矛盾のカオスに潜む幸せな微笑み

雪の降る町に、風がそよそよと吹き、

街を歩く横で、店から漂う飯の湯気、

僕は両手をポケットに、

湯気と白息の混じる光景を見つめ、

景色に気が遠くなった。


車が運転手を運び、人は静かな枠で音楽を耳に、

座ったまま走っていく、通り過ぎていく。

家族との人も、独りぼっちの人も、

微笑んで去っていく。


あの人らはね、苦痛を抱えて微笑んだかもね、

あの人らはね、苦痛を味わったことない人かもね。

羨ましく思う必要があろうか。

気を落とす必要もあるもんか。

僕には分からない。


貧乏な自分を目にして、自分の心に叫んだ「生き残れ」。

死にたいほどの苦痛に絡まれる。

それでも絶えずに生き延びようとする。

そんな矛盾に意味などあるのか。

僕には知らない。


あるかもしれん。

必要になるかもしれません。


たとえるなら、

酔っぱらって切り捨てられた大人型の子供たち、

街にみっともなく眠っていた。


たとえるなら、

叱られた作者たち、主観的な批判を受けてばかり、

そのせいで成長できなかった。


たとえるなら、

弱い立場に居た人たち、ニートやら、なんとやらの人間たち、

なりたくもない立場になってしまった。


あるんじゃないか、

この人たちの価値が、もしかして?


あるんじゃないか、

社会が切り捨てる「ゴミ」の価値が、もしかして?


あるんじゃないか、

「ゴミ」がリサイクルのように、無から有になる方法が。

プラスチックやボロボロの紙から、芸術品や実用品へと。


考えてみようじゃないか。

「切り捨てられた」のは、一人のせいじゃなく、

団体思想のせいかもしれないこと。


考えてみようじゃないか、

「無駄」な授業などが有意な物にするのは

授業から変えるのでなく、

心に新しい物を見つける思想を植えること。


もしかして、捨てられた人間たちは

愛の情熱に囲まれたら

変わるんじゃないか?


無限の無限に、矛盾のカオスは続く。

ニートの立場を守る人も、ニートに反する人も

この世には去っていけない存在かも。


だが、

矛盾のカオスに潜む幸せな微笑みは

自然に生まれるよりも、わざと引き出さないといけないもの。


僕は知っている

なぜなら、「ゴミ」でいたからである。


自分がどんな人でありたいかを知っている。

矛盾のカオスに混じる人間たちの中から

僕は生まれた。


新しい形になって、愛を込めて、

昔の僕と同じ立場と苦痛を抱えた人間たちのため、

僕は、見方になってやる。


自分の子供かのように、

弱い人間の身になるためだけに、

僕は生まれた。

矛盾のカオスに潜む幸せな微笑みを

引き出すためだけに、

底辺作者でもニートでもゴミでも

僕は愛し続けた。

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