第5話 予想外の歓待(2)
正面の窓から外を覗いてみれば、荘厳な石造りの教会とその前に聳え立ついかめしい門が見える。教会正面にしつらえられた大きなステンドグラスには、教会内で二番手の宗派が使うモチーフ『天を見上げる山羊』が描かれていた。
どうやら目的地に着いたようだ。
俺は席を立つと、馬車の横っ腹に着いている戸を開けて外へと出る。
門の前で立ち尽くしているマルクの姿が見えたので近づくと、彼は、その視線の先の山羊と同じく、顔を天へと向けていた。
「そうか、ディーターは山羊派だったか」
「たしか今の教皇は海猫派だろう」
「だったかね。覚えちゃいないや」
「おいおい聖者さま」
「ははっ、まぁ、いいじゃないか」
「ったく。しかし、ディーターが汚職を追及されて、こんな所に追いやられたのは、山羊派の勢力を削ぐためだった話も聞くな。まぁ、教会だろうと、議会だろうと、どこも派閥争いってのはなりふり構わないものだからな」
「流石に語るね」
「常識だろうよ。お前が世間様を知らなさ過ぎるんだよ」
まぁ、かくいう俺も朱に交わればなんとやらで、ここの所はろくすっぽに、そういう情報を自ら集めることはしなくなったが。
しかし、ディーター卿もこんなところに飛ばされてまで忠義なものである。
裏を返せば、また中枢へと返り咲こうとする彼の野心とも取れる。
そうそう簡単に戻れるとは思えないが。
司教の思惑を勘ぐりながら俺とマルクが教会を眺めていると、ちょうどのそのステンドグラスの下にある赤塗りの門が開いた。中から出てきたのは礼装姿の男。
ぼってりと下膨れした顔に、目を隠すように垂れ下がった瞼。
肉付きの良い体を揺らしてこっちにやって来る。
「おぉ、おぉ、お待ちしておりましたぞマルク殿。ようこそお越しくださいました」
「ディーター司教です」
エゴンが俺達に言ったが、それは言われずとも誰が見ても分かった。
噂から想像していたのはもっと悪辣とした顔をした爺だったのだが――まぁ、悪人なんてこんなものか。
「わざわざ遠い所からすまない。いや、件の山賊騒ぎで私も何かと忙しくてね、お迎えするのをすっかり忘れていた。エゴンや、お前が迎えに言ってくれたのかい」
「はい、勝手ながら」
「よいよい。よくやってくれた。ささっ、マルク殿、どうぞ中へ」
すんなりと教会の中へと導くディーター。
訪れるはずの無い者の突然の来訪に対して、こうも毅然と対応できるとは大したものだ。本当に敵意がないのだろうかとこっちが疑いたくなる。といっても、こちらは先ほどその笑顔に隠された敵意を、実際に見たばかりである。
はたして教会の中には何が待っているのか。
そんなことを勘ぐりながら俺達はディーターに続いた。
教会は入ってすぐのところが講堂となっており、幾つかの長椅子が正面に向かってずらりと並べてあった。その長椅子を越えた所に、聖遺物が納まった祭壇と司教が説教に使うのだろう登壇がある。
いかにも山奥の教会にふさわしい古ぼけた祭壇は、後ろの刷りガラスになった窓から降り注ぐ光で、鈍く輝いている。
そんな講堂の中を突っ切って、司教に招かれるまま俺達は祭壇を左手に曲がると、その突き当たりにある戸を開く。
講堂の奥は、司教の居住区になっているらしい。
戸の向こうには思いのほか大きい通路が続いていた。
「いやはや、山賊達には困ったものです。あいつらが現れてからというもの、このオランの街はすっかりと寂れてしまいました」
何食わぬ顔でそう言って、ディーターは通路をまた歩き始める。
「ですね。街道もすっかりと往来がなく、なかなか寂しい旅路でした」
「見ましたかな、街のスラムを。村を追われた者たちが、一時的にそこで暮らして居るのですが、思いがけずこれが長くなってしまった。教会からも援助はしているのですが、やはり、山賊を退治して、彼らを村に返さないことには始まらない」
「なるほど。その山賊と貴方が結託しているのではないか、という疑いを帝国から持たれている事、それについてはご存知かな」
