第155話 ルビンの壺 ―錯視―
『ヨルムンガンド』
「ヨルムンガンド? じゃあそのとき同系種の上級アヤカシ三体が同じ時期にゴビ砂漠に集合していたっていうの?」
(すべて同じ蛇属……日をまたいではいるけど丸一日のできごと。なんなのこの違和感は)
『そういうこと。ただしモンゴルではミドガルズオルムとヨルムンガンドとの固体識別を誤ったために公な情報としては伏せられているの。世界に発信された情報だっていくつもの人の手が介入していて曖昧にしてるしね』
「そんなことあるの?」
『それがあるのよ。私がトレーズナイツになって初めてボナが口を割った。まあ、私がボナに認められたって証拠なのかもしれないけど。……どこに国にもひとつやふたつ隠していることがあるらしいのよ。国家の威信やメンツってなによりも重要なんだって。それが各国のパワーバランスにもつながるし』
ふとヤヌダークの背に冷たい感覚が走った。
それがなんなのかを理解するのに数秒を要した。
昨日ロベスにかけられた言葉――なあ、おまえさ。良い人辞めたいとか思ったことないの?
ヤヌダークは
「本当にあるんだね。そういうの」
『ええ。日本にだってあるんじゃないの? それにその隠蔽は最終的に北欧もふくめたEUの総意になった。いちおうはミドガルズオルムとヨルムンガンドの退治には成功してるし』
「EUの? う~ん。どうだろ……」
(上層部ってのは
『EUの総意っていったって加盟国それぞれの思惑も絡んでるだろうし。現に今だってイギリスの
「世界史の教科書に載のるようなことが現実で起こってるんだよね」
『そう。現実味に欠けるけれどね。それでも世界は確実に動いてる』
「この瞬間も歴史が作られてるんだよね?」
(ベルリンの壁だって小さな勘違いで崩壊して西ドイツと東ドイツはふたたび統一した)
『そうまさにこの一秒一秒が歴史になっていく……』
「今を生きてる人は全員、時代の先端にいるってことだものね?」
『そうね』
「九久津くんがバシリスクを倒したのも歴史を更新したってことになるのか……」
『そうなるわね。それでね当初はあの広大なゴビ砂漠の中にミドガルズオルムだけ蠢いていると思われていた……。ただあまりに異様な事態にモンゴルのハン・ホユルがあらかじめボナに応援を頼んでたみたいなの。おそらく蛇属の上級アヤカシが複数体いると読んでたんじゃないかな』
(ハン・ホユル。モンゴルの中にいる
「A地点にいたと思ってた上級アヤカシが同時にB地点にもいるってことだものね。さらにバシリスクもいたならC地点にも出現ってことになるのか」
『そうよ』
「それはみんな混乱するか……」
『モンゴルの指揮系統がボロボロになったって話。ただでさえ砂漠は下級アヤカシから中級アヤカシが山のように存在してるからね』
ふたりはまたなにかの対局のように話を進めていく。
たがいにその筋のプロのごとく的確な
見えない盤の上を繰の一手、ヤヌダークの一手それぞれがそれぞれの領地へと入り込んでいった。
繰のつぎの一手。
「でも、バシリスクがヨーロッパに出現した理由はわかったけど。悪魔がバシリスクを護衛してた謎がまだ解けてないわよね?」
『ああ、それね……』
ヤヌダークの声がいっきに沈んだ。
『一週間前に私がいった
「ええ。もちろん」
(――それはゴエティアの悪魔とバッティングしたからよ。数体の悪魔がまるでバシリスクを護衛するようにとり囲んでいたの。ヤヌはたしかにそういった。さらに――きっとバシリスクの近くに契約者がいるはずよ。ともいった)
『けどね、今、私たちが話してた状況を総括すると話が変わってくるの』
「どんなふうに?」
『あの遣い魔は護衛じゃなく』
ヤヌダークの声の質がさらに落ちた。
『バシリスクの見張りだった。視点を変えて見れば見張りにしか思えなくなってきた』
「み、見張り。バシリスクの? なんのために?」
繰はヤヌダークの突飛な発想に絶句した。
それもそのはずだバシリスクを見張るという行為は必然的にバシリスクよりもさらに上の存在を示しているからだ。
『理由はわからない。それにあの悪魔を見張りと仮定すればバシリスクと悪魔の主従関係も変わってくる。護衛ならば
「なるほど。そう考えるなら日本に引き寄せた人物が
繰はヤヌダークにいいながらも自分にもいい聞かせていた。
(そうなると。完全な証拠があるわけじゃないけどY―LABや解析部に裏切者はいなかったんだ。でも心が軽くなった。――あのとき雛もいってたっけ? ――となるとバシリスク側になんらかの理由があった考えます。あの意見は正しかった)
『だから私があの遣い魔を退治したことでバシリスクに自由を与えてしまったことになる……バシリスクを見張りから解放したのは私』
「それはヤヌのせいじゃないわよ。その状況なら誰だってヤヌと同じ選択をするはず。現にフランスをふくむバシリスクを退治できる三回のチャンスほか国も同じことをしたんでしょ? あんまり自分を責めないで……」
(どの角度から物事見るかってことよね。――守護山のように町を守護ってる山があるなんて話を聞けばふつうは山が町の内側を守ってるって思うもの。バシリスクを囲むように悪魔がいれば同じように思うわよね。これを護衛とみるか見張りとみるか……たしかに視点の問題。上級のアヤカシの側にそれほど強くない悪魔がいれば当然仲間だって錯覚するわ)
『私は知らず知らずに誘導されて、まんまとバシリスクの主の思惑にのってしまった』
ヤヌダークはそういったあとに得体の知れない不安の中に落ちて繰との距離を急に感じた。
――おまえは
ヤヌダークは昨日のロベスの言葉を思い出し、あの言葉は自分がバシリスクを野放しにしてしまったことをいっているのではないかと疑心暗鬼に陥る。
「そういうこともあるわよ」
繰の言葉のあとに数秒経ってもヤヌダークからの返答はなかった。
「ヤヌ。もしもしヤヌ。聞いてる?」
まだ返答はない。
「ヤヌ。大丈夫。なにかあったの?」
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