第2話 トカゲの襲撃者(1)
馬車の天井に荷物を括りつけると、俺達はその中に乗り込んだ。
「まったく、どうして私の隣がルドルフなんですの。ノミが移りますわ」
「居ねえよそんなもん。仕方ないだろ、体格的に俺とお前、ウドとユッテで座るのが、一番スペース取らないんだから」
「ふん。こんな事なら、リヒャルトと一緒に先に宿屋に向かうべきでしたわ」
「腐ってもお前も分隊長だろうが。ちゃんと仕事しろよ」
「その言葉、貴方にだけは言われたくありませんわね」
「どういう意味だ」
「昼行灯の能無し分隊長殿」
ぶちぶちと文句の多い女だ。
こんな女と肩を並べて馬車に乗るなんて、どうやら今日は厄日のようだ。
得意の後ろ脛蹴りに次いで、肘で俺の脇を何度も突いてくるヒルデ。
止めろよと俺が言うとなにがですのとそ知らぬ顔で返してくる。馬車が揺れて肘が当たっただけではありませんのとは、よくもまぁ言えたものだ。
おかえしにと俺はヒルデの足を踏んでやった。
きゃあと、いつになく女らしい悲鳴を上げる。
すぐに眉を吊り上げると、きっとヒルデはこちらを睨み返してきた。
「なんだやる気か」
「もちろんですわ、売られた喧嘩は倍値で買ってやれが、我が家の家訓でしてよ!!」
「ちょっと、馬車の中で喧嘩はやめなよ」
ウドが止めるのも聞かず、俺とヒルデは立ち上がるとメンチを切った。
馬車が大きく揺れた。オランの頂上にある教会まで、道は
強烈な横揺れに俺は体勢を崩して、馬車の壁側へともたれかかった。
と、そこに、見事に俺と同じく体勢を崩したヒルデが突っ込んでくる。
待てという制止の言葉も虚しく――ヒルデは俺に向かって倒れ掛かって来た。
咄嗟に身をかがめた俺の眼前に、彼女の、薄くて、固くて、なんのありがたみも無い胸が押し当てられる。
すぐに馬車の横揺れは収まり、すかさず俺はヒルデを押しのけた。
よく熟れた桃のように顔をピンク色にしたヒルデ。
これくらいしおらしい反応をいつもしてたら、こっちもまだ気が楽だというのに。
「なっ、なっ、何をするんですの、この変態!!」
「俺は何もしてねえだろうが!!」
「今、屈んで胸に顔の位置を合わせましたわ!!」
「んなこと言ったら、お前が勝手に突っ込んできたんだろう――この痴女!!」
「ち、痴女ですって!? 私のような淑女の胸に顔を埋めておいて、その言い草はなんなんですか!!」
「だから俺は別にしたくてした訳じゃないって言ってるだろうが」
前言撤回。
この女は、どうあっても面倒くさい奴らしい。
「二人とも、ちょっと静かにしててくれないかな」
背中にしていた馬車の壁からマルクの声がした。
この馬車の中に一番居なくてはいけない人物――聖者マルクは、何故だか馬車の操縦席に座っている。
隣には俺達を迎えに来たエゴン。
彼が手綱を握る横で、マルクは暢気に欠伸をしていた。
能天気大将はここに来ても健在である。
「変わった方ですね」
壁の向こうでエゴンは言った。
少しも動じずに、まるでなんでもないようにだ。
この年頃の少年にしては器用な話し方をする。
そんな少年に対してこちらのお人よし大将はといえば、あははと笑って返す。どこからこの余裕が、それともやさしさが、ついでに間抜けさが滲み出てくるのか。
「よく言われるね。ルドルフが言うように、別に普通だと思ってるいるんだけどね」
「いや、そういうとぼけた所は、ちょっと他の人には無い所だと思うがね」
思わず口を挟んでしまった。
すかさず、静かにしていてくれよ、と、その顔が目に浮かぶ情けない声がする。
分かった分かった、静かにするよと俺は溜息を吐いて壁に背を向けた。
怒られてやんのとばかりに、口元を隠してほくそ笑むヒルデにそっぽを向いて、俺は目を瞑った。
「君はこの街の出身なのかな?」
「はい。元はこの街の宿屋の倅です。宿は兄が継いでいて、この春までは手伝っていたのですが、新しく来た司教様に勧誘されて教会で小間使いをしています」
「ふむ。それは、今日、僕達が泊まるために用意してくれたという宿のことかな。そういうのを、職権乱用なんて世間じゃ言うのだけれど」
「申し訳ございません」
「ついでに言わせて貰うと、この馬車を出したのも、きっと君の独断だろう。わざわざ、自分の愛馬を繋いだ馬車で、軍人を迎えに来させる司教なんて、僕は聞いたこと無いな」
「申し訳ございません」
「謝るよりも、僕としては、君の真意を聞かせて欲しいかな」
