第4話 寄白美子

 バスを降りてからほんのすこしだけ歩いた。

 校門から見た校舎は近代的で三階建てだった。

 大人の肩の高さくらいのベージュの塀が学校をぐるっと囲んでいる。

 すでに開かれている門扉もんぴの右側には、俺の制服と同じで五芒星の校章があった。

 五芒星がこの学校、いや、六角市のモチーフだからだ。


 左側には【六角第一高校】と学校名の書かれた、金色の蔦文様つたもようの重厚なプレートもある。

 校章とプレートは左右対称で壁に埋め込まれていた。

 校舎自体は真っ白をすこし濁らせたクリーム色っぽい壁だ。

 正面から校舎を見るときれいな長方形をしている。

 右左には大きな玄関があって右側に【職員用】というプレートが見えたから職員玄関で間違いないと思う。

 必然的に左が生徒用玄関ってことになるだろう。


 生徒玄関から職員玄関まではけっこうな間隔がある。

 そのちょうど二階付近の真ん中に大きくて丸いアナログの時計が校庭を見下ろしていた。

 長針、短針、秒針がいそがしい。

 俺はスマホじゃなくて今、目の前にあるその時計で時間を確認した、午前七時四十五分。

 「六角第四高校よんこう」前を出発してからかれこれ一時間が経っていた。


 遠目から校舎をながめていると不思議な感覚になった。

 あれっ? 一階から二階、二階から三階までの窓が異様に多い。

 小さい長方形の窓があって大きな長方形の窓、そしてまた小さな長方形というふうに縦に規則正しく並んでいる。


 比率でいうなら小:大:小のサイズの窓が1:2:1の間隔くらいか? でも、なにかが……おかしい……ような……なんの根拠もなく直感的に覚えた違和感だからか? どっかの有名建築家がデザインしたとか? センスあるデザインってどことなく人間の印象に残るっていうしな。


 俺は土埃が舞うグラウンド脇の舗装道を抜けて生徒玄関へと向かった。

 転校初日はなにかと気苦労が絶えない。

 またすこしだけ緊張してきた。

 なぜかというと俺は冷ややかな視線を浴びることになるからだ。

 「シシャ」かもしれないという特種な存在と転校生という客寄せパンダのふたつを担ってしまう。


 笑いで攻める、クールに決める、陰のある感じをかもす。

 包帯を巻いてなにかを封印してる系でいくか? いや、眼帯をしてになんか飼ってる系もあるな……。

 でも、今さら包帯も眼帯も用意できねー。

 コンビニか? 包帯は売ってても眼帯なんて売ってねーだろうな。

 俺は頭の中であれこれとアニメ的なシュミレーションを繰り返して初日のキャラ設定に思いを巡らせた。


 やっぱり最初が肝心。

 なめられたら終わりだ。

 そんなことを考えていた俺は注意力散漫で前方不注意だった。

 行く手を塞ぐ人影に気づかず、ただぽわんという感触を胸元に感じた。

 おっ!? 視線を下に落とすと白いリボンで髪を結ったツインテールの小柄な女の娘がヒョコッとしていた。


 「あっ、すみません」


 なにも言葉を発しないが第一印象はかわいい。


 「……」


 完璧な触覚、大きなくりくりの、薄茶色の目に星が輝いてる。

 なんて澄んだ目……カラコン……だろうか?

 涙袋の上もうるうると潤んでいた。

 当局にでも追われてるのか? だいたい当局ってなんだよ!? 正式名称を名乗れよ!? 

 だれもそんなことはいってないけど。


 ヤバい……。

 俺の妄想が先走る中でもその娘は清涼感バツグンの眼で見つめてくる。

 変な壺でも売りつけられるのか? 構わずに無視して右に避けるとその娘も俺にぴったりとついてきた。

 左に体を回転させると、やはりその娘も体をひるがえした。

 こ、これは完全に俺の進行方向を塞いでいる、マンツーマンデイフェンスだ。

 ……ということで俺に用事があると判定しよう。


 「あのなにか用でも?」


 「わたくし、寄白美子よりしろみこと申します。近寄るの”寄”るに、色の白。それに美しい子で寄白美子です」


 寄白美子と名乗ったその娘は上体を四十五度ほど曲げて小さくお辞儀をしてきた。

 両手でクルミを持ったリスのようなかわいさ。

 この娘のCVは誰だ? と、いうように声までもがフニャフニャしていてかわいい。


 「は、はぁ」


 紺色のブレザーに緑と黒の格子模様のスカート。

 学校指定のリボンとスクールバッグのフル装備。

 胸元には五芒星の中央に漢数字で「一」という刺繍が施されている。

 完璧に「六角第一高校」の制服一式。

 ってことはコスプレでなければ「六角第一高校ここ」の生徒で間違いない。

 すこし幼い感じもするけど、こんな感じの女子高生ならたくさんいるよな。

 

 でも、俺はすぐにふつうの女子高生ではありえない点に気づいた。

 それは右耳に三つ、左耳に三つ、合計六つの十字架ピアスをしていること。

 朝日の逆光がこの娘には似合わない黒い黒曜石らしき十字架を照らしていた。


 黒いピアスの女……妹属性なのにそんなアクセサリーを? アニメなら暴動起きるぞ? 市立高校なのにそんな格好が許されるのか?

