第3話 トカゲの襲撃者(2)
交易都市といっても、そこは人が暮らす都市。
隅から隅まで商店がひしめいている訳でもなければ、普通に居住区は存在する。
俺達が入り込んだ路地裏は、まさしくその居住区だった。
小さく区割りされた家の合間を縫って、路地裏はどこまでも続く。
そんな中を、微かに聞こえてくる足音と、荒々しい息遣いを元に、俺は狙撃犯の後を追う。
右に曲がり、左に曲がり、階段を駆け上がって、塀の上を越える。
そうして駆けに駆け続けて、いよいよ狙撃犯の背中を俺は視界に捕らえた。
「見つけたぜ。さぁ、鬼ごっこはここまでとしようや」
煤けた緑色のローブで顔を隠した狙撃犯。
暗いその顔の中から赤い目だけを光らせて、彼はこちらを振り向いた。
次に、いつのまに引いたのか、ローブの下に持っていた弓矢の先が俺を捉えた。
させるかと、すかさず俺は手投げナイフを引っこ抜いて投げつける。
それは弩弓の弦を切り、直ちに狙撃犯の攻撃手段を無効化した。
そして、ローブで隠された彼の顔へと、ナイフは吸い込まれていく。
ギィ。と、聞きなれない叫び声があたりに響いた。
その叫び声とほぼ同時に、前を走っていた狙撃犯が、その場に転倒した。
路傍に置かれていた樽や壷を割って、盛大に転がっていく狙撃犯。
「まずいな、生かして捕まえろってマルクの奴から言われているのに」
動かなくなった狙撃犯の姿に、俺は自分の仕事のしくじりを予感した。
至近距離まで近づいて、転がっている狙撃犯の様子を伺う。
華奢な体つきから、少年兵か何かだろう。報奨金欲しさに暗殺者になるなんてのはこの世にあってそう珍しくない話だ。
ただ、使うのに相当な訓練を要する弓を使えるのが、少し納得がいかないが。
「自己防衛の咄嗟の反応とはいえ、これは流石に飯が不味くなるわ。おい、今からでも遅くない、生きているなら返事をしろや。大丈夫、餓鬼を取って食うほど俺も落ちぶれちゃいない」
一縷の望みを持って俺は少年兵の体を突いた。
硬い。想像以上に。
そう思考した次の瞬間には、俺の頬を、少年兵が持っているナイフが掠めていた。
ローブがはだけてその顔が露になる。
亜麻色をした長い髪。
その髪の色と対照的な、真緑色で六角の文様が浮かぶ肌。
そして、人間にしては白すぎる唇。
「こいつは驚いた、トカゲ病の刺客とはな」
ギィ、と、こちらを威嚇して鳴く狙撃兵。
壊れた弓の変わりに刃先に溝が掘られたダガーナイフを取り出した彼は、息を荒げてこちらを睨みつけてくる。
トカゲ病。
とある人間に必要な栄養素の欠如が原因で起こる皮膚病だ。
初期状態であれあば栄養の補給で回復するが、そのまま対処せずにほうっておくと、外観がが次第にトカゲのように変化していくというものだ。
容姿の変化以外に際立った症例はないのだが、貴族や何も知らない都市部の市民の間では、気味の悪さから忌避されている病気である。
また、発症の原因が満足な食事ができないということから、スラム出身者にこの症状が現れることが多い。
スラム出身者の知能が軒並み低いこと、発症による容貌の変化が激しいことで精神の平衡を崩してしまう者が多く、充分な意思疎通ができる固体が、絶対的に少ない。そのため、帝国以外の国ではクリーチャーとして扱っている所も多く、彼らに対する社会全体の風当たりは厳しいもののなっている。
よく見ると、このトカゲ病の狙撃犯、胸元が微かにだが膨らんでいる。
顔立ちも整っているところを見るに、こうしてトカゲ病にさえかかっていなければ、相当な器量良しだろう。
「女のトカゲ病とは可愛そうに。安心しろ、さっきも言ったように取って食ったりしねえよ。だから、その危なっかしいナイフをこっちによこしな。なっ?」
「ギィィイッ!!」
俺の申し出に対する返事は、ナイフによる横薙ぎの一撃だった。
言葉が分からないのか、それとも精神の平衡を失っているのか、どうやら話し合うという選択肢は、この娘には無いらしい。
