第13話 鷲の巣(2)
リヒャルトが上ってきたのを見届けた老婆は、俺達の前に出ると、ついて来なされと、背中を向けたまま言った。
誘われるまま、その背中を追ってたどり着いたのは、集落の中で最も大きな建物。
罠があるのではないか、と、俺が歩みを止める。
すると初めて彼女は振り返って、こちらに向かって微笑んだ。
「遠慮なんてせんでええ。ほれ、はよう上がりなされ。茶でも出してやろう」
その顔に俺の迷いはすぐに解決の糸口を得た。
家の中は意外と質素なつくりになっていた。
一つの敷居もなく、部屋の中央には一度に十数人が座れるほどの大きな座卓が置かれている。その横に、無造作に置かれているのは、壷と、籠、そして、薬草を調合する為の道具達だ。
典型的な土着のドルイド僧の家だ。
まぁかけなされと差し出された、草で編まれたクッションに俺達は腰掛けた。
続いて、泥を捏ねて形作ったであろう器に、なみなみと注がれた茶色い液体が俺達の前に差し出された。
「心配せんでも毒なぞ入っておらん。ちとばかし、苦くはあるがな」
ささと、老婆が笑顔で勧める。
断りきれず、俺はそれを口にした。
確かに苦い、が、嫌ではない苦さだ。
コーヒーに通じるものがある。
「ダンデライオンの根を砕いて煎じたものだね。ハーブティーの一種だ」
「あぁ、これ、故郷でよく飲んだ味だわ」
思いのほかリヒャルトやユッテには好評のようだ。
さて、と、前置いて、リヒャルトが手に持っていた器を置いた。
「見たところ、ここに住まれているドルイド僧のようですな」
「いかにも。ここに住んで、もう、八十年になるかのう」
「いかような経緯でここに住まわれるようになられたのですか。いや、私もこれで、昔ドルイド僧をしていたもので」
「なに、ワシの祖父祖母、そのまた祖父祖母と、まぁ、昔からこの辺りに住んで居るのじゃ。それこそ向かいの山に、街が出来る前から住んで居ると聞くよ」
生き証人が居るわけでもなし、本当かどうかは分からんがのうと、老婆は笑った。
やはりこの地にドルイド僧は居た。
エゴンが言った伝承のとおりであり、ヨハンナが言ったとおりでもあった。
だが、腑に落ちない所もある。
「この集落、随分と人が少ないようだが。いったいこれはどうしたんだ」
「それをワシに聞きなさるか」
老婆は初めてその表情に翳りをみせた。
そして、寂しさを紛らわすように軽快に笑うと、立ち上がって、部屋の奥にあった木彫りの人形を手に取った。
女性を思わせる風体の人形であった。
見事な彫り味があるその人形。
それが着ている服は、彼女が着ているものに実によく似ている。
そんな木彫りの人形をいとおしげに、彼女は何度も何度も撫でる。
まるで自分の子供のように、あるいは自分の孫のように、慈愛の眼差しを向けて。
「ここ十年くらいからかのう。前から少なからず居るには居たのだが、ここでの暮らしを嫌って街へと降って行くものが多くなってのう」
人形を撫でる手を休めず彼女は語った。
田舎の町でよく聞く話だ。
なまじ、薬草の知識や魔法の技術を持ったドルイド僧ならば、故郷を出たとしてもそれのおかげで重宝される。
食っていくには困らないだろう。
しかしそれでも何人かは、故郷に残るものだ。
この老婆だけがこの集落の住人だとは考えられない。
少なくとも、彼女の家族が残るはずだ。
「そうじゃて、ワシの家族とあと何人かの家族が、この村にはそれでも残った」
「それがどうして」
「熊じゃよ。それも人の身の丈の三倍もあろうかという巨大な熊じゃった。薬草を摘みに出た女子供が襲われてな。異変に気づき、なんとか罠を張って仕留める事には仕留めたが、一度起き上がってな。不意を突かれてワシの倅と男手が何人か殺されたんじゃ。残ったのは狩に参加しなかったワシと、倅の娘と、隣の家族、そして、家族をみな殺された三歳になる娘だけじゃった」
それから隣の家族は数日と空けずに集落を去った。
以来、老婆は両親をなくした娘を引き取って暮らしているのだという。
遺族に語らせるには辛い話である。
すまない、と、俺は彼女に謝った。
老婆は何も言わずに人形を元あった場所へと戻し、こちらに笑顔を向けた。
それは自分の身の上に起こったことを、全て受け止めている、覚悟を感じさせる表情だった。
「しかし、お前さんが本当に聞きたいのは、ヨハンナのことじゃろう」
