第15話 鷲の巣(4)

 トカゲ病の発症理由は、特定の栄養素が欠乏することによるものだ。

 その栄養素を吸収するための臓器が不全を起こしたばかりに、トカゲ病になる者も多い。


 回復したマヤに残った後遺症とはこのことだ。


「マヤ。お前、いったいどこに行っていたんだい」


 マヤの姿を見つけたのだろう、家の中から老婆が飛び出してきた。

 手にしていた鉈を落とすと、マヤはすぐに老婆の方に向かった。


 そうして、小柄な体躯の彼女は、愛する祖母の胸の中へと飛び込むと、声を荒げて泣き始めた。


「ネエ、サガジテ、マチヘオリダ。ネエ、ミツガラナイ。ソジタラ、ヨソモノ、キタ。ヨソモノ、サイナン、シカ、ヨバナイ。マヤガラ、ウバッテイク。ユルセナイ」


「だから俺達を襲ったってのか」


 再びこちらを睨みつけるマヤ。

 そんな彼女の頭を撫で、違うんだよと、老婆は優しく諭すように語りかけた。


「ナニガ、チガウ。バア、コイヅラ、デギ、アグマダ。ヨゾモノ、ハ、アグマ、ダ」


「そうだ私は悪魔だ。死体操作の禁術を極めるためなら、どんな対価も厭わん。そして、この地は、私の研究を達成させるためには、どうしても必要な土地」


 聞き覚えのない声だった。

 その声の主を探すよりも早く、老婆の叫び声が辺りに響いた。


 老婆が槍を持った男に刺されていた。

 トカゲ病の少女によく似た顔つきの男だった。


「トォ!!」


 叫んだトカゲ病の少女に、その男は腰につけていた鉈を抜いて無言で切りつける。


 鉈を投げ捨てた彼女にそれを防ぐ手立てはない。

 咄嗟、俺は彼女を庇うように前に出ると、左腕で、振るわれた鉈を防いだ。


 血が滴る。

 左腕の手首の感覚がなくなる。


 なんとか、骨で鉈を止めることには成功したみたいだが、左手はこれではもうまともに使えないだろう。


「痛いな、何しやがるんだよ、この野郎」


「カカッ、なかなか面白いことをしてくれるじゃないか。ついさっき会ったばかりの、それも自分に切りかかってきた娘を庇って、左手を失うだなんて」


「安いもんだろこれくらい。人間の命に比べたら」


 大将、と、ユッテの叫び声がする。

 やれとだけ言うと、すぐさま、俺の左腕に鉈を打ち付けた死体が、灰燼へと姿を変えた。


 残ったのは、俺の手に刺さっていた鉈だけ。

 使い手を失って宙に浮いたそれは、やがて自重で俺の腕から抜け落ちると、地面へと突き刺さった。


 ガァ、と、マヤが悲痛な泣き声を上げた。

 そうして、彼女はその自分に向けられた鉈へと近づくと、それを愛しげに両手で抱きしめた。


 トゥ、トゥ、トゥ、と、何度も何度も叫んで。


「お前の親父さんだったか。悪いな、加減をしてやる余裕はなかった」


「ウゥッ、ヨグモ、ヨグモバアヲ。トゥヲ。ユルザナイ、ユルザナイゾォ!!」


「ユッテ。そいつを抑えておけ。いいか、くれぐれも優しく扱ってやれ」


 鉈を持って俺に殴りかかろうとしてきたマヤをユッテが手馴れた動作で拘束した。二倍近い身長差がある二人である。なんとかしてその拘束を解こうとするマヤだったが、どうにかなるような力の差ではない。


