第4話 <7> 国鉄廃線の謎
12時前に駅前に戻ると予約していたレストランで昼食を取ってから13時過ぎの電車で伊那大島駅へ。14時過ぎには駅に到着。
ここの案内は餅多先輩が担当していた。今日の演習を音田先生と詰めた張本人でもある。
国鉄松鹿線。伊那大島駅から大鹿村をつなぐ計画線で開通は小渋駅まで。戦前着工したものの途中中断があって小渋までの約9.5kmが開通したのは昭和27年だった。途中1年間不通になる災害があったものの昭和49年まで営業運転していた。小渋ダム建設など貨物輸送が主になっていてダム工事が終わると輸送量減少に歯止めが掛からなくなった事が廃線となった最大の理由だった。
伊那大島駅東側出口を出ると南側に少し広がる空き地を指して餅多先輩が言った。
「この駅前の空き地はもともと国鉄松鹿線のプラットホームとか引き込み線があった場所になっています。松鹿線に関連した数少ない鉄道遺構です。廃線から40年ほど時間が経ってるのであまり残ってはいません」
これみよがしに失望の表情の秋葉先輩、雅楽川先輩。それを見た餅多先輩が言った。
「先輩がた、失望は間違いです。1つだけ例外があって大物が残ってます。この後観に行きますからご照覧あれ」
秋葉先輩や雅楽川先輩はあまり鉄道に興味はなさそうで「そういうのがあるならさっさと連れて行け」と意見表明していた。3年生の先輩が面倒くさいモードになってるなあ。
川の方へ向かうと昔鉄路があったらしいところは道路になっていた。
「餅ちゃん、これも遺構だよね?」と雅楽川先輩。
「イエス、マム。川岸までは道路の形で路盤自体は残ってます。廃線跡だとたまにこういう残り方はしますね。向こう岸は崖地形で崩落などあってあらかた亡くなったとは廃船探索本にも書かれてます。航空写真地図サイト見ても実際見当たりません」
そんな話をしながら歩いて行くと道路は堤防で行き止まりになっていてその上には水道管が渡ってきていて堤防の下の所で地中に消えていた。
「さ、あちらの階段で堤防の上へ上がって下さい」
そう餅多先輩に言われて音田先生以下みんなは階段を上がっていった。
上がったところ、眺望は河川敷の木々で少し遮られ気味だったけど水道管が橋を渡ってきているのが見えた。
「この水道橋、元々は鉄道橋だったんですよ。廃線前から決まっていたのか国鉄線でなくなった後も鉄道橋は撤去されずにそのままになっていて、あっさり工業用水送水管を通す水道橋という第二の人生を歩んでいるという訳です」
「面白いところ見つけてるね」と珍しく辛口の雅楽川先輩が餅多先輩を誉めていた。
水道橋をよく見るとどうも木々で隠れている部分が手前の区間と違っているように見えた。
「餅多先輩、一部新しくなったりしてませんか。隙間から見える橋とか少し違っているように見えるんですけど」
「一度流されたような話は残ってるからそのせいかな」
餅多先輩は現地調査用に望遠ズーム機能付のミラーレスカメラを持ってきていた。
「写真でそのあたりも押えておいてもらえますか?」
「いいよ」
「銘板とか特に気になるので」
「分かってる」
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