話が穏便に進みそうな所へ急に不穏当な話を放り込む。
マルクがそうしたのはただの能天気からではない。
彼なりの計算あってのことだ。
意表をついて教会へと現れたのが、こうも簡単にいなされてしまったのでは甲斐が無い。とはいえ、その笑顔の内はきっと穏やかではないはずだ。
そこを、あえて抉る為の一言である。
ここで本当に小心者ならば動きの一つも止めるだろう。
しかし、ディーターは流石に手ごわい相手のようで、はい、もちろん、と、何食わぬ顔で発すると、こちらですと通路の突き当たりにある戸を開けた。
司教の書斎だろう、すぐに大きな木製の机とかけ心地のよさそうな椅子が置かれているのが目に入った。床は赤い絨毯が敷き詰められていて、天井には豪奢にも絵画が貼り付けられている。
天井まで続いている本棚と、所々に置かれた調度品に目を奪われる。
その中に、これまた床の色に負けじと赤い色をしたソファーが、向かい合わせになって置かれていた。
四人がけ程度の広さがあるそこに、さぁどうぞ、と、ディーター卿は手を向ける。
すぐさまその招きに応えてマルクが座る。
ではと、ヒルデが副隊長を差し置いて、その隣に座る。
「ごめん、僕は、外で待っていることにするよ」
当の差し置かれた副隊長といえば、青い顔をして部屋の外に出て行った。
別に何があるというわけではない。いつものことである。
エルフは、こういう飾り付けの多い部屋では、どうも落ち着けない。
というよりも酔ってしまうらしい。
副隊長を追って世話焼きなユッテが部屋の外へと出た。
どいつもこいつも、仕事を何だと思っているのだろうか。
しかたなく、俺はマルクの後ろに回った。
いつの間にかエゴンはこの場から姿を消していた。
変わりに、エゴンが言っていた娘だろうか。
女中姿の女がディーター卿の後ろに侍っている。
浅黒い肌に、黒毛。
落ち着いた佇まいの彼女は、花の意匠が凝らされた茶器にゆったりとした所作でお茶を注いでいる。こなれた手つきに思わず見とれてしまいそうだ。
「先刻、もちろんと申したとおり、私が帝国側から疑われているのは知っています。しかし、それは大きな間違いです。帝国議会のはやとちりという奴ですよ」
「ほう、はやとちりですか」
「私は今回の山賊事件に関して被害者でこそあれ、これを助けるようなことはしていない。神に誓って言えることです。おかしいでしょう、どうして、聖職者たる私が、山賊の横行や街の衰退を喜ぶというのです」
「確かに、理屈の上ではそうでなりますね。しかし、それでも、裏があるのではと勘ぐられたから、私達がこうして送られてきているのです」
マルクの返しにディーター卿が頭を抱えた。
それは身の破滅を呪う仕草ではなく、どう言えば信じてくれるのだろうかという、苦悶を表すような仕草だった。この期に及んで随分と演技派な爺さんである。
次に彼は胸の前で印を結ぶと、その厚い瞼を押し上げて目を見せた。
白目の所が黄色く濁った瞳だ。
妙に凄みのあるその瞳は、並みの人生を送ってきた奴にできるものではない。
それなりの死線や逆境を潜り抜けてきた者の目だ。
唐突に向けられた老司教の威圧に、ヒルデは少し気圧されたようだった。しかし、マルクはまったく動じぬ様子で、その視線に相対した。
「マルク様。巷で聖者と呼ばれる貴方様を私は信じております」
「何をどう信じてもらっているのかは知らないけれど、光栄な話だ」
「私が神に誓うのはこれで三度目になります。一度目は、私がこの道に足を踏み入れた時。多くの師や同胞の前で、私は神の忠実な僕であることを誓いました。二度目は、私が、私の不明を突きつけられ、その過ちを懺悔した時のことです。その時、私は神に誓って、二度と道を踏み外さないと誓いを立てました」
ここに飛ばされる原因となった事件のことを言っているのだろう。
で、それが、どうした、という話だ。
