第二章 夜会に踊る大宰相
第1話 内海の都(1)
馬車の窓から身を乗り出して景色を眺める少女が一人。
桃色のブラウスを着た彼女は、馬車の揺れに合わせてその小ぶりな尻を楽しそうに振っている。
陽気な鼻歌が海風に乗った。
「ルド!! ルド!! 見て、ほら、大きな湖!!」
「あれは海って言うんだよ。もうちょっと落ち着けマヤ」
「海!! そっか、あれが海か!!」
すごいな、すごいなぁ、と、何度も少女は海を眺めて呟く。
山育ちのマヤは海を見るのが初めてなのかえらく興奮している様子だった。
それこそ幾度となく不毛にも繰り返された聖戦。
数え切れぬほどに渡海したこの地中海。
延々と続く海岸線にも。
その入り江に沿って発展した街にも。
俺には苦い思いしかない。
だが、見る人が違えば感想も違ってくる。
それはもう一人、馬車の中で物憂げに景色を眺めている女にしてみても同じだ。
もっとも彼女からしてみれば、自分の身におもわず降りかかった屈辱と、羞恥に、何を見てもその胸の感情がすくような感慨など湧かないだろうが。
「最悪ですわ」
いつもの隊服を脱ぎ、地味な色合いの旅服でもなく、かてて若々しさのある私服でもなく、よそ行きという感じのドレスコードに身を包んだヒルデ。
彼女は、心底、うっとうしげな顔で言った。
俺も同じ気分なので何も言ってやることはできない。
ヒルデと同じく、着慣れない燕尾服なんて格好をして馬車に揺られる。
俺は、彼女に聞こえるように大きな大きな溜息を吐いた。
「ったく、ついてない」
「……なんですの?」
「どうしてよりにもよって、隊の仲で一番気の合わない、融通聞かずの頑固脳みそ筋肉女と組まなくちゃならんのだ」
「それはこっちの台詞ですわ。どうして私が、こんな礼儀作法も知らない田舎者と」
「もー、ルドもヒルデも、喧嘩はだめ!! せっかくのご旅行でしょ!!」
窓から出していた顔を引っ込めて振り返る。
ぷくりと頬を膨らませたマヤが俺たち二人の間に割って入った。
いまや慣れっこになったヒルデとの悪態合戦。
だが、流石にこんな可愛い少女に仲裁されては止めるしかない。
この辺りを狙ってニコラウスの奴もマヤを俺たちにつけたのだろう。
今回の任務の上での話だが、俺たちは仲睦まじい帝国の男爵家族――ということになっている。設定的にも、娘に窘められては父親として言うことを聞かないわけにはいかないな。
はいはい分かりましたよと、俺はヒルデから顔を逸らした。
まったくどうしてこんなややっこしいことになったか。
何もかも、元を辿ればローランの元宰相様のおかげさまだよ。
どうして大人しくしていられないのか。
不貞腐れてまた俺から顔を背けたヒルデ。
そんな彼女に背を向けて、また、馬車から顔を出して景色を眺め始めたマヤ。
そんな山育ちの少女が、あっと声を上げた。
「おっきな塔だ、見て、ほら塔が見えるよ、ヒルデ、ルド」
「あら、もうこんな所まで来ましたの」
ヒルデがそう言って立ち上がる。
「いいことマヤ、よく覚えておきなさい。あれが海洋貿易国、ロシェ王国にこれやありと言われる『黒曜石の大灯台』ですわ」
マヤの背中に回り込むとと、同じように馬車の窓から身を乗り出したヒルデ。
日の光にぼんやりと滲んで見える、苔むした灯台。
それを指差して彼女は言った。
黒曜石とは名ばかり、レンガ造りの灯台がそこにはそびえ立っている。
かつてそうだったという伝説があるというだけで、実際には違う。
しかし、遠くこの地中海の東の果てまでもあまねく照らすと言わしめるだけの、十分な巨大さであることには違いない。
ローラン王国の王都より西南。
老獪なる王の一族により、国境を接するローランにも我々帝国にも属さずに、中立を貫いている国家がある。
かつて地中海を通じて南海の亜州、東方の諸国へと交易の拠点として大いに栄えた小国家。
それがロシェ王国だ。
地中海を制する海洋国家として、大陸西部の覇者イスパル、中央のローラン、そして北辺の我々帝国とその属州に、強い影響力を持つこの海洋貿易国。
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