俺もマルクと同じ意見だ。
この少年の行動は、俺達が持っている司教の情報とずれている。
奴は、ディーター卿は、俺たちの来訪を少なからず疎ましく思っているし、それを妨害するための準備をしている。
事実、馬車の側面についている窓越しに、先ほどからすれ違う通路の陰に、怪しい人影を俺は見ていた。
騒いでこそいるがヒルデも、副隊長のウドも、ユッテも気がついているだろう。
俺達を亡き者にしようと司教が刺客を放っているのは事実なのだ。その中を、司教の馬車で走っているから、俺達はこうして悠々と目的地へと向かう事ができている。
この少年はディーター卿の下で働いているが、どうにも卿の意向を受けて動いている訳ではないらしい。
彼が我々を庇いたてる理由は何か。
それは本人が語らない事には分からない。
「あぁもう、やきもきした話し方をする少年ですわね。最初に会った時には、もっと利発そうな子だと思いましたのに」
「それだけ抜き差しなら無い状況なんだろう。考えてもみろ、四面楚歌の身の上なんだ、下手を打ったら殺されるんだぞ、そりゃ警戒もするだろうさ」
「しかし、こうして僕達を助けてくれたんだ、何か力にはなってあげたいよね」
「だな」
エゴンは何故真意を我々に語らないのか。
ディーター卿の手の者に会話を聞かれるのを警戒しているのか。
それとも、俺達に話すことを戸惑うようなことでもあるのか。
最も考えられるのは、俺達が、エゴンの信頼をまだ充分に勝ち得ていないということだ。
「僕達のことが信じられないのかな」
「えっ?」
「一応、聖者なんて世間では持て囃されてるんだけど」
「……それなら、司教様も世間では立派な聖職者と評されています」
「なるほどね。身近にそんな手本があったんじゃ、すぐには信じられないか」
「貴方達が司教様と協力して、この街に、この地方に、害をなすとは限らない」
見くびられたもんだ。
そんな安い信念の持ち主だったら、俺はとっくにこんな部隊を抜けているよ。
こういう発言にはいの一番に反応しそうなヒルデが、眉間に青筋を浮かばせて必死に何かを叫ぼうとするのを耐えていた。
堪え性の無いこいつにしてはよく耐えた方だ。
頭に頂く大将が何も言わないのだ、俺達が口を挟む話ではない。
「信じて欲しいな。せっかく、恥ずかしいのを我慢して掲げている聖者の名に誓って、僕は君の期待を裏切るようなことはしないよ」
「口ではなんとでも言えます」
「なら行動で示してみせればいいのかな。こんな風に」
空気を裂く音がした。
弓矢の音だ。
しかも至近距離。
おそらく物陰から飛び出しての一撃だ。
すぐに馬が嘶いて馬車が揺れた。
俺は馬車の戸を蹴破ると、外へとすぐさま飛び出した。
軍服の中に忍ばせた手投げナイフの本数を数える。街についてすぐの戦闘は想定していなかったため数は全部で十本。
ただ、これだけあれば弓兵の一人くらいは余裕で倒せるだろう。
「おい、大丈夫かマルク。一応聞いておくが」
「うん大丈夫だよルドルフ。今回も、聖者の異名は無傷のままさ」
そう言って、操縦席のマルク。
彼は手にしている矢を、片手で握り締めて折ってみせた。
相変わらず、エグい聖者さまだぜ。
「それよりルドルフ命令だ」
「おう」
「僕と、大切な司教様の小間使いを襲った不届き者を、直ちにひっ捕らえて来い」
「生死は問わずで構わないか」
「なるべく生きたままで頼めるかい。でないと今晩の夕食が不味くなるからね」
贅沢なことを言う奴だ。
自分の命を狙われておいて、ここままで余裕ぶった発言ができるものかね。
流石は聖者様は器が違っていらっしゃる。
「ルドルフ、私も加勢しますわ」
いつの間に馬車から降りたのか、荷台に結わえてあった長柄の戦斧を抜き出して、手に持ったヒルデが構えていた。
用意の素早い奴め。
戦闘以外でも、それくらい察しよく行動してくれると助かるんだがな。
「おう。分かった。遅れず着いて来いよ」
「誰に向かっていっていますの。それより急ぎましょう、逃げられてしまいますわ」
路地裏から足音がする。明らかにマルクを狙撃した相手だろう。
この場にはウドとユッテが居れば、とりあえずエゴンの身は大丈夫だろう。
それでなくてもマルクが居る、万が一ということは、絶対に起きないはずだ。
行くぞヒルデと声をかけて、俺は路地裏へと突入した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます