第19話 教会(4)

 翌朝。

 まだ太陽も昇りきらないだろう、明け方に俺を起こしに来たのは、昨日と変わらない修道服を着たパウラであった。


 だが、今朝は彼女だけではない。彼女の横には、やけに仕立ての悪い、ボロみたいな修道服を着ている猫背の男の姿があった。


 モミアゲから顎先までをもっさりとした白い髭に覆われている。

 にこにこと人当たりのよい笑顔をこちらに向けてくるその男。


 老人。


 見るからにそうなのだが、どこか愛嬌がある。

 その上に若々しく見える彼は、起き抜けに俺に握手を求めてきた。


「パウラさんから話は聞きました。通り魔に襲われたそうで。大変でしたな」


「えぇ、まぁ。そういう貴方は?」


「ここを任されている神父ですよ。『麦踏み童の会』のフランツと申します。いや、所用で暫くここを留守にしておりまして。今、戻った所ですよ」


 一気に目が醒めた。


 間違いない、『麦踏み童の会』のフランツ。

 その名は、昨日、コランタンの従者であるアルマンという男が語った、ローラン側の会議出席者の名である。


 いや、待て、単なる名前の一致ではないのか。


「すみませんな。こんな時間に起こしてしまって。これから会議に出席しなくてはなりませんでね。その前にご挨拶をと」


「いや、いやいや、それはどうも。私も今日の会議に出席する予定でしたから」


「なんと、そうでしたか。こんな目に合ってなんですが、奇遇というものですな」


 今この街に居る大半の人間が同じ目的なのだ、奇遇というほどでもないでしょう。そんな言葉をそしらぬ顔で返しつつも、俺は内心、焦りを隠すことに必死だった。


 いったいなんて偶然だ。

 ここは敵地のど真ん中、ローランの息がかかった教会だったのか。


 イスパル人の顔をしたパウラが出てきたので安心していたが、修道士になってしまえば、そもそも国境なんてものは関係なくなる。


 こうして海外の地に宗派の教会を持っている。

 あるいは任されている修道士も少なくない。


 そもそもからしてここは俺が帝国時代に使っていたねぐらである。それを次に買い取った奴らが同じようにつかうというのも、考えられなくはない。

 だというのに、俺は何をのんきに寝ていたのだ。


 馬鹿か。


 完全に油断していた。


 あぁ、こんなことになるのであれば、どうあっても、さっさとヒルデ達の元へと戻るべきだった。


 このままパウラの目が離れた隙に、ぶすり、か。

 いやさ、俺の不死身はコランタンを通じてローラン陣営に伝わっているはずだ。

 となると、このまま魔法か何かで拘束されるのか。


 この後の展開を想像して一人息を呑む。

 とまぁ、内心緊張していたのだが――。


 意外にも、男は表情を変えず、いつまでもニコニコとしているままだった。


「先ほど、ヒルデ様には私の方から使いをよこしました。会議は明日以降もありますし、初日の今日はまずは体を休まされてはいかがでしょう」


「パウラさんの言うとおりだ。見たところ、それほど酷い外傷はないが、今日は休んでおくといい。かかる事情もある、一日くらいの欠席を主も咎めはせんだろうよ」


「いやしかし」


「はて、どうしてもというのなら、私と一緒に行くかね。知り合いが馬車を用意してくれたのだが、もともと歩いて行くつもりだったのでね、どうにも一人で乗るには勿体無くてね。乗り合わせてくれるならむしろ私としても有り難い」


 ニコニコと人のいい笑顔とともに、俺の手を揉みしだくフランク老。


 その素振りは、老獪な政治家というよりは、完全に、好々爺のそれ。

 おせっかい爺さんそのものだ。


 なんだろうか。

 この対応は。


 俺を馬車の中に引き込んでどこかアジトへと連れて行こう、というにしては、善意が溢れ出すぎている。人を欺くにしても、こんな表情なかなかできるものではない。


 あるいは、俺にそう思わせるくらいの手練なのか。

 そもそもからして、彼はこうして教皇会議などという表舞台に出てくる人物だ。


 一般大衆の前で見せる腹芸はできても、スパイや裏切り者、あるいは組織の長たる人間が得意とするような、対人的な嘘というものからは、幾らか遠い人物だ。

 警戒のし過ぎではないか。


 いいえ、絶対に安静になさっておいたほうが、と、フランク神父をたしなめるパウラ。そうじゃろうかのうと、どこかボケている調子で言う彼は、確かに、政治力よりは、人徳に依って選出された無能な代表者という感じである。


 信じていいのではないか。


 また、逆に、これはチャンスではないのか。


「そう言っていただけるなら。なんだか、申し訳ないのですが、ご一緒させていただいても、よろしいでしょうか」


「ルドルフ様!?」


「おぉ、そう言ってくれるかい。願ってもない」


 俺はフランク老の申し出を受ける事にした。


 毒を食らわばなんとやら、である。


 ただ行くにしても着るものがない。

 昨日の戦闘で、ズタボロになった。

 それでなくてもボロの服を着て、教皇会議に参加することはできない。


 といっても、前に立っている、この御仁。

 フランク神父も、なかなかにみすぼらしい格好をしているが。


 これはそも、彼が所属している、『麦踏み童の会』の会則であり、清貧を表す格好であるから仕方がないか。


 そんな思案をしていると、流石に年長者だけあって察したのか、確か私の使っていない礼服があったはずだと、こともなげに言った。それを貸していただけませんか、と、言うよりも早く、どれ、奥にあるから取ってこようかと、彼は俺の手を離した。


 曲がった背骨に似つかない、素早い動きで部屋を出て行く老人。


 その横に取り残されていたのは――。


 少し、不満気に頬を赤らめたパウラだった。

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