「どうして、それを」
ここに来てから一度も口にしていないヨハンナの名を、彼女は唐突に口にした。
「星を読んだのじゃよ。もうすぐ、アレのことで、遠い国より使者がやってくると、ワシの占いには出たのでな」
「星を読んで当てただって。たいした腕だな」
「なに、単に分かりやすかっただけじゃよ。血の繋がっている家族といえば、ワシにはもうアレしか残っておらんしの」
ヨハンナが、残された彼女の家族、か。
できすぎている話だとは思った。
この老婆が、実はディーター卿の協力者であるとも考えられる。
それこそ、ヨハンナのことも含めて、これが罠なのかもしれない。
「信用して貰おうと思ったが逆効果じゃったかのう。なに、今、アレがどういうことに巻き込まれて、破滅の流れに足を突っ込んでいるのはワシが一番よく知っている」
老婆は再び座卓の前に戻ってくると、草で編まれたクッションの上には座らず、板造りの床の上に膝を折って座った。
そうして、昨日の夜、ヨハンナがしたように、俺達に頭を下げてみせた。
昨日のヨハンナの姿がその背中に重なって見えた。
「どうか、どうかあの娘を助けてやってくれないか。アレは騙されているのだ」
「騙されている? 少なくとも、自分が悪事に加担しているのには気づいていたようだが?」
「違う、そうではないのだ」
顔を上げた老婆の瞳からは涙が流れていた。
屈辱の涙だ、恥辱に耐える者の目だ、顔だ。
ここに来て、初めて彼女が見せた表情だった。
それは残されたたった一人の肉親に対する心配への深さでもあるのだろう。
「どういうことか、詳しく聞かせてくれないか」
「アレの横に、グスタフという若者が居っただろう。奴が全ての元凶なんじゃ」
「どうも話が見えなくて居心地が悪いな。大将、アタシ、ちょっと辺りを見て周ってくるぜ」
老婆との話しに唐突に横槍を入れたのはユッテだ。
竹を割ったような性格をしている彼女はまたその一方で頭の中身の構造も単純にできている。
あまりこの手の話を聞いて、どうこう判断できるだけの上等な造りをしていない。
それどころか、処理し切れなくて眠くなってしまうのだ。
何度、作戦会議で居眠りをこいてマルクに起こされたことだろうか。
確かに無駄に遊ばせるくらいならば、ユッテには辺りを警戒させた方が良いかもしれない。許可を待っている彼女に、行って来い、と俺は黙って頷いてみせた。
よっしゃ、と、嬉々として外に出て行ったユッテ。
その姿を見送って、再び老婆の方を向けば、彼女の瞳と頬を濡らしていた涙は、もう既に消えてなくなっていた。
ただ彼女の顔に浮かんでいる怒りだけはそのままだった。
「グスタフの野郎が食わせ者なのは分かる。だがどうしてあれと、アンタの孫娘がつるんでいるのかが今ひとつ分からない。いったい、あの二人はどういう関係なんだ」
「アレは、いや、かつてのグスタフは、ただの旅の商人じゃった。街道で盗賊に襲われて行き倒れていた彼を、ヨハンナが見つけて助けたのがそもそもの始まりじゃて」
旅の商人だって。
それは話がおかしい。
確かにグスタフは、俺達の前で元ギルド所属の魔法使いだと名乗った。彼女達に、旅の商人だと誤魔化して名乗るにしても、そうする意図がよく分からない。
「もっとも、その頃アレは自分のことをエミルと言っていたがな」
「エミル? ちょっと待て、どういう意味だ。偽名を使っていたということか?」
「それが分かればアレも、生き返ったあの男に着いていったりせんよ」
「生き返った、だって? どういうことだ婆さん、さっきから、アンタの話は合点がいかないことだらけだ。いったい何者なんだグスタフは、いや、エミルは」
婆さんはため息を吐いた。
そうして、分かっているのはこれだけだ、と、前置いて、エミルについて、彼女が知っていることを俺達に語った。
エミル。
彼は東の国からやって来たキャラバンの男だった。
正確には、キャラバンに売られた奴隷の青年だった。
親に売られたキャラバンで、数年の間、馬車馬の如く、いや、まさしく荷を運ぶ家畜か何かのように働かされた彼。ある時、帝国との交易の途中、オランに立ち寄った彼らのキャラバンは、運悪く、流れの盗賊団に狙われて荷を奪われた。
彼の雇い主が盗賊に首を刎ねられた一方で、彼は、たまたま、背中を切りつけられるだけで済んだ。