だったら、徹底的にやりあうしかないか。
「ルドルフ。お退きなさい!!」
背後にヒルデの声と気配を感じた俺は、すぐさま横に跳んだ。
大きく振りかぶった戦斧が、遠心力によって上方から凄まじい速さでもって振り下ろされる。
それはトカゲ娘の眼前の床を穿った。
馬鹿野郎、何をしているんだ、と、叫んだ俺の声が、爆音と、砕け弾けて跳ぶ石畳に掻き消される。さながら落石を髣髴とさせるヒルデの一撃は、文字通りオランの街を震えさせた。
立ち上る土煙。
落ちてくる砂塵。
その中、ヒルデは地にめり込んだ長柄の戦斧を引き抜いた。
「はて、どこに逃げましたの。卑怯ですわよ、隠れてないで、でてきましたら!!」
「でてきましたらじゃねえよ、この馬鹿力女が。マルクの命令をちゃんと聞いてたのか、出来る限り生きて捕らえて来いって、そういう話だったろう」
「まったくルドルフ、貴方ときたら、その眼は節穴でして、私、あえて狙撃犯の手前に戦斧を振り下ろしましてよ」
「その結果がこの大爆発じゃねえかよ。だぁもう、これだからお前は」
流石は筋力強化の魔法しか使えない単細胞馬鹿である。
戦闘でこそ頼りになるが、この手の捕り物には荷が勝ちすぎたか。
信用して連れてきた俺が馬鹿だったよ。
土煙の中に俺とヒルデは狙撃犯の少女の姿を探す。
徐々に辺りを舞っていた塵が落ち着き、日の光が差し込んできた中、ふと穿たれた地面の上に人影があることに気がついた。視線を上に向ければ、二階建ての白塗りの家屋の上に佇んでいる、先ほどの少女の姿が見えた。
「そこにいましたのね。覚悟はよろしくて」
「待てアホ女、そんなところから攻撃が届くか」
「届きましてよ。私、これでけっこう投げ槍は得意ですの」
「それで外したら武器無しだぞボケ。どの道、あれはもう戦闘する気なんてないし、逃げる気満々だ」
ついでに言えば、この壁を一息に登りきるような業は俺達は持ち合わせていない。
一階建ての家屋や、塀程度ならば登れるが、この高さは無理だ。なんとか屋根まで登ったところで、彼女の姿は屋根の上には無いだろう。
俺達を見下ろしている赤目の女。忌々しそうにこちらを睨みつけ、その歯を食いしばっている。暗殺失敗の上に顔を見られたのだ、大失態もいい所だろう。
この間合いなら、ぎりぎりナイフが届く。
ただ、射線上に家が入ることから、狙えるのは彼女の上半身だ。
動きを止めるには、致命傷になるだろう。
なるべく殺さずに、というマルクの命令を思い出す。
流石に巷で噂の聖者殿の言葉は重い。
「なぁ、アンタ、悪いことは言わねえ、俺達に寝返ったらどうだ。暗殺は失敗したんだ、おめおめ逃げ帰っても、手落ちを叱責されるだけだろう」
赤い瞳が鋭く光った。鱗に覆われた緑色の頬が釣り上がる。
「ガ、ガァッ、ガェ、ガァエレェッ!!」
カエレ。
かえれ。
帰れ、と言いたかったのだろう。
言葉を知らぬのか、それとも正気を失っているのかと思っていたが。
喋れたのかこの娘。
それだけ言い残すとすかさず彼女は俺達の前から姿を消す。
しつこく追おうとしたヒルデを呼び止めて、俺は手にしていた投げナイフを、軍服の中へとしまい直した。
逃げろなんて言われてしまっては、とても投げナイフなど投げられない。
あの娘、いったいどういうつもりなのだ。
「くっ、みすみす逃がしてしまいましたわ。せっかくディーター卿の悪事の証拠を掴んだと思いましたのに」
「あんなの一人捕まえたところでどうにもならんよ。こいつが証人だと連れて行ったところで、知らぬ存ぜぬと、いいようにはぐらかされるだけさ」
ディーターの悪事について情報を得るには使えただろうが。
まったく、どこぞの誰かが考えなしに突っ走るからこんなことになる。
戦斧の先を地面に向けて、戦闘態勢を解いたヒルデの肩を俺は叩いた。とりあえず、マルク達の所へと戻ろう。
「まったく、誰かさんが非力なせいで取り逃がしてしまいましたわ」
