第8話 馬の蹄亭(2)
「ここです。ここが私の実家、馬の蹄亭です」
呼ばれて馬車から出てみれば、見るからに年代を感じさせる、レンガ造りの宿が立っていた。
二階建てになっているそれ、一階に、両開きの大きな扉を持っており、二階に等間隔に三つ並んだ窓があった。灰色をした瓦から天に伸びている煙突からは、もくもくと白い煙が立ち上り、家の横には馬の蹄という名に相応しく、立派な馬小屋がある。
馬の蹄を象った看板がぶら下がる正面扉。
そこに、小太りで穏やかそうな性格を伺わせる女性が立っていた。その隣には女性とは対照的な、立派な体躯と髭を蓄えた大男が、しかめっ面で立っている。
「兄と、義姉です。ただいま、兄さん、義姉さん」
「おかえりなさい、エゴン。さぁさぁ、よくいらっしゃいました、どうぞおあがりください」
「お連れ様は、先に部屋でお休みになっておられます。馬車の荷物は、私と、エゴンで降ろしますので、まずは中に入って何かお飲み物でも」
流石は音に聞こえし商人の街の宿屋、至れりつくせりの対応だ。
その仏頂面を見たときには、いったい次にどんな罵詈雑言が飛んでくるかと思ったが、意外と、エゴンの兄さんは優しい人のようだ。
まぁ、人は見かけによらないからな。
「いやぁ、おっかなさそうな兄さんだから、お前の顔が気に入らない、出て行け、って、いきなり言われるかと思ったよ」
「前に一回、それで宿屋を追い出されてるもんな、お前」
「ふん、田舎の宿屋にしては中々気が利くではありませんの。それでは、早速あがらせていただきますわ。さぁ、マルク様、まいりましょう」
馬車から降りるや、すぐにマルクの横に侍ったヒルデは、さりげなくマルクの腕を絡め取ると、彼と連れ立って宿屋の中へと入っていく。
飲み物より飯だ飯、と、息巻いてその後ろに続くユッテ。
最後に残ったウドはといえば、親愛なる隊長殿を掠め取られたのがショックだったのか、少しおぼつかない足取りで宿の中へと入った。
「どうされました、入らないのですか?」
「いや、まぁ、な。職業病でな、誰かにつけられてやしないかと、一応、な」
つけるも何も、馬車に乗って派手にここまで来ているのだ、つけられているのか、注目されているのか、周囲の視線は分かったものではない。
ただ、目的地まで来てしまえば、それは別だ。
そこまでつけてきて、俺達に視線を向ける奴が居れば、それは当たりだ。
周囲に俺が察せる程度の気配は無い。
かつて中央で権勢を振るった司祭だが、流石に昼日中に気配を消しきれるような相手を雇うだけの財力を、今も持ち合わせているとは思えない。
大丈夫だろう。そう一人ごちに呟いて、俺は宿の中へ入った。
「やぁ、遅かったじゃないか、ルドルフ。やっと皆、集まったね」
「さぁ飲み会だってか。まだ日も落ちてねえじゃねえかよ」
宿屋のロビーで待っていたのはリヒャルトだった。もうすっかりと体の調子はよくなったらしく、いつもの飄々とした調子を取り戻している。
そんなお調子者の隣のソファが空いていたので俺は腰を下ろした。
目の前に置かれているのは、蜜漬けのレモンと割られた氷が入っている冷や水だ。近くに人口湖があると聞いているが、この辺りは天然水が沸いているのだろうか。
なんにせよ、ありがたい持て成しである。
一息にそれを飲み干す。
鼻の中をレモンの爽やかな風味が通り抜け、口の中を蜂蜜の甘みが満たしていく。さら驚いたことに、口にするまではただの水かと思っていたそれは、ぴりりと辛い微炭酸水だった。
「炭酸水も出るのか。これは知らなかった」
「いや、これがレモンを入れないとタダの水なんだよ。おそらく重曹が多く溶け込んだ鉱泉なんだ。化学反応という奴だよ」
「へぇ、流石はリヒャルト、よく知ってるな。しかし、これは、ウィスキーを割るには持って来いだな」
「だろう、そう思うだろう、ルドルフ。流石は我が友。というわけでだ、早速、酒を買いに」
「まぁ、事件が解決してからのお楽しみとしとこうや」
意気込んでソファーから身を乗り出していたリヒャルトが盛大にこけた。
持ち上げて持ち上げて、思わせぶりに思わせて、すんなりと落とす。
これがこいつの面白い扱い方だ。
いいじゃないか、ちょっとくらいと、リヒャルトは言うが、こいつが酒を飲み始めてちょっとで済んだためしが無い。あきらめろ、と、彼に手を差し伸べると、しぶしぶという感じに、リヒャルトは起き上がった。
「炭酸泉が出るとなると温泉もでるのかな」
「温泉も出ますよ。ここいらの湯は、美人の湯って有名でしてね。入るとこう、肌がつるりと滑らかになるんです」
レモン水が入ったポットを手に、こちらにやって来たエゴンのお姉さん。
彼女は、空になった俺のグラスにレモン水を注ぎながら、温泉の知らせに目を輝かせるウドに言う。
隊内随一の温泉マニア、あるいは沐浴マニアとでも言おうか。
とかく、三度の飯よりなによりも風呂に入るのが好きなウド。
それは綺麗好きなエルフの性でもある。
「それはこの宿で入られるのかい。詳しく聞かせて欲しい」
「あれまぁ、お客さん、もしかしなくても温泉好きかい。ウチはここの温泉の湯元よ、裏に小さいけれども露天風呂があるから。今時分に入ると気持ちいいよ」
必然、ウドの鼻息は荒くなった。
「入る。今すぐ温泉に入ってくる」
