第4話 予想外の歓待(1)
エゴンはマルクに対してこの街が置かれている窮状を語った。
先の山賊による横暴により、近隣の村から住むところを失った者たちが、一斉にオランの街に避難してきていること。避難場所こそどうにか用意できたが、彼らにより人口規模が拡張されたオランは、現在、食糧価格のインフレが起こっていること。
そして、その貴重な食糧の供給が、山賊の発生によるキャラバンの旅程変更により、加速度的にインフレが進み、深刻な状態に発展していることを。
「今は備蓄や帝国への奉納分の食糧を切り崩して、なんとかオラン内で食糧を賄っていけています」
「なるほど」
「しかし、あと数ヶ月もすれば、このバランスは崩れるでしょう」
「元々、オランは交易都市だからね。食糧の自給率はそう高いほうじゃない」
「おっしゃる通りです」
「まぁ、この状況が続けば、早番、そういう事態になることは間違いないか」
「帝国からは食糧援助の話も来ています。けれど、援助されても客が来ないのであれば、肝心の物流が止まったままではどうしようもありません。それに援助はオランに元々居た住人だけしか行わないと言っています……」
援助を出し渋るとはいかにも帝国らしいやりかただ。
そんなんだから、地方公爵の自治領の方が治安がいいし、豊かになるという逆転現象が起こる。
こういう領主を持たない、純粋な市場の力だけで動いている衛生都市は、こういう時に不憫な目に合う。
帝国からの援助で足りない分については、アイゼンランドから食糧を融通するという手もあるだろうが、それも長らく行うわけにはいかない。我々の祖国も、他の国と比べれば幾らか豊かではあるが、それほど余裕があるわけではないのだ。
ではどうなるか。
当然、起こるのは食糧を求めた住民達同士の争いだ。
硬貨や紙幣による市場原理に則った緩やかな殺し合いで済めばいいが、大抵そうはならないだろう。おそらく、そう遠くないタイミングで暴動がおき、オランにある交易商の備蓄倉庫やらが荒らされることになるに違いない。
そうなってしまえばこの都市は、交易の市場としては、死んだも同然である。
「ふむ。やはり早急に山賊どもをなんとかしないことにはいけないみたいだね」
「だというのに、ディーター卿は山賊の捜索に消極的なんです」
「なぜ?」
「下手に刺激して、これ以上被害を出されては困る、などと言って、自警団による見回りや、山賊を退治しに来た帝国軍への捜査延長への要請などに反対しています」
「なるほど、それが、君が、君の主人に対して抱いている不審の念の原因なのかい」
エゴンは黙った。
つまり、それだけではない、という事なのだろう。
再び馬車が曲がり角へと差し掛かり大きく揺れた。
車輪の軋みが大きくなる中、俺は壁越しに聞こえてくる二人の会話に耳を澄ます。
「それだけでは半信半疑でした。けれど、私は見たんです。ディーター卿が夜中、不審な連中と屋敷で密会しているのを」
「不審な連中?」
「鎧や武器を持った連中です。それも、一人二人じゃない。数名の奴等と」
「それがつまり村落を襲った奴等だと、君は言いたいわけかい」
エゴンは無言のままだった。
そうだと、言い切るだけの根拠、あるいは自信が彼にはないのだろう。
夜中に人と会うこと事態はそう珍しいことではない。
逢引や取引き、おおっぴらに昼間に出来ないことなんて、考えうる限りでも指を折って足りないほどだ。
ましていきなりやって来た余所者。
そして、街の為とは思えない発言が目立つ相手、自分が色眼鏡で彼を見ていると不安になる気持ちは分かる。
だが、この場合は不審に思って当然だ。
どうして一介の司教である男が、そんな荒くれ者と夜中に密会するのか。
「それを見たことについて、君は、ディーター卿に何か言ったかい」
「いえ、何も。ディーター卿も、その荒くれたちも、気づいていない様子でした」
「それは賢明な判断だったね。僕達が来るまでよく待った」
先走って問い詰めていたなら、今頃、彼はここの人口湖に沈められていただろう。
この少年、宿屋の倅にしては意外と知恵が回るようだ。
