第6話 予想外の歓待(3)

 鷲の巣とはこの辺りの地名か何かだろう。生き物の姿や生態になぞらえて、地名をつけるなんてのはよくある話だ。当然、隣の国から遠路はるばるやって来た俺達が、そんなものを知るはずもない。


 マルクは首を横に振った。


 ディーター卿は立ち上がると部屋の窓にかかっていた真紅のカーテンを開けた。

 山の頂上付近に位置する建物である、そこには息を呑むような剣石山脈の絶景が広がった。


 その地名に相応しく、研ぎ澄まされた剣のように天に向かって聳え立つ峰が並ぶ山々。ただその中に、一つ、不釣合いに緑に染まって見える山が見えた。おそらく、木々にでも山肌が覆われているのであろう。

 そこを指差して、ディーター卿はまた憂鬱そうな溜息を吐いた。


「あの地を、ここオランに住む人々は、鷲の巣と呼んでいます。不思議なことにあそこは、この剣石街道でも、一年を通して雪が積もらず、ああして、植物が生い茂っているのです。まるで鷲の巣のように木々が茂っているものですから、誰が呼んだか、鷲の巣、と」


 なるほどね。

 別に鷲でなくても鳥ならなんでも巣を作るだろうに。どうしてわざわざ鷲なんかを選んだのかと気にもなるが、そんなことは些細なことだろう。

 この山脈にあって、唯一木々が生い茂る山。

 そんな場所が利権にならない訳が無い。


 上手く使えば様々な木々を育てられるのだ。

 普通に考えれば、あの場所の周辺に集落ができて栄えるのが目に見えている。


 しかしこうして離れた所に最も大きい都市ができていること。また、まるでこのことを他人事の様にディーターが語っているところを見る限り、どうもそこには、簡単にそうはできない理由のようなものがあるらしい。


 語らなくとも分かる。きっと、その魔女が原因なのだろう。

 いつしか戻ってきた女中が、手に持った盆を俺達の前にあるテーブルに置いた。赤茶色で塗られたお盆の上には、手のひら台の小さな小石が転がっている。


 しかし、その、小石には、光輝く模様が打ち込まれていた。

 魔女が物体に魔力をこめたことを表す目印、金印である。


 これは魔女が魔道具を扱うために定めた暗黙のルールであり、古今、どの宗派や系統を使う魔法使いでも、ごく自然にやって来た作法である。ただ、本来ならばこのような石ころに、金印を記すことは珍しい。

 いったい何の魔法をこめたのかと俺はそれを覗き込む。


「触っても良いか」


 俺はディーター卿に言った。

 彼は俺の言葉を無視したが、構わず俺はそれに指を触れた。


 途端、石は強烈に発光をし始める。まずい、呪いか何かの類の魔術か。

 その可能性を考えなかった訳ではない。

 不用意といえば不用意。ただ、そんな危ないものならば、ディーター卿が触れるのを止めるだろうとタカをくくっている所もあった。


 なんにせよ、このままにしておく訳にはいかない。俺はそれを掴み挙げると、先ほどディーター卿が開いた窓の外に向かって、石を投げ捨てようと振りかぶった。

 待ちなよ、と、マルクが俺の腕を引く。


「そんな危険なものじゃないよ」


「流石はマルク殿。よくぞお見抜きになられた」


 俺の手から石を奪い取るとそれをかざすマルク。

 彼の言うとおり、それは、どれだけ待っても爆発することもなければ、鈍く、輝いているばかりだった。


 なるほど、トーチ代わりの光る石ということか。紛らわしいものを作ってくれる。


「やけに慌てていましたわね、見ていて滑稽でしたわよ」


「いきなり石が光りだしたら、爆発するんじゃねえかって思うだろうがよ」


「なるほど中々便利な品じゃないですか。これなら夜道を歩くのも楽でしょうね」


 こんなものを持ってきていったい何が言いたいのかと思ったが、なるほど、マルクの言葉で合点が言った。

 こいつを使って盗賊たちが、夜道を移動しているということだろう。


 昼日中にいきなり山賊が出ることは少ない。

 村人が寝静まり、咄嗟に正常な判断ができなくなる頃合を狙って、奴等は奇襲を村へと仕掛ける。となれば、必然夜道を歩く必要があるのだが、山道に街路灯がある訳でも無し、月の光だけを頼りに道を進むのは難しい。


 たいまつを使えば良いのだが、あれは中々に扱いが難しい。

 ともすると落ち葉に火が移り、いらぬ騒ぎを起こしてしまう可能性がある。


 このような物があれば夜道を歩くのに便利には便利だろう。


「先日、山賊に襲われた村へ検分に行った時に、偶然見つけたものになります。こんなもの、日常使いには不要のもの。おそらく、山賊が村を襲うのに使ったのだと」


「ふむ、可能性としてはない話ではないな」


 何を納得しているのだろうか。

 完全にディーター卿の話のペースに呑まれている。


 こいつが山賊と結託していれば、幾らでも後から捏造できる証拠だ。

 それを真に受けてどうする。


「だからいったい何だって言うんだ。それがお前の無実と関係あるのかといえば、まったく関係のない話じゃないか」


「私はマルク殿と話しているのだ、口を挟むんじゃない」


「ルドルフ。君の指摘はもっともだ。ディーター卿。彼の言うとおり、この品を盗賊が使っているということが、貴方の無罪の証拠になるとは思えないのですが。それはもしかして、この刻まれている金印に由来する話ですかな」


