第12話 鷲の巣(1)

 すぐに、俺達はエゴンの安否を確かめた。

 だが、その姿は宿にある彼の自室にはなかった。


 エゴンと最後に顔を合わせたのは彼の義姉だった。

 彼は、いいと言ったのに、どうも俺達についていくつもりだったらしく、明日は早いからと早めに自室に篭ったのだという。


 エゴンを助けてくれ、あれは本当によく出来た弟なんだ、と、彼の兄は泣いて俺達に懇願してきた。義姉も縋るようなことはしなかったが、夫と同様に目に涙を浮かべて、どうか彼を救うように俺達に求めてきた。


 無論、俺もマルクもそのつもりだった。

 大急ぎでリヒャルトとユッテに支度をさせると、空が白んでくるのも待たずに、俺達は宿を出発した。


 大通りにある運送屋を急用だと叩き起こし、倍の貸し賃でロバを貰う。

 俺とリヒャルト、そしてユッテは、オランの街から再び街道を戻り、ディーターより示された、鷲の巣を目指した。


 ようやく鷲の巣へと続いているだろう山道を、街道の脇に見つけたのは、夜空も白んでくるような頃合のことだった。


「いやしかし、罠と分かっている場所に、どうして向かわなくちゃならないのかね。僕はとても乗り気がしないよ。ロバには乗っているけれど」


「人質を取られてるんだから仕方ないって。しっかし、アタシらが寝ている間に、そんなことになってただなんて。妙なことになっちまったね、大将」


「そうだな。まぁ、ディーターとグスタフの奴が何を考えているのかは知らねえが。機をみて反撃するしかねえな」


 先頭を行くのはユッテだ。

 密林の奥深くに住む女傑族出身の彼女にとって、森を歩くことなど容易い。


 使われなくなって久しいはずの、山道を掻き分けて、ずいずいと進んでいく彼女。

 その後ろを、俺と、少し遅れてロバに乗ったリヒャルトが続く。


 既に太陽は頂点の半分くらいの位置に上っていた。


 昨日、鷲の巣に行って帰ってくるので半日と言ったが、この様子では、昼前に街に戻るのは難しいかもしれない。

 出来ることならば早く帰って、マルク達と合流しておきたい所である。


 幾らマルクと言っても、人質を取られた状態では自由に行動できない。

 ウドとヒルデに関してはなお更だ。


 この先にどんな罠が待ち構えているかは知らない。ヨハンナがわざわざ出向いて止めようとしたほどのことである。きっと、余程のことがあるのだろう。


 加えて、鷲の巣に住むドルイド僧の話。


 あるいはディーター卿とグスタフは、俺達にドルイド僧と戦わせようという心積もりなのだろうか。だとして、何故そのドルイド僧たちの一族であるヨハンナが、そんな奴等に協力しているのだろうか。


