第21話 愚者の矜持(2)
投擲のモーション。手にした赤い槍を渾身の力を込めて、今度は俺へ向かって投げる。下手な矢よりも早いだろう。風が爆ぜる音がした。
その槍を、首を振ってかわして、俺はまた巨人の懐へと飛び込んだ。
腕を組んでの振り下ろしの一撃。悪くない攻撃だが、モーションが大振り過ぎる。
流石に擬似生命だけあって、戦闘パターンは、たいしたことがない様子だ。
その攻撃を巨人の股を抜けて避けると、反転し、すぐさまその背中に飛び乗った。
そして、背中から生えた、二つ目の腕を、それぞれ跳ね飛ばす。
不恰好な翼をいきなりもがれた巨人。
少し離れた所にある、羊の首が、大きく嘶いた。
「うるせえよ」
掴みかかろうとしてきた巨人の腕に、俺は逆に掴みかかった。
そうして、先ずはその大きな手の腱に、ダガーナイフで切り込みを入れる。
手を無力化したことを確認すると、すぐさま腕から飛び降りる。
滞空時間を狙って、腕を振るってきた巨人。
それを、待ってましたと蹴り上げて、俺は高く飛ぶ。
こうちょこまかと動き回れては困る。先ずは動きを封じる。
手にしたのは胸のホルダーに収まっている投げナイフ。どこに何が入っているかは承知している。長柄の槍を三本抜き出すと、俺はそれを、巨人の両太股、そして脊椎に沿うようにして投げつけた。
巨人の体が地面に固定される。また、山羊の顔が悲鳴を上げた。
落下する速度に任せて、左手のダガー、右手のサーベルに力を込めた。そうして、一振り。俺は巨人の前へと落下すると同時に、胴体と太股を切り離した。
二つの腕を付けたまま、巨人の巨体が地面へと落ちる。
振りかぶった巨人の右腕が、俺の顎を捉えた。
顎の骨が砕ける音がする。
しかし、それだけだ。
直ぐに顎は治る。
崩れ落ちながらの一撃など、たいした威力なんてない。
「もういいんだぜ。楽になりな。これ以上、苦しむ道理なんてないんだ」
右腕を切り落とし、左腕を切り落とし、そして、捨てた。
いよいよ胴だけとなった巨人に、俺はそんな言葉をかけた。
「死ねないってのは辛いな。逃げられないってのは辛いな。終わらないってのは」
地獄だよ。
不死者にとってこの世は地獄だ。
それでも、俺達は、生きていかなくちゃならない。
巨人の腹の中から突然に手が生えた。
ナイフを握ったそれが、俺の腹をまた割いた。
「だから効かないって言っているだろう。分からねえようだから教えてやる」
俺は肩から掛けていた投げナイフをまとめているベルトを外した。そうして血で染まった上着を破り捨てると胸板をさらけ出した。
赤い刺青。
林檎の形を模した魔方陣がそこには描かれている。
それこそが俺が背負った呪い。
俺の体を修繕し、死を許さない、不死人の証。
「帝国東部で幾度となく繰り返された聖戦の名残がこの俺だよ。多くの敵兵の命を対価に、生み出された再生魔法『生命の樹』、それを胸に植えつけられた不死者さ。頭が潰されようが、腕を吹っ飛ばされようが、内臓を抉られようが、この胸に林檎の紋章がある限り、俺は死なない」
腹に刺さった腕を折る。
最後に残った、右腕をサーベルで斬り飛ばすと、俺は唐竹割りに巨人の胴を真っ二つに裂いた。
「俺が死ぬ方法はただ一つだ。この胸の林檎の紋章を、呪いの印を枯らすしかない。この生命の樹の秘術を成す為に、訳も分からずに捧げられた幾千の蛮族たちの命を、綺麗さっぱりと使い切らなくちゃならない」
そして、それは、この紋章が胸に輝く間、俺が殺した命も含まれる。
人の一生が五十として、俺はいったい何世紀を生きれば良いのか。気の遠くなる時間を前にして、今や俺は、自分が抱える命の重さも分からない。