加えて幸運なことに背中の傷は浅く、臓器まで届いていなかった。
それでも、失血と痛みに気を失い、あわやこのままの垂れ死ぬだろうと思われた彼を救ったのが、これまた幸運にも薬草を摘みに街道まで出ていたヨハンナであった。
彼女は彼を担いで村落へと運んだ。
老婆は優秀なドルイドであり、同時に薬師でもあった。
老婆の適切な処置、そして、ヨハンナの献身的な介護により、エミルは順調に回復していった。
若い男と女のことである。
世話をして、されているうちに、どちらともなくヨハンナとエミルは恋に落ちた。
やがて回復したエミルは街へと戻る事を拒み、ヨハンナや老婆達と共に、ここで暮らすことを望んだ。
老婆は、孫娘の可愛らしい恋人を歓迎し、共に暮らしていた両親を失くした少女も、彼らのことを祝福した。
そうしてエミルは村の一員となり、ヨハンナの将来の婿となった。
キャラバンで育ったからだろう、狩に薬の調合や売り歩きにと、エミルはよく働き、彼女達家族のために色々と尽くしてくれた。
そんなエミルをヨハンナはよく支え、頼り、そして深く愛した。
ヨハンナの成長と共に二人が子を設け、この裏寂れた集落が再び活気で満ち溢れるのは、そう遠くないことのように思えた。
しかし――夢見たその幸せな光景は、決して訪れることはなかった。
ある時、一緒に暮らしていた少女、マヤ、が、病に冒された。
それはマヤの命を奪いかねない恐ろしい病だった。
そして、優秀な薬師である老婆もまた、匙を投げる程に難しい病だった。
その病を直すには、薬草のほかに、特殊な、そして高価な霊薬が必要だった。
当然、そんな高価な霊薬を買うような金は、自給自足で生活し、たまに薬を街に卸して生活するような彼らにはない。
老婆もヨハンナも、日に日に衰弱していくマヤに謝り続けた。
そんな彼女達を見かねたエミルは、自分が街に下りて、その霊薬をなんとかして手に入れてくると言った。そうして、彼は、再び街へと降りていった。
「本当に、運の悪い男じゃ。金の工面にしても大変じゃったろうに、きっと、そんな高価なものを買ったからだろう。街で盗賊たちに目を付けられたんじゃ。それから数日後、エミルが街道で首をねじ切られて事切れているのをワシが見つけた」
「それじゃ、エミルは、死んだって言うのか?」
「あぁ、そうじゃ。しかとこの目で確かめた。忘れるものか。奴は、自分の口の中に、鞣革で包んだ霊薬を隠しておったんじゃ。おかげでマヤは後遺症こそ残ったが、なんとかその薬で、一命を取り留めることができた。奴の勇気には感謝しても感謝しきれん」
「それで、エミルの死体は」
「裏の森へと埋めたよ。ワシ等の一族が代々眠る墓場じゃて。奴は、エミルは、間違いなく、一族の男じゃった」
それがどうして、この様な形で蘇ってきたのか。
彼の死から一年が経とうという頃、再び、ヨハンナの前に、同じ顔をした男が現れた。彼は自分のことをグスタフと名乗り、ドルイド僧であり、魔法の心得のあるヨハンナに、自分の手伝いをしろと要求した。
止める老婆、そして、マヤの手を振り切り、彼女はグスタフの元へと走った。
それから、彼女がどうなったのか、老婆は知らない。
話はちょうど、ディーター卿がこの地に赴任し、辺りの村々を山賊が荒らしまわり始めた、数ヶ月前のことである。
「あれは、化物じゃ。エミルではない。エミルの顔形を象った、得体の知れないモノじゃ。あんなモノにヨハンナが良いように扱われているのが、ワシには許せん」
「好きになった男と同じ顔をした男。そいつの言うことに逆らえないってのは、なんともやるせない話じゃないか。許せねえやり口だな」
人の姿を真似る術、魔法は、実はそう難しいものではない。
基礎から少し毛が生えた程度でできてしまう。
それ故に、こうした故人に成りすました詐欺やら事件やらは、こんな仕事をしていれば、よく耳にする話である。
それでも、死別した命の恩人、そして、恋人を真似て、操るなんてのは、下衆の中の下種がする行為だ。許すことはできない。
「任せておけ婆さん。アンタの孫娘は、俺達が必ず助けてやる」
再び怒りに震え、涙を流していた老婆の肩を俺は抱いた。
抱くなら若い女の方が良い。
だが、涙する者に胸を貸すことはやぶさかではない。
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