第21話 各国の思惑(1)
ローラン王国のアジトに連れて行かれるでもなく、化けの皮を剥がしたフランツに後ろから刺されるでもなく、馬車はまっすぐに教皇会議の会場――暁の館へと辿り着いたのだった。
馬車から降りて昨日きた中庭を抜ける。
館の正面にある勇壮な大扉。
その前には、既に数名の入場待ちをしている熱心な教徒の姿が有った。
この様子ならば、なんとか、中央席に近い場所に座ることができるだろう。
「私は中央席での参加になるのでここでお別れじゃ。機会があればまた会おう」
「色々とお世話をかけました。この礼はまた」
「よいよい気にせんでくれ。困っている人を助けるのも我が会の規則じゃしのう」
まぁ、パウラの事を気にかけてくれるなら、顔を出してくれても構わんが。
年甲斐もなく意地の悪い冗談を残してフランツは俺へと背を向けた。
彼が歩いて行った先には、教皇会議に参加する国家主席の面々――彼らが集まるために用意された部屋、そこへと至る扉があった。
国ごとに部屋は用意されており、会議前に一度その部屋で彼らは待機する。
その上で、開会に合わせて議場へ入場するという段取りになっているのだ。
会議としてそのような部屋を用意するのは珍しい。
だが、言ってしまえば、この場は会議の名を借りた、各国のデモンストレーションの場でもある。各国それなりに準備も必要であれば、会議の場では話せないような内々の話もある。
それでなくても、早く入場した国をまたせて、見世物にする訳にもいかない。
行き過ぎとも思えるような行為。
だが、部屋を用意するのは教皇会議始まって以来の伝統であった。
ただしフランツの入場はいやに速い。
一般参加者への開場こそ早朝より行われる。
だが、議会の開始はそれから遅れること数時間後のことになる。
各国代表は、それまでに、用意された部屋に入ればよく、また、最悪やむをえぬ事情がある場合には、到着や準備の完了まで、会議が延期されることもある。
もちろん一般参加者と違って席を自分で確保する必要もない。
つまり、何も一般参加者も入れぬような時分に、わざわざ足を運ぶ必要など、本来ないのである。
この辺り、フランツにどういう意図かと聞いてみたが、彼は、恥ずかしそうに笑って、何も答えはしなかった。
おそらく、そうしたい性分なのだろう。
なんといっても彼は、ローランの堅物僧侶の多くが参加している、『麦踏み童の会』の代表なのである。
まぁ、その堅物な性格のおかげで、どうにかこうして最前列に近い位置の席に座れそうになったのだから良しとしようか。
扉の前から続いている列の最後尾。
階段に腰掛けている人の前へと俺は歩み寄った。
やぁ、と、小さな声で話かけてきたのは、その階段に腰掛ける緑色のフードを被った男。すぐに彼は、教会の牧師がそうする祝福の印を俺に向かって切ってきた。
緑の外套は山岳派の神父だ。
大陸中央にある山岳地帯に多く所属者を持つ会派で、作物が少なく外貨獲得のために傭兵業を行う彼の地の住民に合わせ、信仰におおらかな気風を持つ会だと聞く。
俺が修道服なんて着ているから、同業者だと思って声をかけてきたのだろうか。
普通ならば会派が違えば対立することが多いのだが。
はて、困ったものだ。
変に喋っていらぬ警戒心を与えてしまうのも困る。
できることならば、あまり関わらないでいたいのだが。
「こんな早い時分から熱心なことですな。貴方はどちらから?」
「いえ、これはちょっと知り合いに貸していただいたもので、特に、神父というわけでも、会派に属しているわけでもないのですよ」
「ほう、それなのにこんな朝早くからとは。随分と熱心なことで感心いたしますな」
「いやいや、そんな」
「私共の国元の信徒などといったら、祭くらいしか教会に来ぬものでしてね。まぁ、生来の気質というのもあるのでしょうが」
あれこれと、一方的に話し始めた山岳波の神父。
こちらから、余計なことは喋らなくていいので助かる。
けれども、この調子でまくしたてられるのも困るな。