 マヤをユッテに任せて、俺は老婆の下に歩み寄る。


 既に老婆は絶命していた。失血によるものではないし、心臓や脳を突かれている訳でもないのにだ。おそらくショック死だろう。

 あっけのないものだ。


 老婆に十字を切って冥福を祈る。

 そうして胴に結わえている袋の中から、一本、細い縄紐を引き抜いた俺は、それを左腕の、鉈で切りつけられた少し上くらいに結わえた。


 強く、更に強く、力を込めて紐を引けば止血は完了である。


「リヒャルト。教えてくれ、何年も前の死体が、どうしてあぁも生きた人間そっくりなんだ」


「死体の保存状況が良かったということだろう。山頂付近で保存状態の良いミイラが見つかることはそう珍しいことじゃない」


「にしたって、そんな気象条件だけでこんな状態になるのか」


 リヒャルトは顎に手を当て、疎らに生えている無精ひげを撫で回した。

 彼の考えこむときにみせる仕草だ。


 そうしてすぐに何かを思い至ったのだろう、骨と鎧が落ちる庭を抜けて、死体達が現れた森の中へと彼は入って行った。


 まだ敵が潜んでいるかも知れないというのに迂闊な奴だ。マヤについては、ユッテに任せておけば大事はないだろう。

 俺はすぐさまリヒャルトを追った。


 森の中に入ると、すぐに彼の姿は目に入った。

 地面に座り込み、手にしたナイフで、なにやら地面を掘り返している。

 まだ死体がないかと探しているのだろうか。


 何しているんだ、と、話しかけようとした時――。


「あった」


 と、リヒャルトは声を上げた。


 覗き込もうとした俺に、振り返ったリヒャルトが、その土の中から見つけたものをみせる。それは鮮やかな黄土色をした、鉱石だった。


「これがいったいなんだ。賢者の石だって言うのか」


「千年くらい前はそんな風に言われていたものさ。トロナ鉱石。炭酸ナトリウムや炭酸水素ナトリウム――と言ってもピンとこないか。まぁ重曹の原料になる鉱石だ」


「重曹でもピンとこねえがな。あれか、あの、汚れを落とすときに使う奴か?」


「馴染みがないよね。えっと、そうだね、サイダー、そう、炭酸水の原料だよ。こいつを少量、水の中に溶かして、レモンの絞り汁なんかに入っているクエン酸を混ぜることで、簡単に炭酸水が出来上がるんだ」


 それは昨日、泊まった宿屋で飲んだ物のことか。


 確かエゴンの義姉は、ここらの沸き水はレモンを入れることで炭酸水になる、と、言っていた。


 つまり、この周囲の山から得られる水には、重曹が溶け出している。


 もっと言えばその溶け出す元、山の土の中には、大量の重曹、あるいはその原料となるトロン鉱石が、多数含まれているということだろう。実際、それを裏付けるように、リヒャルトはその原料となるトロン鉱石を簡単に見つけてみせた。


 しかし、重曹が死体の保存とどれほどの関係があるのか。


「トロン鉱石、そしてそれと一緒に出土するナトロンは、昔から色々な用途に使われてきた。石鹸や、塗料、ガラスの製造そして、一番有名なのが乾燥剤として、さ」


「乾燥剤?」


「そう。主にナトロンになるんだけれど、これは炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウムが適度に混じったものでね、これを乾燥させたい物体に振りかけておくと、適度に水分を吸ってくれて、乾燥が早くなるんだよ。市場でもよく売られているんだけど、見たことないかな」


 少なくとも、俺は見た覚えはない。

 が、便利な粉であることはなんとなく分かった。


「で、だ。まさしく死体保存に、このナトロンによる乾燥が深く関わっている」


「はぁ」


「ルドルフ、君はミイラって見たことがあるかな」


「確か南西にある王国の埋葬方法の一つだろう。死んだ人間を干からびさせて、それを包帯で巻いて埋めるっていう」


「そう、その干からびさせる工程で、この、ナトロンは利用されるんだ。普通に天日干しなんてしようものなら、太陽からの熱で乾く前に腐っちゃうからね。その前に、水分を抜いてやる必要があるんだ」


 あまり聞いていて気持ちのいい話ではないな。

 思わずえづきそうになるのを我慢した。


 リヒャルトの言わんとすることはだいたい分かった。

 つまり、ここに埋められた死体は、正確には、ナトロンやトロナ鉱石が豊富な土壌用に埋められた死体は、土中のそれら乾燥を促す成分によって、腐敗することなく、急速に乾燥したという訳だ。


「結構高い山だからね、そもそも低音で雑菌が発色することもなく、腐敗も進みにくい。そこに加えてこの条件が重なってということだろう。それと、死体の処置、エンバーミングが適切に施されているんじゃないかな」


「エンバーミング?」


「まぁ、ミイラ作りと同じなんだけどね。死体の保存状況をよくするために、色々と処置を施す技術のことだよ。葬式までの間、腐らせないようにする技術なんだけど、先ほどの婆様の話を聞く限り、ここのドルイドは優秀な薬師の一族だからね、死体を腐らせずに長期保存するための技術を持ってたのかもしれない」


