの失敗により、周辺地域の軍事的な要所は全て東方諸国によって抑えられており、都市としての独立を維持するのがやっとという体だ。

 逆を言えば東方諸国との窓口となる場であり、その交易による利潤によって、敵地かつ大陸より遠くはなれた都市国家という性格にも関わらず、独立を維持している。


 そんなビザンに対して、盛んに貿易を行っている国はいくつか有る。


 代表的なのは、イスパル、そしてローランである。

 どちらも大陸圏において最大級の取引相手であり、ビザンの有力商人を身内に持っている。ビザンへ旅をするには、どちらかの国を経由して、移動するのが最も簡単なのだ。


「彼の者が乗っていたのは、貴方らローラン王国の商船だったと聞く。さらに、恐ろしいことだ、商船の持ち主は、貴殿の古い知人だったと聞くぞ、コランタン」


 コランタンが、あの女の移送に手を貸した、というのか。


 中央席、壇上より眼下へと顔を向けた教皇。

 そのコランタンを見る目は、罪人を咎めるようにする、鋭いものだった。


 かの魔女に介して、手を貸すと言う行為は、教皇に咎められるよりも、まず各国の協定に乗っ取って大いなる違反であった。


 独立運動家でも反政府組織の首魁でもない彼女は、ただの破壊工作者である。

 それに加担するということは、神だけではない、国家のみでもない、この大陸全土に住まう人命に対する重大な裏切りである。


 そして、もし、この教皇の話が本当だったならば、俺とフリッツは、この老獪な元宰相を、どんな手を使ってでも葬り去らなくてはいけないだろう。

 もちろん、白金の魔女と、どういう取引をしたのかを問い詰めた上で、だが。


 流石に教皇からの直接的な質問を投げかけられては庇い立てもできない。

 初めて顔を苦渋に歪ませて、コランタンの隣に立っているアルマンが横を向く。


 そんな付き添い人になんの反応も見せずに、元宰相はゆっくりと腰を上げた。


「私の知人か。悪いがそれは勘違いだろう。元来私には守るべき者がない身の上だ」


「異端審問官が尋問した際に貴殿の名を口にしたと聞いているが」


「知らんな」


 神の威を背負う教皇に対して、一歩も退かずに応対するコランタン。


 やましい所などない、という感じとはまた違う。

 だが、何かをごまかしている様子でもない。


 その、理由の判然としない毅然とした態度に、場は一瞬にして騒然とした。


「あくまでシラを切るつもりか。まぁ、いいだろう」


 では、質問を変えよう。

 教皇が手を叩くと。それまで閉じられていた中央議場への扉が開いた。


 ぞろぞろと、出てきたのは修道士ではなく、屈強な体つきをした傭兵たちである。

 彼らは車輪付きの木でできた台車を押していた。


 だいたい人が一人乗れるくらいだろうか。牛にでも引かせればいいだろうそれを、傭兵の男たちは無表情に三人で押す。


 そうして彼らは、荷台の上のそれを白日の下に晒した。

 台車の上にあったもの、それは、あったなどという言葉を使うのが、少々ためらわれるものであり、俺が、昨日、一部始終を目撃した見覚えのあるモノであった。


「この男に見覚えは有るか?」


「無い、と言いたい所だが知っている。フェリテ商会の男だ。名前は、マルタン」


「貴様の知り合いだろう?」


「知り合いには違いないが。だが、こいつの為にしてやることなぞ何もない。その程度の仲の相手だがな。それがどうかしたのか」


「その、白金の魔女の手引をした、商船の持ち主がこいつだ。昨日、貴様がこいつを口封じの為に殺したことを、教会の手の者が見ておる」


 くははは、と、突然の高笑いが場に満ちる。


 狂気が混じっているような、力強い笑いだった。

 当然、それを発したのは、教皇の威圧的な視線の先にいる男、コランタンである。


 狂ってしまったのか。


 いや、彼の教皇を見る目は、決して、思考を放棄したもののそれではない。むしろ、その言葉を待っていたよ、と、ばかりの、自身に満ちていた。


