第7話 馬の蹄亭(1)

 教会から宿屋に戻る頃には、山はすっかりと茜色に染まっていた。

 街に到着したのが昼過ぎだったから仕方の無いことだ。


「噂のドルイド僧に会いに行くのは明日に持越しって訳か。まぁ、仕方ないわな」


「君はそれほどでもないかも知れないが、皆、長旅で疲れているんだ」


「んだよ。鍛え方が足りないんじゃないのか」


「まぁまぁ、今日くらいは宿屋で旅の疲れを癒して、それから頑張っても罰は当たらないよ」


「はぁ、やっとまともなお風呂に入れますわ。ここ数日というもの、沐浴もろくにできなくて困っておりましたの」


「ヒルデに同意だね。僕も久しぶりに骨を休めたいよ。せっかくいい景色なんだ、露天風呂なんかだといいんだけれども。それは流石に高望みかな」


「なんだよ皆、風呂くらい、別に入らなくたって死にやしないだろう」


「ユッテ、お前、女としてその発言は流石にどうなんだよ」


 再び馬車の中。

 俺達は教会へと至る道を緩やかに降って、その中腹にあるという宿屋街へと向かっていた。


 馬車を引くのはエゴン。

 今度は主人の命を受けての事だった。


「それより食事だよ食事」


 目を輝かせたのはユッテだ。

 こいつの食い意地についてはどうしようもない。

 公務中だというのに、のんきな奴である。


「何が出てくるのかな。山羊かな、猪かな、楽しみだなぁ」


「すみません、皆さん、ウチの宿屋はその、古いだけが自慢でして。風呂も、料理も、あまり期待に沿えるものは出せないと思います」


「謝らなくていいんだよエゴン。別に、私達は観光しに来たんじゃないんだから」


「マルクの言うとおりだ、お前ら、色々と弛んでるんじゃねえのか。こんな状況だが、ここは敵地のど真ん中だってこと分かってんのか」


 分かっているって、と、間の抜けた返事が戻ってきた。

 その台詞に輪をかけて、マルクの笑い声が緊張感を希薄にさせる。


 本当にこいつら大丈夫なのかと、俺は頭を押さえた。


 向かっているのはエゴンの兄夫婦が経営している宿屋。

 先ほどマルクが言ったように、今日のところは一先ず旅の疲れを癒すことにした俺達。街の様子を調べることも、ディーター卿を問い詰めることもせず、エゴンの案内に従って、宿へと移動している最中である。


 先ほど、教会へと上っていく途中で見えた、路地裏の不審な陰は、もうすっかりと無くなっている。どうやら、あの後で、すぐにディーター卿が手を回したのだろう。


 はたしてディーターがどういう手を次に打ってくるかは分からない。

 だが、一つ、件のドルイド僧についてはっきりとしたことさえ分かれば、きっとこの話はすぐに決着するだろう。


「本当に居るのかね、ドルイド僧なんて」


「居るには居るらしいです。僕も、昔、父や母から、鷲の巣にはドルイド僧が住んでいると聞かされて育ちましたから。けれど」


「けれど、なんだよ」


「そんな山賊と組んで悪さをするような、ドルイド僧という話ではなかったんですよね」


「ほう」


「もともと、土着の人々だそうで。昔、オランの街が飢饉になった時には、食べ物を分けてくれたりと、助けてくれたこともあるんだとか」


「なんですのそれ。やはり、司教が語っているのかもしれませんわね」


「そも、この辺りで作物が取れるのも、元は、そのドルイド僧達が、山間での作物の育て方について知っていて、それを入植した我々の祖先が教えて貰ったからだと。そう聞いているんですが」