 燃やしてしまった後では、仮定の話にしかならない。

 しかし、俺達の前に現れた、ユミルと先ほどの死体を見る限り、ただのミイラで片付けられないのは明らかだった。


 死体を保存するのに適した土壌か。

 そんな物が、この世にあるとは。俺は思いもしなかったよ。


 あり得ない話だろうが、こんな所で野たれ死ぬのだけは御免こうむりたいな。もし死んだなら、とっとと土なり草なりに返ってしまいたいものだ。


「おそらくこの山全体が、昔は海か何かだったんだろうね。あるいは塩湖だったか。その時に溜まった塩が、未だに土壌に残っていて、こういう効果を生んでいるんだ」


「おし、分かった。分かったからもう薀蓄は止めてくれ、ユッテじゃないが、俺まで頭が痛くなってきたよ」


「きっとこの辺りの山に埋まっているご遺体は、総じて保存状態がいいと見たよ」


 もう大丈夫だからと、首を振ろうとしたとき、リヒャルトがそんなことを言った。


は、だって」


「うん、そうだね。きっとオランの街でも同じことが起こってるんじゃないかな」


「リヒャルト、よ」


 本人は何気なく言ったつもりだったのだろう。

 俺の言葉にリヒャルトは目を剝いていた。


 全て合点がいった。


 どうしてグスタフがこの街を狙ったのかも、そして、ヨハンナに協力するよう恋人の死体を使って迫ったのかも。

 グスタフの狙いはこの街の交易の利権でもなければ、近隣の村の穀物でもなかった。


 この山に眠っている、保存状態の良い死体が欲しかったのだ。

 それは先ほど俺達を襲った時のように、自分の命令に忠実な駒として使うためだろう。あるいは、この死体の保存に適した土地を利用して、大それた事を考えているのかもしれない。


 人は老いれば死ぬ、老いなくてもひょんなことで死ぬ。

 この世に人が生きている限り、死体を集めることは難しいことではない。

 あとはどうにかして、それを腐らせずに保持させることができれば、その駒は、増え続けることだろう。


「ゾンビの王にでもなるつもりかグスタフ。くだらねえ。世間と自分をすり合わせることができなかった、どうしようもなく馬鹿な魔術師が考えそうな、実にふざけた野望だぜ」


「なるほど、だとしたらきっと襲った村の墓地からも死体を補充しているんだろう。だとして、さっきユッテが燃やした数で、この山の死体が全部だとはとてもじゃないが思えない」


「いや、問題は村よりもオランの街だろう。村と街じゃ規模が違う」


 グスタフが、ディーターに近づいたのはそういう理由だろう。


 葬儀を執り行う教会の人間に取り入れば、墓地も死体も弄りたい放題である。

 死体操作の魔術といっても、一朝一夕にできるものではない。村を一度に襲わず、順々に襲ったように、少しずつ奴はオランの墓地に眠る死者たちを自分の手駒に変えていったに違いない。


 いよいよ、冷静に分析している場合ではない。

 先ほどの死体の台詞から、グスタフの奴は俺達が差し向けた駒を蹴散らしたことを知っている。次に奴がどういう手に出るか。


 手の内を知られたからには、もはや小細工は通用しない。

 総力戦、力ずくで、形振り構わずに俺達を殺しにかかって来るだろう。


「大将、ちょっと、なんだよあれ」


 胸にマヤを抱いて俺達を追ってきたユッテが、空を指差して言った。


 立ち上っているのは黒い煙。

 それは、俺達がやってきたオランの街がある方角だった。


「予定を、早めることにしたよ」


 死んでいるはずの老婆がこちらを向いて立っていた。

 グスタフが、死体操作の魔術で遠隔操作しているのだろう。


 死んだ傍から操ろうとするとは仕事の早い男だ。

 もっとも、こいつの得意とする死体操作の魔法は、遠隔操作ではなく、擬似生命による使役なのだろう。老婆の体は左右に大きくふら付いていた。


「オランの街を私の物にする。私と私が操る死体だけの都だ。ははっ、素敵だろう」


 老婆の高笑いが山に木霊する。

 マヤが泣く前に、俺は再び、老婆の為にダガーナイフで十字を切った。


「急いでオランの街に戻るぞ、リヒャルト、ユッテ」

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