皆、開場までの時間を潰すのに苦労しているのだろう。
畜生、こんなことなら、ヒルデの奴でも連れてくるんだった。
まだ、アイツと話している方が、ストレスが少ないぞこれ。
「おっと、なんだよ、こんな所に居たのか」
延々と続く男の話に辟易としていた俺。
そんな俺の背中に聞き慣れた声がかかった。
「探したぜ、教会に居ないんだものな、お前」
振り返った先に居たのは――造りの細かい紳士服に身を包んだ、明らか場違いなむさっ苦しい顔の男。白い髪とヤニにまみれた歯が明らかに育ちの悪さを示している、そんな、信仰なぞと場違いな雰囲気を醸し出した老人だ。
それは俺の同僚、フリッツであった。
流石にこの男が出てくれば、緑の外套の男も言葉を止めた。
いや、場違いに過ぎる男が、やに親しげに俺に話してきたので身構えてしまった、と言うところだろう。
心なしか、少し震えているように見える。
あらくれ達の多い山岳地域の神父を、ここまで怯えさせるとは。
こいつの強面はここ最近始まったことではないが、改めて感心する。
「えっと、あ、貴方も、こんな早くから、熱心な方ですね」
「あん、なんだてめえしゃしゃってくんなや。俺はこいつと話してんだよ」
凄んでみせればたちまちに、緑の外套の男は立ち上がる。
そして、順番待ちも関係ないとばかりにどこかへと逃げていった。
もう少しで開場だというのに。
かわいそうなことをした。
「ったく、異端審問官に絡まれたって。マルクもそうだが、お前ら、ちと悪目立ちが過ぎるんじゃないのか。少しくらい大人しくしていられねえのかよ」
「いや、お前にそんなこと言われるのはな」
「まぁまずは無事で何よりだ」
俺の体の心配なんて必要ないだろう。
まぁ、こいつのことだ、どうせ皮肉で言っているのだろう。
しかしなんだ、俺のことを探していたということは、何か情報を掴んだのか。
そういえば昨日、俺の指示で、ヒルデとこいつ、リヒャルトの奴で帝国の連中と情報交換しに行ったんだっけか。
「どうなった。帝国の連中とは話はついたのか」
「ついたのかじゃねえよ。お前と、お前と一緒に出て行った女が来ねえってんで、そりゃもうえらい騒ぎになったんだからさ。万に一つもお前が死ぬことはないから、やっこさん、きっとお前が女を裏切ったか何かしたんだろうって疑心暗鬼よ」
「おいおいちょっと待て、それじゃあ」
「ご破談だよ、ご破談。ったく、それで朝、ヒルデから聞けば、お前さん、教会でのんきに寝ていたそうじゃねえかよ。どうすんだよまったくよぉ」
フリッツは投げやりな感じで言った。
一方的になじられたが、いったい俺に何ができたというのだろう。
確かに、あの場に立ち尽くして教会になぞ入らなければ、そのまますぐに森に向かっていればよかったかもしれない。
いや、良かったのだろう。
なんで立ち尽くしていたんだ。どうしたって、そうすうるべきだった。
当時の俺の行動を肯定する擁護は、残念ながら頭に浮かんでこなかった。
安穏と寝ている場合ではない。
くそう、そうか、そういう話になった。
くそ、俺としたことが、どうしてそこまで思考を巡らせられなかった。確かに、すぐにでも帝国の連中に、異端審問官の話を伝えておけば、お互いの間に亀裂が入ることはなかっただろう。
「うん? しかし、異端審問官だって、お前、よく分かったな」
「連れの女のそれを見たぜ。ありゃ俺の知ってる奴の手口」
ディートフリート・ライヒ一等異端審問官。
「やり手なのか?」
「やりあったお前がそれは一番知ってるんじゃないのかよ。教皇直属の処断人の一人よ。現教皇の在任前から、常にその傍らにあって、教皇の顔色一つで捕縛・処刑・拷問、なんでもござれって奴でね」
「そんな奴が、か? 分からん、どうしてそれがミアを殺害しなくちゃならんのだ」
「それなんだがな。どうもな、今回の件、教皇側も話に絡んでいそうだぜ」
教皇が。
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