「勘違い召されるな。こやつは、私の前で勝手に死んだのだ。前々から、深酒が過ぎると話に聞いていおる。それが原因でのことだろう」


「調子のいい事を。お前がこの男と結託し、過去に何をしたか、私が知らぬとでも」


「ほほう、私のような下賤の者の動向を気にかけてもらうとは、それは恐れ多いことよ。さすれば私も一つ、内海に商いをする者達から聞いた、教皇殿について知っていることをお伝えしようか」


 暴露合戦だ。


 一歩も譲らずに、コランタンは、教皇を逆にゆすりにかける暴挙に出た。


 それはコランタンも名を馳せた宰相である。

 教皇についての情報くらい持っているだろう。


 ただし、教皇が掌握している海猫、つまり地中海の商業寄合からの情報として、それを持っていると脅すのは、脅しの質が違う。


 一枚岩と思っている、貴様の組織の中に、自分の息がかかったものがいるのだという、暗に脅しである。


 そして、そんな者から引き出した情報とは、であるか。


 教皇の顔が恐怖に引きつるのが見えた。

 ここは、まず、コランタンの勝だろう。


「知らぬと思っておるのか」


 しかし、教皇は静かにコランタンに食い下がった。


 目の前の男よりも、幾分と狂気をにじませて、歯をむき出して怒りに眉を寄せると、彼は下げていた拳を握りしめて、再びコランタンを睨みつけた。


「貴様のその眼の秘密。この私が知らぬとでも思っているのか」


「この眼、とは?」


 しらばっくれるな。教皇会議には似つかわしくない言葉が議場に響く。


 各国の首脳陣が交わす言葉にしてはままあることだが、教皇がとなると珍しい。

 そもこんな血の気の多い男が教皇だったのかと驚いたくらいだ。


 血の気の多い海猫派の人材なのだ。

 一皮剥けばこんなものか。


「地中海を渡航する見返りに、その眼を貰ったのだろう。白金の魔女に。でなければ、そのような禁忌に類する魔術を一朝一夕に使えるはずがない」


「さて、なんのことやら」


 狂人の戯言だとばかりに目も合わさずにコランタンは言う。


 白金の魔女がコランタンにその眼を与えた。

 推理としてあながち間違っていない話だろう。


 あの魔女は呪いも含めて、人体に対して魔法を付与することを得意としている。

 ただし、そんな航海の便宜を図ったくらいで、奴が魔法を施すようなことをするとは限らない。というよりも、奴はそういう、意味のある取引に拘るタチではない。


 意味もなく、人にその力を与える、あるいは、その力を行使する。


 執着だとか目的だとか、そう言った、人間が当然のように持っている価値観を、彼女は持ちあわせていないのだ。

 だからこそ白金の魔女は厄介なのである。


 彼女は何者にも束縛されず、どこにも居着くことはない。


 まるで渡り鳥、あるいは災厄の名の通りだ。

 災害のように、永きに渡りこの大陸を追手達を退けて逃げおおせているのだ。


「禁術、と、申したが、火を出したわけでも、矢を飛ばした訳でもない。そこまでご存知なのであればこれも当然知っておられるだろう。この私が、魔法などという高尚なものとどれだけ縁遠い所から出てきた人間かを」


「黙れ。確かに貴様は」


「これ以上の醜聞は聞くに耐えませんな。そうですな。仮に、私の眼に、そこの男を死に至らしめる力があったとしましょう」


 もしそんなものがあるならば。


 コランタンが教皇を見る。


 ひ、と、悲鳴を上げてその場に尻もちをついた教皇。


 とっさのこと。

 そしてコランタンの眼のことを知っていれば、しかたのない反応ではあった。

 だが、先程までの威厳を、全て投げ出して――教皇はコランタンから視線をそらすことを選んだのだった。

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