「待て待てウド。お前、せめて明日の段取りを決めてからだな」
「おぉ、ウド、風呂入るのか。だったら、俺も入るぜ。飯の前にひとっ風呂だ、せっかくだし背中流しっこしようぜ」
ユッテがウドの温泉宣言に賛同する。
言うや早いか、二人は脱兎の如くロビーを後にし、宿屋の奥へと消えていった。
筋金入りの重度の温泉マニアであるウドはともかくとして、ユッテの奴は、面倒なミーティングをサボる口実に使ったということだろう。
まったく、困った奴らだ。
「よぉし、それじゃ僕もお風呂に」
「待て待てリヒャルト、そっちは玄関だ。どこに行くつもりだい」
同じく、ミーティングを逃げようとしたリヒャルトを襟を掴んで俺は止めた。
腕っ節にはからっきし期待できないのだから、せめてミーティングくらいは真面目にやったらどうなのだろうか。
「ヒルデ、お前は、どうする。温泉に入らないのか」
「けっこうですわ。騒がしいお風呂なんて、入る意味がありませんもの」
逆に、こいつは腕っ節だけは頼りになるのだから、こういうミーティングの場では、空気を読んで貰いたいのだが。
世の中、中々、上手くいかないものだ。
「とりあえず、明日の段取りだが。教会で話したとおり、俺とリヒャルト、それにユッテの三人で、鷲の巣のドルイド僧に会いに行く」
「ドルイド僧だって? ドルイドが居るのかい、この辺りには」
事情を知らないリヒャルトが驚いた声を上げた。
一応、これで彼もドルイド僧の端くれである。正確には、帝都の大学を出た後、帝国の行政官になり損ねて、やさぐれて地元に帰っていた、元、ドルイドである。
それが、何の拍子に酒なんて覚えて、この昼行灯である。
アルコールは怖い。
二度手間ではあったが、とりあえず、教会でのやり取りについて、俺達はリヒャルトに説明した。思慮深いのか、思考パターンが独特というのか、所々に、妙なツッコミを入れられつつ事の経緯を話を終えると、リヒャルトはいたく怪訝な顔をした。
「ドルイドが、山賊に手を貸すね」
「元ドルイドとしては、不思議か?」
「――あり得ない話ではないけれど。けど、長いことこの土地に住んでいるドルイドが、そんなことをするだろうかね?」
俺と同じで昔取ったなんとやらという奴だ。
元ドルイドとして思うところがあるのだろう、リヒャルトは首を傾げた。
同じことをエゴンの奴も言っていた。
「積もり積もった積年の恨みつらみというのがあるからな。一概にありえないとは言えん。ただまぁ俺も、あまり信じてはいないがな」
十中八九はディーター卿の狂言だろう。
そんなものをわざわざ調べに行く価値があるかと言われれば、ある。狂言だと裏を取ることで、ディーターを追い込むことができる。
もちろんディーターも何かしらの勝算、あるいは、策を巡らせての発言だろう。
しかし、そこは、俺と、リヒャルトとユッテの三人が居ればどうにかなる。荒事は、ユッテの得意とするところだし、ここぞというところのリヒャルトの頭のキレは部隊随一である。
俺はまぁ、さておいて、だ。
サイクロプスやミノタウロスでも用意しとかない限り、万に一つもこの面子で、ディーター卿の策に嵌ることはないだろう。
「ルドルフ達がそちらに向かっている間、僕とウド、ヒルデの三人で、街で情報を集めておくよ。フリッツから、街の昔馴染みに話を通してあると聞いている。そちらも当たってみるよ」
「どれだけ有用な情報かは分からないけどな」
「まぁ、心配しなくても、貴方が帰ってくる頃には、私とマルク様でディーター卿の不正を見事に暴いた後ですわ。まぁ、無駄骨でしょうが、せいぜい頑張りなさいな」
「あいかわらず気に障る言い方をする奴だなまったく」
いつかその自信に潰されて自滅する日が来るぞ。
と、俺は勝手に信じることにした。
「まぁ、こちらの一件が狂言、あるいは、何かしらの罠だとしたら、それを証拠にしてディーター卿を拘束するというのはありだろうが、どう思う、マルク?」
「それで吐くような小さい肝っ玉はしてない感じに見えるね」
かもしれない。
俺達が帰ってきたとして、彼は、きっと何かの間違いだ、陰謀だ、と、喚き散らかして、その謀への加担を認めることは無いだろう。
証拠としては幾分弱い。
捕縛して帝都に連れ帰るにせよ、独断で、俺達でディーター卿を処断するにしても、もう少し、彼を犯人と説明しうる物証がほしい。
やはり、今回の一件、いったい何が目的なのかがはっきりしたいのが痛い。
「冷静に考えると謎の多い話だ。村を襲うだけ襲って、奪った食料は近隣の街に流し、いったい何がしたいって言うんだろうか」
それが分かったら苦労はしませんわ、と、独り言に辛らつなツッコミが入った。
こればっかりは幾ら筋肉馬鹿のヒルデが言ったことにしても、その通りだ。
「考えていてもしかたないか。とりあえず、今、やれることをしよう」
最後に、俺達が街に戻ってからの落ち合い場所について話をすると、とりあえず今日のミーティングは終了となった。
さて、そうと決まれば、明日に備えて寝ようか、と、俺がソファを立ったときだ。
「ルドルフ、悪い。後で、僕の部屋まで来てくれないか」
ヒルデ、リヒャルトに聞こえないよう、口元だけ動かして、マルクが俺に言った。
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