 いかにもと、ディーター卿は首を縦に振った。

 金印に由来する話、となれば、それは魔法の流派に関わる話である。


 各流派は、自分達で使う金印について一定のルールを持っている。それは、同じ流派であることを符合するための目印でもあり、またその流派の中で祖より枝分かれした師弟関係などの体系を現している。


 改めて石に刻まれた金印を見てみれば、そこには三叉の槍を表すシンボルに、上弦の月が掘られていた。

 上弦の月は分からないが、三叉の槍は山と森の民を表す記号である。


 ドルイド僧だ。

 この金印を好んで使うのは他でもない、森に住まう魔法使いドルイド僧に他ならない。帝国に従わず、文明社会を捨て、俗世を捨てて、森へと篭った賢者達である。


 その性質から、思想犯や政治犯といった帝国の敵であることも多く、ドルイドに対しては、見つけ次第逮捕しても構わぬという、悪法までも存在する。実際の所は、民族的なドルイド僧と、そのように政治的な理由からドルイドになるものが居るのだが、それらを区別することもなく、ドルイドは悪と決め付けられている。


「鷲の巣の魔女は、古くよりここに住むドルイド僧と聞き及んでおります。金印について裏がある訳ではありませんが、私よりドルイド僧の方が怪しいと見るべきでは」


「いいがかりだ、ドルイド僧に罪をなすりつけようって魂胆だろう」


 見ました、と、誰かが言った。


 それは今の今まで、無言を貫き通してきた女中が発した言葉だった。

 彼女は手に持っているお盆を震わせて、そして、恐ろしい何かに怯えるように表情を翳らせて、俺達に言った。


「村が襲われたその日。暗闇の中に輝く金色の瞳をした魔法使いを見ました。そいつは、獣の皮で出来たローブを着ていて。灰色をしたしわくちゃな髪の老婆でした」


 魔法使いの夜目の魔法だ。ドルイドの容姿についてはなんとも言えないが、それらしい格好であることには違いない。


 しかし、ディーター卿に有利になる話をするとは――この娘、エゴンの話の娘ではないのか。

 いや、エゴンの話も確かな訳ではないが、どうも、妙な間で話を入れてくる。


「すみませんな、混乱させてしまって。彼女は、襲われた村の生き残りでしてね。家族を山賊に殺され、いく当てもなかったので、私がこうして預かっているのですよ」


 つまり、ドルイド僧がこの一軒の犯人であるという件の、証言者か。


 はたして彼女が本当にドルイド僧を見たのか、それとも、ディーターに何か弱みを握られて証言を強要されているのかは定かではない。

 だが、彼の証言を裏付ける人物が他に居るのであれば、この件を、捜査する上で頭の隅には置いておかなければならなくなる。


 なまじ今回の件には、魔法使いの関与が強く疑われている。

 ドルイド僧が山賊に力を貸しているのだとしたら、多くの点で都合がいいのだ。


 この女中をどれだけ信用していいものか。ふと、俺は彼女に視線を向けた。

 すると、俺やマルクの視線を避けるように、彼女は顔を床へと向ける。


 帝国の人物にしては珍しい、日に焼けた小麦色の肌をした少女。その快活そうな容姿とは裏腹に、どうも暗い性格をしているらしい。

 この様子では、真偽を決するに値する情報を得られることはないだろう。


 どうする、と、俺はマルクに視線を向ける。こちらの視線に気がついた彼は、仕方ないだろうとばかりに、首を振って返してみせた。


「分かりました。その話は充分に可能性がある。ドルイド僧は帝国の敵です、もしこの件に絡んでいるのであれば、見つけ次第捕縛しろとの命令を受けてもいます」


「おぉ、それでは」


 再びマルクが俺の方を見る。

 片目を瞑って、その反対側の頬を吊り上げて笑う。それは彼が、部下に対して何か厄介な頼みごとをするときに見せる、特徴的な苦笑いだった。


「ルドルフ。悪いがその鷲の巣の魔法使いに会いに行ってくれないか。場合によっては戦闘も許可する。同行者として、リヒャルト、ユッテも付けよう」


 できるか、と、間があった。隊長がやれといったらやるのが軍隊だ。そんな間は、本来あってはいけないものだが、俺はその間に応えることにした。


「仕方ねえな。リヒャルト連れて行くってんなら、一日仕事になるが構わないか」


「リヒャルトにはロバを付けよう。それでどうだ」


「命を落とさなければ半日かな。なに、あの辺りは、俺も何度か関所破りで使ったことがあるから土地勘はある。見た目以上には楽な所だ」


 だそうです、と、マルクはディーター卿に言った。


 俺の方を睨みつけて、ふんと鼻を鳴らすディーター卿。

 随分とまぁ、嫌われたものである。


「分かりました。こやつ一人では、私に不利な発言をするかもしれませんが、他にお仲間が一緒ということであれば」


 心配しなくても、お前が不利になるようにしかこれからならんから安心しろ。

 マルクに対して頭を深々と下げるディーター卿に、俺は心の中で毒づいた。

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