ただ、どうせ使い切るならと、殺すに値するモノを相手に、こうして剣を振るうだけ。守りたい者のために、守れなかった者たちの命を使うだけ。
それが聖者にはなれない俺が選んだ生き方だ。
「お前が死んでて良かったぜ。これで、二人分くらい、命を消費できた」
擬似生命の力がなくなったのだろう。ようやく巨人は動かなくなった。
振り返り、山羊の首が落ちていた方を向く。いつ戻ったのだろうか、涙に暮れるヨハンナの首が底には転がっていた。
「あ、あ、あぁ、あり、あ、が、う」
「良いから。もう寝ていろ。妹のことは俺に任せろ。悪いようにはしねえさ」
ヨハンナの口の動きが止まった。そうして、最後に彼女は、俺に笑顔を見せた。
哀れな女だった。どうして彼女のような純朴な娘が、くだらない大人のくだらない事情に巻き込まれて命を落とさなければならなかったのか。
彼女が恋人の面影に縋って、グスタフの元に走ったことは罪だったのか。
それを神が断罪して、彼女を殺した俺を断罪しないのは何故か。
誠に、この世は地獄だ。
もしここが地獄でないなら、こんな道理は通らない。
そんな地獄の中で、俺は、俺にできることをするしかない。
「ウド。終わった、すぐにそちらに俺を飛ばせ。急いでだ」
次の瞬間には、俺は、教会の外に居た。
死屍累々の水辺を向こうに見て浮揚している草の浮島。その中央、人ごみの中に大きく開けられた場所に、マヤは静かに横たわっていた。
息はしていない。顔色は青い。しかし、心臓は動いている。
もし、息をしていないことが生きていることの証明なら、彼女は死んでいることになるのだろう。しかし、こんな奴等を、俺は戦場で何人も見てきた。
そしてこんな糞ったれた呪われた力に、何度も感謝してきた。
「悪いマルク、ちょっと持っていてくれ」
マヤの前に立っていたマルク。
俺の顔を見るなり、任せろ、と、その手を差し出した。
手にしていたダガーナイフで、折角繋がったばかりの左腕を切り落とすと、ナイフと一緒にその手をマルクへと向かって投げる。
そして俺はマヤへと近づくと、彼女の体に開いた大きな穴へと左手を突っ込んだ。
マヤの体が震える。その振動で浮島は大きく波打った。
不死の力が及ぶのは、何も自分の体の内だけのことではない。
その血肉が通った場所であれば例外なく、この不死の力は浸透して、その傷を修繕するように働く。事実、普通ならば型が違えば混じると凝固するはずの血液がマヤの中へと流れていた
。
「生きろマヤ。お前は生きなくちゃならない人間だ。姉ちゃんや、婆さんの分まで」
背中まで抜けていた傷が見る間に塞がっていく。
手伝いますわ、と、ヒルデが俺の隣に座る。
彼女はそう言って、すぐにマヤの気道を確保すると、その唇を重ねて息を吹き込み始めた。
強くなっていく心臓の鼓動、見る間に血色の良くなっていく、マヤの顔。
「帰って来い、マヤ」
ガァ、と、聞いたことのある、少女の叫び声がした。
咳き込むような息を吐いて彼女は目を覚ました。その横で、彼女の腹から、ゆっくりと、修復した臓器を傷つけないように俺は手を抜いた。
「ゴゴハ、イッダイ、ネエハ、ドゴニ」
「よかった。蘇ってくれた。ねぇ、蘇ったわよ、ルドルフ、貴方のおかげよ」
命こそ取り留めたが体力までは回復していない。起き上がることはできないのか、マヤは寝たままで首だけを起こすとこちらを見た。
「ヨゾモノ、ナンデ、ナイデイル」
「なんでだろうな。分からんよ。俺には分からん。分からんがな、覚えておけ、人間には言葉にできなくても、説明できなくても、涙が出るときがあるんだ。そういうものなんだよ」
戦いは、今、終わった。終わったのだ。
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