「おい、待て、俺のおかげで追い詰められてたんだろうがよ。逃がしたのは、どこぞのアホが考えなしに攻撃したりするからだろう」
「考えくらいありましたわよ。粉塵の中に隠れて狙撃犯に近づいて、こう」
「その割には斧を持ったまま、ぴくりともしなかったじゃねえか」
強く地面に打ち込みすぎなのだ。
自分も見えなくなるほど土煙を巻き上げてどうする。アホめ。
図星を突かれた為か言葉を返せなくなったヒルデ。
そんな彼女を背中に、俺は元来た道を戻り始めた。
「屈辱。屈辱ですわ。私ともあろうものが、あんな小娘に遅れを取るなんて」
「そう思うなら次はもう少し考えて行動してくれな。まぁ、お前の馬鹿力と馬鹿正直と馬鹿な行動が裏目に出るときもあるが」
「馬鹿馬鹿と五月蝿いですわ、ルドルフの癖に!!」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。一度よく、足りない頭で考えてみてみろ」
まぁ、つい先日まで公国の魔法仕官学校に通っていた娘だ。
頭、もとい、実戦経験が足りないのは、ある意味で仕方がないことだろう。
逆に、戦闘の呼吸さえつかめれば、彼女が使う強化の魔法は単純だが強力な物だ、きっとモノにはなる。こう生意気では、そうなるのは随分と先の話だろうが。
路地裏を抜けて馬車の前へと戻ると、マルクの奴が俺達を笑顔で出迎えた。
「どうだい、捕まえられたかい」
「その捕まえた相手を連れていないってのに、随分と意地悪なことを言うな」
あぁ、ごめん、気がつかなかったよ、と、謝るマルク。
こいつがそういうからには、本当に気がついていなかったのだろう。
簡単に取り逃がすまでの経緯を俺とヒルデはマルク達に説明する。
能天気なマルクと違い、ウドとユッテは何やってるんだと俺達を非難した。が、当のマルクは取り逃がしたことに関しては、あえて何も言わなかった。
なんにせよ、死人が出なくて良かった、とだけである。
自分の命を狙ってきた相手に対してここまで言い放てる、ウチの対象の堪忍袋の緩さには、いささか言葉を失うばかりだ。
「どうだい、これで信じる気になったか。ウチの大将が噂に違わぬお人よしだって」
立ち尽くしているエゴンに俺は言った。
彼がマルクや俺達を信じていないのは、その風聞、そして実力を疑問視しているからに違いない。
飛んでくる矢を掴んで防ぐなんていう神業を目にすれば、彼は自分の目の前に居る人物が、噂に違わない化物であることを嫌でも思い知っただろう。
俺の思惑通り、エゴンはすぐに俺達に頭を下げた。
「申し訳ございません、マルク様、それに魔法部隊の皆さん。私は、皆さんのことを疑っておりました」
「謝らなくていいよ。こういう扱いには慣れているから」
「誰かさんの威厳が今ひとつ足りないおかげでな」
「ルドルフ!! またそんなマルク様に生意気な口を!!」
馬鹿な盲信者に頬を張られるのは勘弁である。
俺は掴みかかってきたヒルデから身をかわすと、一足先に馬車の中へと上がった。
「お待ちなさいな。どこの部隊に自分の隊長を人に悪く言う兵が居りまして。毎度毎度、マルク様に対して貴方は口が過ぎます」
「別に悪くなんて言ってないぜ。俺なりに褒めてんだよ」
俺を追いかけて馬車へと乗り込んできたヒルデにそう言う。
上に戴いている人間だ、もちろん、俺も俺なりにマルクのことは尊敬している。
ただまぁ、さっきの言葉に限って言えば、半分はマルクの奴をからかって言ってはいたが。
いつもの調子でマルク教についての教義が始まったのを聞き流して、俺は馬車の外の音に、マルクとエゴンの会話に耳を傾けた。
「ちょっと聞いていますの、ルドルフ!!」
「聞いてる聞いてる、聞いているから、ちょっと黙ってろって、な?」
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