 そういや転校前に読んだ学校パンフには「初の民間人校長」って書いてあったな。

 校則がゆるゆるなのかもしれない? 風紀委員とかそういう委員会的なのは機能してないのか? その娘はようやく頭を上げた。


 「あっ、ご丁寧にどうも」


 俺は軽く会釈を返した。

 その娘はすこし首を傾げたままでニコっと微笑みかけてきた。

 俺の視野にその娘の全体像が映った。

 ピアスとかの部分を差し引いてもやっぱかわいい判定だ。

 完全にかわいい部類だ……だがヤバい、違う意味でヤバい。

 なにを隠そう俺は特異体質でな存在に会うとトリハダが立って悪寒が走る。

 今だって背骨に沿って電気のような寒気が駆け上っていった。


 ああ~ビリビリとブルブルが止まらない、しかも腕から首筋にかけて小さなポツポツも出てきた。

 俺のこの謎の反応は概ね正しくて外れたことはない。

 ……なので結論からいってもこの娘はヤバいということになる。

 なにがヤバいのかは現時点ではわからないけど。

 これが出会った瞬間かわいいよりもまず俺の警戒心が働いた理由だ。


 園児のときにドッペルゲンガーと目が合って感じた寒気と同じ。

 小学生のとき交差点で車が突然消滅したときにも感じた。

 あれは異次元に消えたんだろう。

 中学生のとき空に光る謎の物体を発見したときにも感じた。

 あれは完全にUFOだった。

 しかも地球侵略型のエイリアンが操縦していたに違いない。

 幼いころ水陸両用の翼竜を見たときも、等々……例を挙げればキリがない。


 「あの~お名前は?」


 その娘はさっきとは真逆の方向に首をかしげて訊いてきた。

 耳たぶと一緒に黒光りのピアスも振り子のように揺れている。


 「お、俺は沙田雅です」


 「では沙田さんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 「あっ、はい、どうぞ……」


 俺はもうその娘の顔を凝視することができないくらい緊張していた。

 よし、俺もとりあえず心の中だけで寄白さんと呼ぶことにしよう……。


 「ところで沙田さんはシシャの正体を知ってらっしゃいますか?」


 「えっ……? どうして急にそんなことを?」


 「沙田さんが転入生でいらっしゃるので?」


 「あっ、そっか。転校生はシシャ候補になりやすいんだった」


 「ええ。そうでしてよ」


 寄白さんはマシュマロのような頬を上げて満面の笑みを浮かべた。

 俺のことを考えてくれてのアドバイスらしいことはわかったが、この笑顔の裏になにかあるのではと疑ってしまう。

 この娘のかわいらしさと怪しさが俺の心の中で葛藤している。

 俺はふと自分の手首に目をやると、なおもトリハダが凄いのがわかった。

 まあ単純に見かけだけならかわいい、ああ~心が揺れる。


 「それで寄白さんはシシャの正体を知ってるんですか?」


 おっ、さらっと名前を呼べた。

 やるな俺。

 けっこう違和感ないぞ、なにげない会話に紛れてる。


 「ええ。今日現在のシシャは六角第五高校の真野絵音未しんのえねみいさんでしてよ」


 一瞬の躊躇ためらいもなく、さっき同様に濁りない澄んだ瞳でそう答えた。

 とても嘘をいっているようには思えないけど、こういうのって美人局つつもたせ常套手段じょうとうしゅだんだよな。


 「あっ、そ、そう……」


 この娘はなぜそんなことを知ってるんだ?

 今日、現在って時価かよ? じっさいその”しんのえねみい”ってやつが本当に「シシャ」なのかも怪しいが。

 やっぱヤバいタイプだったな~変な絵画売られるかもな~。

 ま、まあ、かわいくはあるんだけど。


 「わたくしも過去に六角第一高校へ転校いたしましたの。それでなにかと大変でして、沙田さんにはそんな思いはしてほしくないと思いまして」


 「へ~寄白さんも転校を。アドバイスありがとう」


 あっ、親切心っぽい、俺はなぜ疑うことを覚えたんだ?

 俺の人でなし……ってそんな哲学的なことを思ってる場合じゃない。

 意外だった、寄白さんもそんな経験を。

 きっと――おまえが「シシャ」だな? としいたげられてきたんだろう。


 「この町の住人ならば、あのルールを受け入れて生活しなければなりませんので。ただのご忠告です。お気になさらずに」


 「ああ、はい。そう……です……か……。ありがとうございます」


 なんだふつうに健気けなげな娘じゃないか。

 ……けど俺が疑った顔で見てたから若干不機嫌になってないか?


 「それでは失礼いたします」


 「あっ、わざわざありがとうございました」


 寄白さんはここにきたときよりもさらに深くお辞儀をした。

 顔を上げるとすこし不機嫌そうな表情だった。

 やっぱり……。

 かわいいけどすこしだけムスッとした顔だ。

 やっぱ機嫌を悪くさせてしまったか? 寄白さんは俺にくるりと背を向けると校舎に向かってテクテクと歩きはじめた。

 そのうしろ姿のシルエットを見ても左右の耳で揺れているピアスがやけに目立つ。

 小さな歩幅で幼児のようにちょこちょこと歩き、そのまま吸い込まれるようにして生徒玄関の中に消えていった。


 俺はその場からしばらく動けずに見惚れていた。

 こ、こんな朝早くから出現するなんて本当に人間……か? それに俺が転校生だとどうしてわかったのか? 見かけない顔だから? あるいは「六角第三高校さんんこう」のままのスクールバッグに気づいたから?


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