「そして昨日また、その荒くれ者たちが教会に現れたんです。彼らに、ディーター卿が、貴方達がここに来るのを妨害するように言ったのを聞いて、私は確信しました。ディーター卿は、今回の事件に何かしら関与していると」
これでようやく話の筋が見えた。
俺達をみすみす助けたのは他でもない、彼が彼の主人に対して抱いた疑惑を、俺達に検めさせるためだ。
ディーター卿は、俺達が自分の雇った用心棒に追い返されると信じている。そこに俺達が突然に現れれば、ボロの一つも出すだろう、と言ったところか。
悪くない作戦だとウドが言った。
頼れる我等が隊の頭脳が言うなら間違いないだろう。
「それともう一つ。もう一つ、気になることはあるんです」
マルクがなんだいと尋ねる。
数拍、エゴンは言い淀んだが、小さな声で答えた。
「初めてその荒くれ者が教会を訪れた日に、一人、女性を連れてきたんです」
おおかた襲った村から連れてきたのだろう。
器量よしと見て売り払う目的で攫ったのか、それとも司教に請われて適当に見繕ったのか、その辺りは分からん。
だが証人が居るのならば都合がいい。
もちろん、無事に生きていればの話だが。
「その女性は? 今、どうしているんだい?」
マルクがすかさず尋ねた。
「今は彼女はディーター卿の女中をしています」
妙な話だ。
座敷牢に入れておくでもなく、自分の身辺に攫ってきた娘を置くとは、随分と肝の据わった司教ではないか。その女について、余程の弱みでも握っているのか。
なんにせよ、小心者や小悪党の多い聖職者崩れにしては変わったことをする。
「その女性に何か話は聞いてみたのかい」
「はい。ただ、そういう状況ですので、核心に迫る質問も出来ず」
仕方の無いことだろう。
「まったく意外と意気地の無い少年ですのね。そんなことで気後れするだなんて」
「どこぞの猪突猛進女よりは賢い選択だと俺は思うがね」
「誰のことを言っていますの?」
「黙って聞いてろ、馬鹿」
またヒルデが肘を俺の脇に打ち込んできた。
大人しくしていることができないのか、この馬鹿女はまったく。いっそ、一発、後頭部にいいのを打ち込んで黙らせてやったほうがいいのかもしれない。
そんなやり取りのさなか、けれど、と、エゴンは否定の言葉を発した。
「彼女はきっと、被害者なんだと、そう思うんです。根拠はないんですが」
壁越しで表情は分からないがこの様子だ。
きっとエゴンはその女を慕っているのだろう。
関係ないと言いながら、彼女のことを俺達に告げたのは、前もって彼女の情報を与えておくことでいらぬ混乱を起こさないためだ。
「ふむ。まぁ、きっとだけれども、何か弱みを握られているのだろうね」
「はい、きっと、おそらく」
「それなら彼女の身の方が心配だね。何かディーターに酷いことされていたりはしないのかい」
「それは大丈夫です。僕が把握している範囲での話にはなりますが」
珍しく気の利いたマルクの質問にすんなりと答えるエゴン。
この恋の病は重症である。田舎者は反応がすれていなくて助かるよ、本当。
「盗賊と結託して村を襲うばかりか、女性まで攫ってくこさせるだなんて。聖職者の隅にも置けぬ下劣な輩でしてね。許せませんわ」
「おう、珍しく意見があったな。俺も同感だよ。その話が全て事実で、推論がその通りなら、地獄の鉛湯ももったいねえくらいの小悪党だ」
「けれども妙だな。こんな一見して、なんの利益も生み出さないようなことをして、いったいディーター卿は何をしたいんだろう」
ウドの意見は確かに的を得ていた。
エゴンの証言から、ディーターがこの件に関わっている疑惑は濃くなってきた。しかし、肝心の彼が何をしたいのかが、さっぱりと分からない。
自分が飛ばされた都市の経済力を疲弊させて何になるというのだろう。
とかく、商人や貴族からの寄付で成り立っている教会だ。自分の属している都市が豊かになるのを望むのならともかく、過疎化するよう仕向ける意図が分からない。
きっと、お腹が空いていたのさ。
ユッテの奴が能天気にそんなことを言った。
しばらくして馬車が緩やかに止まった。
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