第16話 オランを覆う影(1)

 再びオランの街の門を潜ると、街は青白い顔をした死者たちに占拠されていた。


 逃げ惑う住人達に襲い掛かる死体の群れ。


 ある者は手にした農具でそれを振り払い。

 ある者は地面に転がっている石を拾い上げてぶつける。


 しかし、相手は痛覚どころか命すら持たない死体である。そんな攻撃が効く筈もなく、倒れても再び起き上がり、生きている人間を追いかける。


 その光景はまさに地獄だった。


「酷いもんだなこりゃ」


「ったく、マルクやウドの奴はいったい何してるんだよ」


 ガァ、と、ユッテの背中にしがみついていたマヤが叫んだ。

 彼女が指差した方向には、路地裏に大挙して群れている死体の姿があった。


 更に、よく目を凝らしてみると、その路地の隙間に、必死に抵抗している小さな子供達の姿が見えた。

 昨日、俺達を宿に誘おうとした子達である。


 誰よりも早く飛び出したのはマヤである。

 彼女はユッテの背中を蹴ると、そのまま広場へと跳んだ。

 そして手にした弓を引き、先ずは一体、蠢く死体の頭を打ち抜いて見せた。


 見事な腕前だ。

 おそらく、狩で鍛えたのだろう。


 狙われたのがマルクで本当によかった。


「ちょっと待てよ。ったく、とんだお転婆だなアイツ」


 我が隊きってのお転婆娘と呼ばれているユッテに言われれば世話はない。


 しかし、この娘もこの娘で、ここまで世話焼きな性格をしているとは思わなかった。なんといっても、ここまでずっとマヤを背中に負ぶって、その面倒を見ながらやって来たのである。


 荒事になれば形振り構わず、我先に、一番槍ぞと駆けていくユッテだが、今日の彼女は違っていた。

 マヤを気遣ってか、ロバに乗るリヒャルトより遅れて歩いてきたのだ。


 そして今もまた、すぐにマヤに追いつこうと駆け出している。


 意外と女傑族の女は母性が強いのかもしれない。

 と、俺も感心している場合ではないな。


 胸のホルダーから投げナイフを取り出す。

 左手首が使えない今、近接戦闘は避けるべきだろう。マヤを追いかけるユッテに、横から迫った死体に向かいナイフを投げつけ、ここは後方援護に徹することにした。


 この街の墓地に眠る死体が全て起き上がっているのだ。

 一体倒したところで、すぐにまた、死者がユッテとマヤへと迫る。


 挟撃、まさに、ユッテに四方から死体が襲い掛かろうと飛び出してきた。

 咄嗟にナイフを二本握る。

 流石の俺も片手で四本同時に操れるほどの腕前は持っていない。


 一体はユッテの奴が倒すだろうが、もう一体をどう始末するか。

 考えた矢先、隣で大きな爆発音がした。


「なにしてるんだいルドルフ、ユッテが危ない。早く、ナイフを投げて」


 もう一つの魔装、百発百中の追尾弾を込めたライフルを手に、リヒャルトが言う。この男に戦場で遅れを取るとは思ってもみなかった。


 分かってるよと呟いて、俺は投げナイフを前方の死体に向かって放つ。

 一体の死体の頭が床に落としたトマトのように弾けて、二体の死体の上半身が宙に舞った。


「どいてろマヤ!! おらぁっ、燃えろやゾンビども!!」


 マヤへと追いついたユッテが叫んだ。

 すぐさまマヤはその場に跳躍し、路地裏の前に伸びていた釣り看板の上に、曲芸めいた動きで着地した。


 そんなマヤのすぐ下で、赤色をした炎が湧き上がる。


 一息だった。

 一息、ユッテが息を吹きかければ、路地にひしめいていた死体がからりと燃え尽きた。乾燥しているだけあって、よく燃えるということだろう。


 死体達と共に、それらを追い払うのに使っていた棒が消し炭になって崩れ落ちた。

 呆然とした表情で突っ立っている子供達に、大丈夫か、と、ユッテが近づく。

 すると、堰をきったように、彼らは大きな声をあげて泣き始めた。


 ここでもまた予想外の母性を見せたユッテ。

 彼女は、泣き喚く少年たちを抱いて宥めた。


「よしよし、もう大丈夫だお前ら。怖い奴はアタシが追い払ってやったから」


「おう、大丈夫だったか、ユッテ、マヤ」


「ガア」


 大丈夫とばかりに鳴いて返したマヤ。

 結果として無事なのでよかったが心臓に悪い。


 何食わぬ顔をして降りてきた彼女の頭を、俺は撫でる前に小突いた。


「危ないだろう、勝手に飛び出すんじゃねえ。荒っぽいことは、俺達に任せておけ」


「ヤダ。オマエラ、ヨゾモノ。シンヨウナラナイ」


「これだけ助けてもらっておいてまだ余所者呼ばわりとはな。いい加減信頼しろ」


 ふてくされるマヤ。

 祖母の仇を取りたいという気持ちは分からないでもないが、ここでこの娘にまで死なれてしまっては、とてもじゃないが明日の寝覚めが悪い。


 ほれ、しっかりおぶっていろ。

 俺はマヤを摘み上げるとユッテの背中に押し付けた。


「ルドルフ、それにリヒャルトにユッテ。やっと戻って来たんだね」


 背中の方で聞きなれた声がした。

 少しの緊張感も感じさない、いつもの様子のウドがそこには立っていた。


「ようやくお出ましかよウド。お前がいながらこの惨状はどういうことだよ」


「ごめんよ、これでも精一杯やっているんだ。避難できそうな所がなかなか見つからなくて。なんとか、今、人工湖に浮島を作って、そこに住民を避難させている所さ」


 得意の自然魔法で浮島を作ったか。

 相変わらず、俺達のような中途半端な魔法使いとは格が違う。


 流石は魔法を得意とするエルフだ。


「で、街が一個滅ぶかもって時に、肝心の我等が隊長殿はどうしたんだ。まさか暢気に茶でも飲んでる訳じゃないだろうな」


「マルクはディーター卿とグスタフを止めるって言って、教会の方に向かったよ。まぁ、暢気に茶は飲んでるかもしれないけど」


 死人が街に現れた事で俺達がグスタフの思惑から外れたと見たのだろう。

 予想外のことに混乱しているのは敵方も同じ。


 この期に乗じてと動いたところは流石はマルクだ。


「ヒルデは?」


「湖の前に群がってる死人を蹴散らしてる。一人で数千人の相手は流石に堪えるみたい。助けたいのはやまやまだけれど、僕も逃げ遅れた人たちを救出しなくちゃいけなくて。本当、良い所に帰ってきてくれたよ」


 まぁ、あの馬鹿力女に限って、動きも遅く力も弱い死人に、万に一つも遅れを取るとは思えない。

 別に心配などしちゃいなかったが、そうか、無事だったか。

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