 駄目だ分からないことが多すぎる。

 そしてもう一つ、ここに来て分からないことがあった。


「やっぱり、この道、しっかり切り開いてある」


「だな。俺もそう思った」


「しかも、今日ついさっきという感じじゃない。人が通ったのは数日前の話だ」


 山道については俺よりもよく知るユッテだ。

 彼女がそう言うのだから、山道が切り開かれたのが今日のことではないというのは間違いないだろう。


 グスタフが俺達を殺すために、山賊の奴等をあらかじめ鷲の巣へと向かわせたのなら、山道が使われているということ自体にはそうおかしくない話だ。

 しかし、それがどうして、今さっきのことではないのだろうか。


 わざわざ数日前に、盗賊を移動させる必要があったのか。

 しかも、俺達が来るであろう日にちを予見し、移動させる意味があるのだろうか。


「しかも、一度に結構な数の人間が歩いているみたいだ」


「するとやはり盗賊団かな。鷲の巣をねぐらに、彼らは村を襲っていたってこと?」


「まぁ待てって、鷲の巣には元からヨハンナ達ドルイドが住んでいたんだ。彼らが、定期的に山を降りていただけかもしれん」


「でも、一人や二人が歩いたくらいで、これほど道は固まらないぜ」


 じゃあ一日に何度も往復したのだろう、と、ありえない仮説を立ててみた。


 馬鹿馬鹿しい、そんなことがあるものか。

 俺達だってほうほうの体で、オランからここまで来ているのだ。そう日に何度も往復できるような場所でないのは分かっている。


 やはり現実的にありえる線としては、盗賊が鷲の巣をねぐらにしていて、たびたび移動しているということだろう。

 となれば、この道の先に待っているのは、盗賊達。


 そして、戦闘ということになるのか。


「それで俺達が負けるだろうと思われているなら、それはそれで構わないがな」


「なぁ、盗賊団なんて、大将とアタシで幾ら潰したか分からないってのにな」


「ちょっとちょっと、ここに非戦闘員が居ることをお忘れでないかい」


「自分の身は自分で守れよリヒャルト。一応、お前も、公国の軍人だろうが」


「大将のいうとおりだぜ。それくらいできなきゃ、リヒャルト。男だろう?」


 そんなことを言われるくらいなら、いっそ女に産まれたかったよ、と情けない口調でリヒャルトは言った。


 そう、戦争では一個旅団を相手にして立ち回る、我等、公国魔法部隊である。

 盗賊ごとに遅れを取るはずがない。

 その辺りは、心配はしていなかった。


 心配なのはそうではなかった時。

 思いもせぬ罠が待っていた時だ。


「おっ、視界が開けてきたぜ」


「いよいよ頂上、鷲の巣に到着か。はてさて、鬼が出るか蛇が出るかだな」


 前方に延々と続いていた樹木が途切れ、その隙間から薄い青空が覗ける。

 駆け出したユッテに続いて森を抜けると、そこには、すっかりと木々が切り開かれた空間が広がっていた。


 何棟か木製の小屋が立っていのが見える。


 簡易住宅か。

 いや、これはつい最近、立てたような建造物ではない。

 屋根に使われている木が、黒くかびているし、壁には蔦が纏わりついている。


 随分と長い年月を風雨に晒されていないとこんな色や風体にはならないはずだ。

 しかし、そんな生活感のある建物にしては、妙に人の気配が感じられない。


「集落、だよな」


「みたいだな。自分達だけで立てた割には立派な家じゃないか。アタシが昔住んでたところと比べれば随分マシだぜ、これ」


 おい、誰か居ないのか、と、声を上げてみる。

 しかし、その声に反応する人影は、俺の視界には見当たらない。


 もう一度、おおい、と、少し大きな声で叫んでみる。


「駄目だな、人が居ないみたいだ」


「けど、生活観はあるぜ。つい最近まで、誰か住んでいたみたいだ」


 それなのだ。

 それこそ、ひょっこりと建物の陰から人が出てきてもおかしくない、そんな風景なのに、息遣いの一つも聞こえてこないのが不思議でならない。


 息を殺して隠れている感じでもない。

 本当に気配がない。


 もし、この場で、俺の目を誤魔化して、気配を殺して隠れているのだとしたら、ここは暗殺か諜報を生業とする一族の集落だろう。


 まさか、間違って盗賊に入られた村にでも迷い出ただろうか。

 それならそれでもう少し荒らされていてもいい筈だ。


「ほう、旅のお方かな」


 思い悩んでいたところに、不意に声がした。


 気配は確かにある。

 振り返れば、いったいどこから現れたのか、不思議な文様が入った服を着ている老婆が、俺とリヒャルトの間に割って立っていた。


 褐色の肌に頬に入れられた刺青。

 間違いなく、それはヨハンナの体に刻まれていた模様と同じ。


 続いて、彼女が手にしている杖だ。

 その取っ手の先には、昨日教会で見た、鷲の巣に住むドルイドが使う、金印が刻まれている。


「婆さん、あんたが、ここの地に住むドルイド僧かい?」


 婆さんは少し驚いた感じに目を剝くと、黙って頷いた。


「珍しいね、ワシに会いにこの里まで人が来るなんて、何年ぶりのことだろうか。そうかいそうかい。それはまぁ、よく来てくれた」


 その口ぶりに敵意は感じられない。

 尋ねるまでもなく、このドルイド僧が、盗賊を近隣の村にけしかけるような、輩ではないことは分かった。

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