その三度目がどれほどの意味があるというのだ。
生きていく為に三度神に誓っただけならば少ないほうだろうよ。
「私が神に誓いを立てるというのは、それけの重み、覚悟を伴ってのことなのです。信じてくだされ、マルク様」
「一度それを反故にしたことを忘れているように思うが」
思わず、俺は司教に向かって発言していた。
濁った瞳だけがこちらを睨みつけた。
なるほど、流石は中央で権力を握っていた男だけあって、なかなかに迫力のある眼力をみせつけてくれる。
「この男は。マルク様の部下ですかな。上司達のやり取りに許しも得ずに勝手に口を挟むとは、少々教育がなっていないように思いますが」
「悪かったね学が無くて。アンタほどではないけれども、どうにも俺の周りにはまともな聖職者って奴がいなくっららしくてね、こうして捻くれた性格に育ったのよ」
挑発してやろうかと思ったが、これをマルクが制した。
自分は散々ディーターをからかっておいて勝手な奴である。
ただ、表立っては部下と上司。
その関係に背く訳にも行かず、俺はすごすごと言葉の刃の矛先を口へと納めた。
「失礼した。彼は私の部下でルドルフという」
「お使いになられる部下は選ばれたほうが良い。貴方ほどの方であれば話も通るでしょう」
「そうですね。考えておくとしましょう」
微塵も考えていない素振りでマルクは言う。
制されて退いてみれば、余計なことをしたなと後悔が襲ってきた。
交渉ごとは俺の領分ではないのだ。
特にこの手の権力者との折衝に、俺が口を挟めることなどない。
無言で女中がマルクの前にお茶を差し入れた。
次いで、ヒルデの前にそれが置かれる。
湯気立つそれに手を向けて、どうぞ、と、ディーターは言う。
「毒なら盛るだけ無駄ですよ」
「恐れ多い。聖者様にそのようなものを差し出すなど命知らずというもの」
懸命な判断だ。もっともそんな安い罠に引っかかるマルクではないが。
ふと、女中が困った顔で固まっているのが見えた。
手にはマルクとヒルデに渡された茶器を持っている。俺が座っていないので、どうしたものかと思っているのだろう。
仕方なく俺は女中へと近づくと、無言でそれを彼女の手の内から奪った。
そうして女中が驚いている間に、一息で飲み干してみせると、すぐにそれを元あった場所へと戻す。唖然とした表情のままの彼女に背を向けて、再び、マルクの背中に戻ると、今更、胃の中から爽やかな香りが立ち上ってきた。
ハーブティーの様だ。
詳しくは知らないが、あまり得意な匂いではない。
「一息に飲み干すとは、男らしいね、ルドルフ」
「五月蝿い、それよりとっとと話を進めろ」
「言われなくてもそうするって。で、だ。結論から言おう、ディーター卿」
マルクはここであえて一呼吸置いた。
「君が神に誓おうが誓うまいが関係ない。僕達はただ、事実を調べ、それを報告するだけだ。下手な同情を誘われても困るし、懐柔が通じる相手でもないということを分かっておいて欲しい。それと、小細工も、ね」
「小細工などするはずがないでしょう。あぁ、自分の不明が嘆かわしい。私はなんと愚かなことをしたのでしょう。まさか、釈明の言葉も信じてもらえないとは」
「信じる信じないじゃないってことさ。貴方のどんな助言も無視して、僕達は、ただ、僕達が正しいと思う結論に従う。そういうことが言いたいだけだ」
「ならば私を調べる前に、調べていただきたいことがあります」
意図してディーター卿が話しの主導権を持っていこうとしている。
マルクも承知の上で、ディーター卿を泳がすつもりなのだろう。
あれを、と、女中に頼んだディーター卿を彼は何も咎めなかった。
ディーター卿に指示された女中が部屋を後にする。
その彼女を見送って、彼は溜息を吐いた。
「マルク殿は、鷲の巣に住む魔女の噂をご存知ですかな」
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