 だとすれば、帝国が危惧している、反政府的な山と森の民ではないということだ。


 先ほどマルクは、ドルイド僧は見つけ次第捕まえるよう命令が出ている、とは言ったが、こういう土着の――本来のドルイド僧に関しては、暗黙の了解で目を瞑るのが常である。


「やっぱり、話を作ってやがったのかね、ディーターの野郎」


「そうだろうね。そも、そんなに困ったドルイド僧が居るなら、今になって、どうしてこんな問題になるのか疑問だよ」


「確かに」


「鷲の巣に住んでいるドルイド僧は、この件には関係ないと考ええるのが妥当なんじゃないかな」


 そう思っていて俺を遣わすと言ったのはどうしてなのか。


 抗議の意をこめてマルクに無言の圧力を返せば、あははと、また力の無い笑い声を彼は運転席から壁越しに返してきた。


 まったく、何でもかんでも笑って誤魔化してくれやがって。

 まぁ、あくまでこの話は推論の推論でしかない。

 どの道、真実は調べなくてはいけないのだ。


「あの、ルドルフさん、もしよろしければ、私が道の方を案内しましょうか」


「あぁ大丈夫だ。これで結構、この辺りの土地勘はあるつもりなんだよ」


「そうなんですか? 軍務に着かれているのに、よくそんなことをご存知ですね」


 昔取った杵柄という奴だ。

 気にするな、と、俺は言った。


 道なんてそうそう簡単に変わるものでもない。大きな自然災害で地形が変わったならいざ知らず、最も人が歩きやすい場所を経験的に求めたものが道である。変えようと思って変えれるようなものでもないのだ。


 ここに来るまでの道だってそうだ。

 以前に道を歩いた時より、俺が記憶していた光景と、そう変わっている箇所は無いように思えた。


「しかし、リヒャルトの奴は大丈夫かね、アイツ、一人なのをいいことに、もう呑んでいるんじゃないだろうか」


「一応、山の上で飲むと酔いが回りやすいから簡単に中毒になるよ、って、釘を刺しておいたんだけどね。きっと、部屋でおとなしくしていると思うよ」


「それくらいで大人しくしている玉かね。それでなくても、アイツの酒癖の悪さは筋金入りだからな。一人で飲ませると、確実に潰れて、明日使い物にならん」


 ついでに言えば、明日はロバに乗ってもらわなくちゃならない。

 馬と比べれば素人にも乗りやすい動物だ。

 だが、二日酔いで乗れるような相手でもない。


 その上、気分を悪くして吐かれでもしたら。

 借り物のロバにかけられでもしたら。


 いかんいかん、考えているこっちが気持ち悪くなってくる。


 ひとまず、リヒャルトの奴が大人しく宿屋で待っていると信じて俺はこの話を切り上げた。


「そう言えば、部屋は幾つ取ってあるんだい」


「皆さんの人数分用意させていただきました。あと、こういう事態ですので、お代については結構です。これは、兄や義姉とも相談済みのことです」


 おぉ、と、ヒルデを除いて全員が感嘆の声を漏らした。


 公僕は何処の国でも安月給。

 その日食う分には困らないが、その月暮らすのには苦労しているものが多い。


 これは聖者と敬われているマルクも同じ。

 俺も同じ。


 今回の長旅は帝国側から予算が付いての出張にはなるが、それでも、帝都より我々の公国の方が近いからと、旅費はケチられている。


 宿代も支給されてはいるが、ここに到着するまでの路銀で、ほぼ使い切っていた。


 願ってもない申し出に隊員たちが沸き立つのもしかたない。


「いいのかい。僕達としては、こんな伝手もない山奥で、泊まれるだけで御の字なんんだけれども」


「もったいぶったこと言うなよマルク。善意でしてくれてることなんだから、素直にありがとうって言っておけばいいんだよ。お前、今月厳しいって、散々ぼやいてたじゃねえか」


 壁の向こうの隊長殿が、なんだか雲行きを怪しくしそうだったので、俺は釘を刺した。


 タダより怖いものは無いが、安いものも無いのだ。

 貰えるものは貰っておく。

 これが世の上手い渡り方って奴だ。


「よかった。これで留守番の皆にお土産を買っていけるね」


「宿代が浮いただけ飯が食える!! 飯が食える!!」


 これが噂に聞こえたアイゼンランド公国の魔法部隊か、と、眉をひそめられる騒ぎぶりだ。ここにリヒャルトの奴が居たら、また一つ、酒が呑める呑めると五月蝿かったことだろう。


「まったく、宿代ぐらいでなんですの。品が無いですわ」


 そんな中で、唯一、俺達と違って市民階級出身ではないヒルデだけが、不機嫌そうに鼻を背けていた。


 公国の有力貴族のお嬢様には、今回の旅の出費の痛さは分かるまいて。


「ここまでしてもらったら、流石に、観光してはい終わり、という訳にはいかないね。きっちりと、事件を解決して公国に戻らないと」


「えっ、そんな、観光って」


「冗談だよ、心配するなエゴン。このすっとぼけた隊長殿は、これでなかなかそこいらの馬の骨よりは使い物になるから。まぁ杖程度にだがな」


 酷い言いようだな、と、マルクが壁の向こうで嘆く。


 事実なのだから仕方が無いだろう、と、更にマルクを弄り返してやろうとしたとき、車輪のきしむ音と共に馬車が静かに止まった。

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